京都でお世話になった三人の女性へ



まずRへ。
元気かい。君のことだから、あの後も上手くやっていることだと思う。

僕が今でも気になっているのは息子さんのことだ。

あんなになついていてくれたのに、とんでもない姿をとんでもない形で見せてしまった。これは本当に反省している。取り返しの付かないことをしてしまった、そんな気持ちを持つのは、君や旦那さんに対してではなく、息子さんのことだ。

君の驚異的演技力と人心コントロールの技術で、旦那さんのほうは何とか切り抜けたんだろうと想像している。多分これは当たっているんじゃないかな。演技力も、コントロールも、これは皮肉で言っているんじゃないよ。君は良くも悪くも女だなあという意味だ。多くを語らなくても、それは判ってくれると思う。君ほど対人ストラテジーに長けた女は見たことがなかった。でもね、一つこちらが先読みしていたことも事実だ。例のPCのデータは、君が寝ている間に全てインターネットディスクにあげておいたので、無事リカバーできた。ね。スリリングな関係だろう。

大体のことは、何が進行しているかは、あの末期の頃、既に僕には判っていた。そして、僕が気がついていることにも、君はうすうす感づいていたんじゃないかと思う。でもそれは、今更言ってもまったく仕方がないことだ。僕はアディクションから何とか抜け出せたし、今こうやってあの頃を振り返るゆとりも出てきている。君は少なくとも僕に対しては、これっぽっちも後ろめたさを持つ必要はない。

息子さんの話をさせて欲しい。可愛いい子だったよな。あの時小1だったね。初対面の頃は、知らないおじちゃんである僕を、どきどきびくびくしながら、どんな人なのか観察していたよね。でもすぐに心を開いてくれて、僕も息子さんが好きになった。海辺のリゾートホテルのテラスで、テラス備え付けの双眼鏡の使い方を教えてあげたら、ものすごく喜んでくれて、沖を通る船を見つけては、何度もなんども僕に、「こんなの見つけちゃった。この角度はどうでしょう?」って呼びに来たよね。あれは本当に楽しかった。日が暮れても、僕が一人でテラスからずっと海を見ているのを、何度もやってきては、お部屋においでよ、と呼んでくれたのもありがた迷惑ではあったが、いい想い出だ。

ゲームボーイを常に持ち歩き、何があっても液晶画面に向かっている息子さんの様子を見て、「あれは逃避だよ」と僕が君に言うと、君は自分もそうじゃないかと危惧していたといった。それで、一緒に小さな猿山に登ったり、なるべく外で遊ぶようにして、軍用双眼鏡を一つあげたら、遠くのものを見ることを覚えてくれた。憶えているかな、あるとき僕が、息子さんに「これは五千円ぐらいで買えるんだよ。さて、プレステ2とどっちが高いかな?」と聞いたら、プレステのほうがずっと高いね、と答えて、次に、「じゃあさ、今プレステと双眼鏡じゃ、どっちが面白い?」と尋ねたら、「双眼鏡のほうがずっといい!」と答えてくれたときは嬉しかった。

もちろんそれは、あの年頃の子が、仲良くなった大人に対する罪のないストラテジーとして言ったことかも知れないし、僕の質問もはっきり言って誘導尋問だ。でも、それ以来会うときは、ゲームボーイを持ってこなくなって、代わりに双眼鏡を首にぶら下げていてくれた。その気持ちが嬉しかった。優しくて賢い子だと思った。

関東に住んでいる僕の二人の息子の話をすると、会いたいなあと言って、ねえ、まだ二人を連れてこないの?と尋ねたっけ。弟が欲しかったんだね。それで僕が、二人はね、今二人だけで暮らしてるんだよ、と無茶苦茶な事を教えると、「ええっ!料理もお皿洗いも二人でやるのん?」と驚いていた。「うん、二人で協力して料理もお洗濯も掃除もするんだよ」と答えた。四歳と二歳の子が二人暮らしで料理も洗濯もしている図を想像して僕は猛烈に笑ってしまった。同時にとてつもなく切なかったよ。

決定的に息子さんが心を開いてくれたと思ったのは、僕の部屋に来るとき、大事にしているハムスターを連れてきた時だった。そして、あの暑い中を三人で渓谷まで行った時、ハムスターが完全に熱と疲労でへたっているのに気づいた僕が、「この大きさの生き物が、こんな暑い日に、小さなケージで揺られて、どんなに辛いか分かるかい?」と尋ねたら、彼は「そうやね」と言って、はじめて自分がやっていることに気が付いてくれて、慌ててケージを優しく抱えた。僕が様子を見たら、二匹のハムスターは明らかに脱水症状と熱中症で、これはまずいと、三人で喫茶店に飛び込んで、氷をもらって、近くで買ったリンゴをあげたよね。あの時の、大急ぎで氷から溶け出してくる水を舐めて、リンゴに噛り付く二匹のハムの姿を真剣に、心配そうに、興味深そうに見る息子さんの姿は今も柔らかい思い出だ。僕の部屋でハムスターが脱走したとき、君が大量に持ち込んでくれていた本とCDと服の茂みに潜り込んで息子さんにはハムが見つけられなかった。僕が、ちょっと静かにして、と言って、ハムのヒゲの音で見つけた時、彼の目が尊敬の目になっていたのを思い出す。超能力だといって驚いていたね。

その彼が猛烈に傷付いただろうと思うと、彼に謝りたい。大人の友達が出来たと言って喜んでいた気持ちを踏み躙った事が悲しい。

しかし僕も君も思えば無茶をしたもんだよね。子連れで不倫相手の部屋に来たり、三人で旅行したり、挙句の果ては、君は息子さんにさえ背を向けて、僕と北へ逃げてしまった。滅茶苦茶だよね。アディクト同士が恋愛関係になるととんでもない結果になるという好例だ。今は思い出すとあまりの事にどこか笑えてしまうよ。

実は、君はあの後知ることになったと思うのだけど、僕は君とMの間で二股かけていた。木屋町の例の部屋にも二度行ったし、僕の部屋にも何度か泊まりに来た。我ながら実にまあ捨て鉢になっていたことだ。僕の方はそんな慨嘆で済むけれども、君と息子さんはどうなんだろうか。仲良く出来ているだろうか。それが心配だ。あれから世間が狭くなったりしてるんじゃなかろうかと、時々思う。君と僕との実にアディクティブな関係は、どこまで行っても二人の責任でそれはどんな帰結を迎えようと仕方がない。自分たちのせいだ。2017/05/13追記:Mとの事は気がついていたんだろうね。遊びは許すと言うことだったんだね。じゃないとおかしいことがいくつかある。彼が変なモテ方をする場合仕方が無いとあきらめていたのかな?

しかし、息子さんのことは、時に罪悪感を持って思い出す。僕が、離れて暮らしている自分の長男のことを思い出しながら息子さんを肩車したら、彼ははじめて肩車されたと言って、最初はこわごわと、でも十メートルも歩かないうちに喜んでくれた。あの時僕が履いていた下駄の音の真似をして「からん、からん」と言ってはしゃいだのも、今では罪の意識を伴った記憶になってしまった。一緒に散歩しながら、色々見たもの聞いたこと勉強したことなど矢継ぎ早に質問してくれて、僕がそれに答えると、「パパよりすげえ」と彼が言ったとき、僕は優越感とともに胸の痛みを感じていた。俺は何をやっているんだ?この世で他に比べるものもないほど愛しい息子二人から離れ、こんなところで、人様の子供にとんでもない影響を与えている。しかも、その子は自分の父親とよそのおじちゃんを比較し始めている。これは大変なことなんじゃないか。

息子さんは今心身ともに健康だろうか?いつか彼が男女のことが分かってきたときに、君や旦那さんをどんな眼で見るのか、それが怖い。その点での僕の圧倒的な罪を認めたい。本当に申し訳ないことをした。

君と旦那さんの関係については、先に書いたように、あまり心配していない。恐らく、君は彼にとって、生涯かけてやっと見つかるようなファム・ファタールなのだろう。簡単に言ってしまえば、あまりに惚れ切っているので、何をされても、どんな目に遭わされても、君を嫌いになることなんか出来なくなってしまっているんだろうと思う。その点で、君は、君自身がかつて語っていたように、自分が好きなように生きるために鈍感で打たれ強い人を選んで結婚したというのは正解だと思う。これももちろん皮肉ではなく、たいした選択眼だったと思う。見事だよ。

ただし、僕につかまってしまったのは、完全に失敗だったよ。今度はもっと楽な相手と遊ぶといい。あんまり色々抱え込んでいないイキのいい奴がいいと思う。君は恋愛対象がいないと生きていけない人だと思うから、こういう言い方をさせてもらう。でも、なんだかんだ言って、激しい日々だったね。ああいうことはもうないかもしれないな。楽しかったよ。どうも有り難う。ラフマニノフを聴くと、初対面のころ僕に対抗しようとしていた君を思い出すことがあるよ。僕が君より雑学を抱え込んでることが癪に触ったと後で言ってたな。でも函館のカフェでモーツァルトを弾いてくれた時は驚いたよ。君だって相当のものだから、精神的資産を無駄にしないで欲しい、というのは完全なおせっかいだね。

以前ここに書いて老いたことは言い過ぎだった。君も辛い目に遭ったんだ。元気でね。



次にMへ。

もう手首切ったり、過食したりしてないか?失礼な想像だけど、まだやってるんじゃなかろうか。

君は本当に思い切った人だったと思う。なんだあのセリフは?「おもちゃとしてでもいいから、抱いてください」って。

あのねー、君ぐらい可愛い子にそんな事言われて、乗らない男はいません。でもまあ無茶だったなあ。こっちはアル中で薬中で女性依存、君はアル中で自傷癖があって自殺願望の持ち主。そりゃ無茶なことになるよな。

君にストーキングを繰り返していたあのバカの前でのやり取り、覚えてる?

「なあ、M。俺に抱かれたいか?」
「はい」
「じゃあこいつには?」
「絶対にイヤ!」

あれには笑ったよな。まるで台本があるみたいだった。あの後の俺たちの意地悪だった事よ。木屋町の例の部屋で君の携帯から奴に電話して、

「さっきはごめんなさい。混乱してて心にもない事をいいました」
と君が言い、奴が喜んで話し出したところで俺が電話に出て、
「と、言うと思ったかこのバカ!今ラブホから電話してるんだぜ!羨ましいかこのカスが」
また君に電話を替わると、君は一言、
「死ね!」

むっちゃくちゃだ。君ぐらい優しげで無邪気で可愛い子の口から出していい言葉ではありません。でもあれだけ君にしつこくしつこくストーキングをしていた奴がうるさく感じられていたのも確かだった。母子関係のせいで自傷や拒食、過食、その他いろいろにはまっている女の子はみんな「Noが言えない」体質になっている。奴はそれを知っていながら君を路上で突然抱きしめたり、家までつけて行ったりしていた。あれは見ていて気持ち悪かったよ。だから、最初君からのメールで、何とかしてくださいと頼まれたときは、しょーがねーなーと思いながらも、珍しいおもちゃを、あのストーキングバカをからかってやれるなという嗜虐的な気持ちが湧いていたのも事実だ。俺はすごく意地悪なんだよ。

まあ、仕方がない。恋愛関係では何が起きても仕方がない。恋愛って不思議なものだと思うよ。時に生存本能を超えた行動に人を駆り立てる。本来の恋愛の機能から逸脱している。おかしなもんだ。

なんにせよ、君と過ごした短い時間は楽しかったし、考えさせられる事も多かった。それに君で一番好きなところは、ぶっ飛んだギャグが分かる賢さだ。例のガイキチメールのやり取りは本当に楽しかったよ。今でも京都タワーにZさんが兄貴を荒縄で縛りつけて、お気に入りのエロビデオがデッキに巻き込まれた悲しみをマイクで京都駅前の観光客相手に切々と訴えている姿が眼に浮かぶようだ。僕の「Zさんハリウッドデビューシリーズメール」や、「祇園の夜の冷酷な天使、ホストZさんメール」、「Zさんの自伝全100巻送りましたメール」に対する君の「素晴らしい贈り物を有難うございます。今、いつ来るか待ちかねて、ずっと玄関に正座して届くのを待っています。ここで今、さっきからずっとお茶を飲んでいるところです。今百一杯目ですメール」の事を思い出しては笑っている。

もう自傷をしていないといいな、とは思う。君が切腹したときは驚いた。まあ、脂肪をかすめるぐらいで済んだから良かったけど。「切腹するんなら、正式な作法を教えてやるよ」と言って、十文字切りの話をしておちゃらけるぐらいしかあの時は出来なかった。やめろなんて言えた立場じゃなかったしね。

君は、今僕が何とかよろよろやっているように、アディクションから抜け出せる人だと思う。がんばれなんて言わないけど、やめられる時期が早く来るといいね、と思うよ。先は長い。楽にやろう。アディクションは本人の意思でどうにかなるような生易しいものじゃない。本人の自覚を待つ、なんて事を言う人がいるけど、それすら間違いだ。本人は充分に自覚していて、なお捕まってしまうからどうしようもなく追い込まれていくんだ。医療関係者すらそのことが分かっていないし、あの病院の未熟な心理士たちのように、許して受け止めるという思い上がった態度が、結局のところ、病院全体をイネイブラーにしてしまっている事に気が付かない人たちまでいる。だから、なにかのきっかけで自分が変わるか変えられるのを待つしかない。変わらなかったら死ぬだけだと思えば気も楽になる。

いつかまた会いたいよ。その時は、こちらの携帯の不備でお流れになった嵐山デートでもしようか。ボートに乗って高校生みたいなデートが出来たらいいと思う。
ダンさんに僕が元気でやっていると伝えて欲しい。君が適任だと思う。マッさんにもよろしく。お世話になりましたと伝えて欲しい。
2012年8月9日追記
君は本当にかわいい子だから、幸せに暮らしていることを祈ります。岸と争いがあったときも味方になってくれてありがとう。一緒にカラオケに行って、君の音痴には驚いたけど、甘えんぼさんを始めたときはかわいかったよ。幸せになって欲しい



最後にFへ。

君にはなんと言ってお詫びしていいか分からない。

繊細な上にも繊細な君があの後一時酒に逃げたと言う話を聞いた。

当然だと思う。俺でもそうする。

でも、その後、マッさんから聞いた話では、何年も酒を断っていたということで、ほっとした。

君と暮らしたのは僅か三ヶ月足らずだったけど、あんなに女と暮らして楽しかったことは俺には無かった事だった。本当にありがとう。

殆どホームレスの行き倒れに近かった俺を拾ってくれて、ありがとう。思うに、憶えているかな、二人でバスに乗っていて、外は急に雪が降り出し、寒そうな君の手を俺の両手で挟んで暖めたのがきっかけだったのかな。それともその前に、枳穀邸の庭を二人で歩きながら日本庭園や古い建物の形、入り口の石積みの配置の不思議さを、思いがけなくもほとんど同じ感覚で観察していたのが判って、互いに好みが似ていることに気が付いたのが始まりだったんだろうか。

話をするようになってたった一週間で俺は君の部屋に棲みついていた。君が帰り道に「うちよって写真見てく?」と誘ってくれたのがその始まりだった。色々話をしているうちに、僕が君を抱き寄せたら、君は「誘惑しないでぇ」と言いながら満面の笑顔で腕の中に飛び込んできた。後で、「あれは完全にあたしが狙ってたんやで」と言った君の直截さが微笑ましかった。

毎晩夜道を散歩しがてらレンタルショップへ行ってビデオを選んだね。ここでもお互いの選択が行き違うこともなく、試しに見てみようと選んだ作品も外れがなかった。夜道を君の部屋へ帰りながら、詰まらない事で笑い転げた。近所の町屋の造作を君が教えてくれるのも楽しみだった。とにかくよく笑って暮らしたよね。すごく楽しかった。あの帰り道の町屋の窓から外を覗いている猫を長いこと二人で見た。君がちょっとしたケンカで機嫌が悪くなったとき、近くのペットショップへ行って、アビシニアンのまだ小さい子を見ているうちに、すっかり機嫌を直してくれたのは、これもまた君の賛嘆すべきシンプルさと美的なものへの感受性のなせる業だと思った。

天神さんのバザーに出かけて、君が僕に似合う和服を選んでくれたのも思い出す。結局値段の折り合いが付かずに買わなかったけど、君が選ぶ布の質や絵柄を見て、この人は俺をこんな風に見ているのかと、なんだかくすぐったい気持ちだった。天神さんの近くのお好み焼き屋さんでやたらと食べた。もうちょっと足りないなと言ったら、「お好みが食べたいの?他の物がええん?」と尋ねたときの君の表情は、優しい母性に満ちていた。なんだか自分が拾われた犬みたいだなと思ったよ。

君には最初から、二人の息子の話をしていた。二条通りの喫茶店で、私には三年付き合っている人がいて、あと三ヶ月で結婚することになっているし、一度離婚していて、娘もいるから、これ以上お互いに好きにならないでおきたいと君は言った。僕の息子への気持ちに君が最初から理解を示してくれたのも、そういうわけがあったんだと納得した。君と息子たちと暮らすなんて事を勝手に考えたりしたけど、それも無理なようだねと答えたら、君はその場で涙を流した。切なかった。

でも結局、君は一緒に暮らして一週間目に、婚約を破棄して、僕を娘さんに引き合わせる準備を始めてくれた。あの時は、生涯君と一緒にいたいと思った。君がそれだけの決心をしてくれたのだし、僕にとっても望むところだった。結局娘さんには会わないで終わったけれど、それはあの関係の中では救いだったと今にして思う。

これも憶えているかな。「俺たちってさあ、割れ鍋に綴じ蓋だよな」と言ったら、君は大爆笑した。その後の君の言葉も笑えるものだった。「あんたは確かに話題の宝庫やけど、テーマは常に女や」二人で腹を抱えて笑った。

君はさすがに学生時代から国際的な賞を取るだけあって、その生活面に及ぶ美的センスにはいつも感心していた。合理的に配置された大きな机。キッチンの照明。脱衣所のタオルの使いやすい置き方。大量の美術書やデザイン画、壁に飾るちょっとした絵、自分で特許まで取った幾何学を応用した新しい小物入れ。話していて何気なく出てくるオリジナルな言葉。悲しいことを思い出したときの泣き方まで、君は芸術品だと思った。「ほら、ファスナーって喋るんやで」と言っていろんなファスナーをスピードと力を変えて閉じたり開いたりして声のように音を出してみせる可愛らしさ。トイザらスで買ったゲームセットに入っていたダイヤモンドゲームで僕に勝ったときの得意げな表情。君といると、僕はいちいち感動していたんだよ。

音楽で涙が出ると言う経験はよくあったが、君が絵を見て涙が出る人だと知って、そんなにまで視覚から感動を受ける人がいることに驚いたものだ。君は身も心も純粋で綺麗な人だと思った。「素直に感動する人は、この世では生きにくいんよ」という君の言葉は救いだった。このままずっと死ぬまで君を見ていたいと思った。僕は君を僅かな時間のうちに愛するようになっていた。

一緒に暮らし始めた頃、君は食欲が全くなくて、僕が仕方なく冷凍のうどんとゆで卵ばかり食べているのを見て、「ゆで卵見るたびに、悪いなあとおもうわ」と悲しそうに言っていた。だんだん僕が料理を始めると、君は最初はお付き合いで、そのうちほんとにおいしいといって全部食べてくれるようになった。和食はあたしが作るから、洋食はまかせるわと言って、こんなに食べられるようになったのはあんたのおかげや、とまで言ってくれた。実験的な料理をして、それが明らかに外れで、ひどい味になっても、君は黙々と食べてくれた。こうやって思い出すと、君の常人離れした優しさが思われる。

君と歌うのは楽しかったな。上手だねとほめると、「学生時代バンドやってたんや」と答えたのでなるほどなあと思ったよ。戸川純のサティなんかうまいもんだった。

君のむかしの恋人からの暗号葉書を見せてくれて、「読めへんのや、あんたわかる?」と言うので、僕がすぐに解読したら、「こないなことゆうてたんやな」と、前のことを吹っ切った口調になった。僕を信用してくれたんだね。

二人で河原町のカフェに入って話していて、君が突然「あたしら何に見えるやろ?」と尋ねたので、僕が「ヒットマンと姉さん」と答えたら、「恋人同士に見えへんかなぁ」とむくれて見せた。「自慢の彼や」と言って祇園の御茶屋にも連れて行ってくれた。渡辺淳一が川島なお美を連れてくる店だって言ってたっけ。娘さんにも女将さんにも紹介してくれた。ここで学生時代バイトしてたら、自民党の議員に、月一回会うだけでいいから、三十万でお願いできないか、と誘われたんやで、安いわぁおもたわ、と笑いながら言ってたね。御茶屋さんの娘さんはじめ、君は片っ端から友達に僕を紹介してくれた。

僕は結果的に君の気持ちをひどく裏切ってしまった。友達になんと説明したんだろうか。君のお母さんや妹さんの心配は当たってしまったんだ。僕はろくなもんじゃなかった。


今はただ、君が本来の能力を発揮して幸せに暮らしていることを祈るしかない。ひどい目に遭わせてしまった。

君が忘れても、僕は君との生活を忘れることはない。いい思い出しかないんだ、勝手なことに。君は僕の理想の女性に近かったよ。ありがとう。


マッさんによろしく伝えて欲しい。僕が依存から立ち直って、何とか自分の人生を生き始めていると。


僕を生き返らせてくれて有り難う。さよなら。

2010/08/09追記
その後、酒も飲まないでやっていると信じています。君は才能のかたまりだから、それを発揮して幸せな人生を過ごして欲しい。君を愛していたのは本当だよ。他の全部が嘘でも、これは本当だ。いつかまた会えるといいと思う。さよなら。

2013/01/19追記。

幸せになっていて欲しいです。ありがとう。大好きだったよ。

2014/05/26付記:F、俺は10年たってもまだ君が好きだ。君の愛らしい笑顔は忘れがたい。幸せになってくれ。


Fよ。どうして俺たち続かなかったんだろうな。おまえと幸せに暮らしたかったよ。大好きだったんだぜ。愛してもいたんだぜ。

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