へらさけ雑記


1999年3月14日からぼちぼち書き始める

このページのタイトルはもちろん山下洋輔氏のエッセイからのいただきである。あの方の文章は、思慮深くて面白くて控えめで出るところは出ていて深い専門性に裏打ちされていてそれでいてひけらかさず、マコトにかっこいいのである。いつかはああいう文章が書けるようになりたいと思うのだ。もうひとかた手本にしたい文章家を挙げろといわれれば中島梓さんであろう。栗本薫さんではなく、中島さんである。中島さんの文体は破綻が起きてしまっても不思議はないほど多様な語彙を縦横無尽に駆使しつつも、どこまで行ってもグダグダになることなく、読み終わったときには間違いなく言いたいことが伝わっている絶妙の文体である。あれはもう名人芸と言うしかない。とにかく大量に書くことでしか得られないものなのだろう。

小松左京さんと筒井康隆さんの影響は、その読者には顕著に見えるであろう。どえらい下手な影響を受けたもんだと思われるではあろうが。星新一さんの文体だけは真似ができないし、影響を受けることすら不可能であった。あの方の虚飾をそぎ落とした、体言止めの多用される、そして通常のどの散文でも見ることの出来ない文体を模写することはほぼ不可能ではなかろうか。三島や太宰や谷崎の文体模写が出来る方、つまりずば抜けた言語感覚をお持ちの方でも、星さんのだけは無理ではなかろうか。筒井康隆さんが『発明後のパターン』で果敢にも挑戦なさっているが、やはりあれは筒井さんの文体だと思う。これは遥か後になって付け加えるのだが、ナンシー関さんの影響、というか、真似をしたいと思う気持ちがある、とも書いておきたい。まことに惜しい文章家を亡くしたものだと思う。あの方の場合は、その文才もさることながら、もっと根底にあるものの見方の鋭さが余人には到底真似など出来る物ではなかった。これはいわば体質的なもので、影響などというもおこがましいので、真似をしたい気持ちもある、としか書けない。

ナンシーさん亡き後、いや、ご存命中から、我もわれもとその文体を真似しようとして失敗した、しかも見るに耐えない無残な失敗をしたコラムニストは数多い。現在(2008)では、なんとまあナンシー関さんの名前をみみっちくもいじった女性テレビコラムニストや、ただ悪態をつけば批評になると信じているとしか思えない、根本的に感覚がずれきった男性テレビコラムニストがいる。 他に、知りもしないし読みもしない(としか思えない)ブルトンだのハイデガーだのバタイユだのバルトだのフーコーだのの名を出せば「知的」であるかに錯覚している(あああああああああ、恥ずかしいよう!)、文芸評論家なりそこないのテレビコラムニストがいるが、この人物については名前を自分が覚えているということ自体が腹立たしい。ご興味のある方は、『週刊文春』で、10平方センチほどのコラムをお探しになるといい。きっと心底情けない気持ちになれること請け合いである。



ここでは由無し事を書いていくことにする。趣旨はすぐに変わるだろうが、まあ思いつきを書いて行くのである。どうでもいいことばかり書くことになるかもしれないが、ひとつお暇なら一緒に考えてね、的ネタを書けたら幸せと言うものだ。


目次っす

芸人の足腰
いわゆる「日本の英語教育って奴は」について
引用だらけ、林真理子を考える
Saussureによる暗黙の理想化について、なんちて
歯を食いしばって林真理子を再び考える
久々にトヨエツが見れるなあ
丸い氷
人工脳におびえる
進化する階層
生物学をなめてはいかん
Brain Valley
俺を梅さんにしないでくれ
A CHILD CALLED "IT"
中島らもさん
『百万回生きた猫』
ありがたや



芸人の足腰
1999/3/14 23:25

ダウンタウン松本が昔何度かやったことのある芸に、「漫才師の真似」とでも呼ぶべきものがある。舞台の袖から腰をかがめて手を小さく打ち鳴らしつつ出てくるものであるが、あれを見たときには実に舞台育ちの芸人は強いなと思ったものだ。

舞台袖から「はいどーもー」と言いつつ出てくると言うだけでもうその人物が漫才師、それも老練な、人から見られることに十分意識的でありながらそれを全くプレッシャーに感じているそぶり一つ見せない漫才師であることを表現しきっている。見事である。

同じように、舞台に立ったときの立ち姿が芸人以外の何者でもないと思わせてくれるのがビートたけしである。たけしの立ち姿は美しい。これから何をやってくれるのか、思わず目を引き付けられてしまう。

こういった舞台育ちの芸人と違って、立ち姿がいかにも弱いのがタモリである。「下半身の弱さ」という言い方でそれを指摘したのは小林信彦さんであったが、最近やっと出てきたタモリのまねをする芸人による物まねでも、下半身の座らなさ、動けなさはきっちりと模倣の対象になっている。

そう言った芸人としての弱さ、基礎のなさが、タモリをしてあれだけ若手芸人になめられる存在にしてしまっているのかもしれない。タモリがそれほど嫌いではない、いや、それどころか、時にかっ飛ばすホームランをどこかで心待ちにしている視聴者の一人である筆者などは、タモリが馬鹿にされればされるほど、そうじゃないんだ、このおっさんをもっと暖かく見守ろうよ、と心の内で叫んでしまうのだ。

小林信彦さんであれば、たけしの立ち姿のよさを、タップダンスの修練と結びつけるのかもしれない。そういう面もあるのだろうが、ダウンタウンの二人の姿の良さはタップとは関係がないだろう。吉本の養成所時代にフラメンコをやらされて、自分が置かれた状況がおかしくて笑いが止まらず、次からはそのコースに出なかったと松本が語っていたことがある。筆者の好みではないが、とんねるずの二人も立ち姿はそれなりに決まっている。木梨においてそのキマリ具合は顕著である。

やはり若いうちから見られなれていることと、運動神経が問題なのだろう。それもスポーツ万能であるとか、走るのが速いとか言う運動神経ではなくて、所作にかかわる日常的な運動神経だ。我々の身の回りでも、所作が美しくない人は「ドンくさい」と言われるが、これはスポーツ感覚の良し悪しとは関係がないように思われる。

話は急に宇多田ヒカルに飛ぶ。自分からこの人の唄が聞きたくてCDを買いに行こうとかは思わないのだが、ちゃんと歌える若い人が出てきたと言う認識は持っている。残念である、と言うのか、ちょっと怖い、と思えるのは、テレビで見た彼女が踊っていたことである。

多分その曲調から、それらしいソウルフルなダンスが必要であるとプロモーションする側が考えたのではなかろうか。当然そこには黒人歌手に見られる首の傾げ方、手の動き、上体の倒し方などが含まれる。しかしああいった動きは日常会話で激しく両手をメディアとして使う習慣からしか生まれてこないのではないか。ここでメディアと言っても、ありがちな別冊宝島的寒い解釈はしないでいただきたい。音声や表情と同格の意思疎通手段として、という言葉どおりの意味である。

宇多田ヒカルのダンスは、見事に両足が固定された「手踊り」であった。これでは、何ら音楽的教養のないアイドルやビジュアル系とやらの「ダンス」と変わらないのだ。それではいかんのではないか。

手踊りの究極と言えばやはりジュリアナダンスであろう。彼女たちの動きは見事に固定された足を軸に上体を揺らすだけと言うはなから人様に見せることを断念した、しかし彼女たちはそんな断念など考えもしない、恥ずかしいものであった。

2011/07/29追記:手踊りの究極形として、パラパラの出現を見通せなかったのは失策だった。何も予言者ではないから失策などと言うことをいう必要はないのだが。
宇多田ヒカルを長期的に売りたいのであれば、ああいうアイドルにでも着せるべき動きは必要ない。そういうことがしたいのであればクラブを探せばいくらでもやりたがるいたいけな若者がいるであろう。もったいない真似はしてほしくないのだ。狙いがあくまで中高生だと言うならそれも仕方がないのかもしれないが、歌手本人が気の毒である。ポストアムロなどというレベルで彼女のことを考えていない、という事務所側の発言を何かで見聞きしたが、それならじっくり育ててほしいものである。そして、私のようなひねくれ者が喜んで買いに行くCDを作ってほしいのだ。

などと書いてきたが、実は宇多田ヒカルの登場で一番嬉しかったのは、何を隠そう、その母親である藤圭子の若いころの映像が流れたことであった。おお。なんてかっこいい歌声。おお、なんていい女。こんなお姉ちゃんに訳のわからない世界へ連れていってもらって、しまいには朝焼けのゴールデン街の路上で背中を刺されてくたばり果ててみたいものだ、などと夢想したのである。でももういいお年なのだなあ。命短し恋せよ乙女だなあ。ゴンドラ。

宇多田ヒカルに関する後日談。スーパーで買い物をしていたら彼女のものとおぼしき歌声が聴こえてきた。私はその音楽のあまりのつまらなさにへなへなとへたりこんだ。それは例えて言えば単なるスピード感のある演歌だった。なんだ、普通じゃん。騙されかけた。今後を見ないとなんとも言えないが、ううううううううううう。

更に10年近くたっての後日談。その後の宇多田さんは踊らなくなって、ワタクシはほっとしています。それにいい歌を聴かせてくれています。あの人は大丈夫でしょう。すごい才能だ。
"Prisoner of Loveいう曲がお気に入りです。同時代人の、しかも自分より年下の人を評価するのは難しいが、この人はたいした人です。もっと歌ってくれい!などと書いていたら、宇多田さんがスランプだという記事を発見。すぐに消えてしまうのでリンクじゃ無くてコピペしておく。
<br> 2010年8月に「しばらくの間は派手な『アーティスト活動』を止めて、『人間活動』に専念しようと思います」として休業していた歌手の宇多田ヒカルが、ラジオ番組で仕事復帰するという。  昨年11月には、映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズの第3作の主題歌として2年ぶりに新曲を発表しているが、関係者からは「以前からウワサされたスランプからは抜けていない状態」という話も聞かれる。  音楽ライターによると「知人には“以前は神様が下りてくるように浮かんだメロディが浮かばない”と漏らしていたようで、先日の新曲も、実はもっと前に書かれたストック曲だったという話」だという。  ただ、その人気は相変わらず高く、休業中も新曲のオファーは絶え間なく続いていたようだ。 「特に休養中は、宇多田の復帰作が主題歌になれば話題になるからと、映画やドラマの関係者からのアプローチが多かったそうです。ただ、肝心の創作活動が鈍く、過去のストック曲の掘り起こしだけでなく、秘密裏に外部ソングライターと接触して協力してもらっているとか」(同)  アーティストの中にはほかの作曲家に曲を書かせて高値で買い取り、作曲クレジットを自分の名前にするという手法をとっている者もあり、もし宇多田もそうした手を使うのであれば、スランプは本当だということになる。 「もともと彼女は楽器があまり弾けない人。以前、作曲方法を聞かれて鼻歌だと答えたこともありましたが、普段から楽器を弾いていてアイデアを生むという習慣もなく、コンピューターソフトを使っての作曲なので、これまでも多くの裏方ミュージシャンに手伝ってもらっていましたからね。こういうタイプは、スランプに陥りがちだとは思います」(同)  ただ、拠点であるニューヨークの音楽関係者からは「作曲手法よりも、出せば必ず売れるという神話を守らなくてはならないプレッシャーが大きすぎた様子」という話も聞かれる。 「以前、激太りしていたのも、そうしたプレッシャーによる過食だったと聞きました。サバサバしているように見えますが、実際は結構ナイーブ」(同)  休養中の“人間活動”は「友人たちと食事や遍路、フランス語の勉強、またオンラインゲームにハマったりしていた」というのが関係者から聞かれる宇多田の近況だが、本人は「自分の家賃も知らない。イタイ大人になってきてる」「できたら外国でボランティアとかやりたい」とも語っており、若くして成功した人が陥りやすい空虚な感覚が、スランプの根底にあるのかもしれない。本格的な音楽活動の再開を待ちたい。 (文=鈴木雅久) 2013/03/25追記。
それから、ジュリアナダンスをはるかに超える手踊り、パラパラの出現は、その出現を予測できなかったのが悔やまれるほどに当然のことであった。迂闊だった。以後、この失態をを肝に銘じて生きていこう。

タモリについての付記。
タモリという人は、言ってみれば天皇制における天皇に近い。おお、言い切ったぞ!しかしこれは、「黒澤天皇」といった場合の「天皇」とは意味が違う。天皇機関説における天皇に近いのだ。確かにタモリという人、少なくとも過去の、30代のころのタモリではなく、今のタモリは、おもしろくない。現代的意味でおもしろくない。彼個人の芸人としての意味はもはや無いといってもいいぐらいだ。しかし、あの人が番組の中心に据えられ、番組名も「タモリの」と付けるだけで、周りの芸人やスタッフの元気が出てきているように見受けられるのだ。そしてまた、視聴率も間違いなくコンスタントに稼ぐ。元気が出てくる、というのももしかしたら褒めすぎで、「タモリの」と冠された番組は高視聴率を稼ぐゆえに若手芸人もタモリを立て、登竜門として利用していると言うだけの話かもしれないが、それならなぜ視聴率が高いのかという循環にはまってしまう。水戸黄門みたいなものとも違う気がする。謎だ。
タモリはもはや触媒となっているのかもしれない。タモリ自身はタモリであることから一歩も動かず、周りを活性化させるのだ。いつか小林信彦さんが危惧していた、「タモリのモリシゲ化」は、性格俳優の方向に、片岡鶴太郎的みっともない移行を遂げることはなかったが、まさかこういう形で「モリシゲ化」してしまうとは。もうこうなったら、ワタクシはタモリを、コメディアンとしてではなく、なにか得体の知れない象徴として見守ることにしよう。得体の知れなさはタモリの出現時からの特性であるからしてそれでいいのかもしれない。

2014/03/13追記
タモリは若手芸人から馬鹿になどされていなかった。ワタクシのひいき目がそう見せていたのだと思う。笑っていいとも終了後のタモリがいったいどこへ行くのか、興味は尽きない。いけるところまで行ってくれ、俺たちのタモリ。



あれ?うちの前に濃い緑色に塗ったマイクロバスが何台も停まって軍歌を流しながらなにか言ってるぞ?けしからんとか言ってるけどどうしたのかな?あいこくしんがやすくにでじしゅけんぽうがこくたいのほっぽうりょうどでみしまのしょうねんへいが貴様に天誅を加えるなどといいつつワタクシを無理に捕まえて・・・・・・・・・・・



いわゆる「日本の英語教育ってやつは」について
1999/3/15 17:21

「町で外国人に道を聞かれて、英語だったんだけどちっとも言ってることが分からなくて、ああ、わたしの中学高校の6年間の英語は一体なんだったの、って思った」などという発言を四六時中聞くのである。四六時中は嘘だが、良く聞くのである。それも唯の述懐として聞くだけではない。この発言を引いて、続けてこう言う方々がおられるのだ。「だから日本の英語教育はなっていないし、私が/私たちの組織が勧めるこの学習法に移行するべきなのだ」と。

結論から言うと、馬鹿言ってんじゃねーよ、である。じゃあ何か、何年に一度あるかないかわからない英語話者である外国人のみを対象とした道案内の為に学生は何年も学校に通って、社会は唯事ではない額の税金を使って学校を運営しているのかね。ふざけちゃいけない。

それよりも何よりも、まず聞きたいのは、学習者の責任は問われないのかということである。例えば歴史小説を読んでいて、「ああ、もっとちゃんとした日本史に関する知識があれば、ここに書かれてあることをより深く楽しめるのになあ。畜生。学校の歴史教育ってやつはなんなんだ」と嘆く人や、「俺が医学部に受からなかったのは数学が出来なかったからだ。数学教育が悪い」と怒りに燃える人がいたとしよう。彼らは同情に値するか。

おそらくは日本の英語教育攻撃が手を変え品を変え出てくる背景には、まずそれが商売として成り立ってしまう構造と、現状否定による自己の意見の格付機能が働いているものと思われる。商売人はどんな理由でもそれらしければ用いるから絶対に上記のたわごとを止めることはないだろう。それはそれで仕方がない。それを否定するのはほとんど実行不能な革命運動だ。

たちが悪いのは現状否定によって箔を付け、更に商売に使おうと画策しつつ、経済原理ではなくもっとピュアな動機から動いているかに見せたがる卑しき人々だ。佐藤何とかと言う予備校の先生(やっちゃん/キンピカ先生とか呼ばれていたなあ)がかつて、「今までの英語教育とは全く違う教育方法で教えています」と言っていたが、そうですか、としか言いようがないではないか。筆者はいわゆる応用言語学を言語学の一分野であるとは思っていないし、名称を言語教育学と変えるべきではないかとまで考えているが(後で読んで相当に誤解を招く発言であることに気が付いて慌てて付け加えるが、研究としての言語教育方法の実効性には何ら疑いは持っていないのである。問題があると思うのはその名称のみである。この名前では例えば文法理論の応用としての機械処理研究などを連想させてしまうのではないか、ということである。)、その応用言語学分野の知見をやっちゃん先生は知っているのだろうか。知るはずがないのだ。知っていたら絶対に「全く新しい」などというたわごとは吐けるものではない。

こういったしょーもない人々はさておくとして、実際問題として「日本の英語教育」は駄目なのか。私は、一定の成功を収めていると思う。なんだかんだ言われながらも、大学入試を終えるころにはそれなりの努力を払った人は辞書を引き引き自分の専門分野の英語文献を何とか読めるようになっているし、更に語学を専門として勉強を続け、通訳や翻訳などで立派な仕事をする人は珍しくないではないか。本屋に行けばありとあらゆる分野の書籍が外語から翻訳されているし、テレビで伝えられる外国のニュースを通訳している人が特別な人だと言うわけではあるまい。

日本で行われている英語教育が、良く言われるように読み書きに重点を置いていることまでは否定しない。しかしそれは教室における集団的教育の場合仕方がないことではないか。他の科目でも例えば理科の実験はいかにも少ないし、美術や音楽などの時間を必要とする科目に割り振られたコマ数の少なさと言ったらない。これらの教科の共通する問題は、集団教育の難しさであって、それは外語教育独自の問題ではない。もっと会話が出来るような教育を、と一見もっともな発言が多々あるが、実は会話は読み書きより需要が少ないのではないか。

日本に暮らしている限り、英会話が出来なくて困るケースは、読めなくて困るケースより少ないはずだ。まず日本語で話しかけようとしない不躾な英語話者に道を聞かれた、などはカウントする必要すらない。会話の需要が読み書きを上回る状況に身を置く人は、必ずほっといても身につける。心配は要らない。人間の環境適応能力をなめてはいけない。

ところで、「学校の英語の授業は何だったの」と嘆く人って、読み書きに関しては水準に達していて、三角関数にもひるまず、年表を間違いなく再構成できて、シトシン、アデニン、グアニンと言われて何の事かピンと来て、絵画や彫刻の有名作品を知っていて、代表的な交響曲を聞くと誰の作品だか分かった上でそう言っているのだろうね。そして何より、今つかえる言語である日本語での活動に恥ずべきところは無いのだろうね。

とまあ偉そうな事をほざいてきたのだが、無邪気な外語・外国コンプレックスが実は経済発展や社会の拡大の一要因になった可能性は否定しないのだ。それは十分にありそうな話だし、追いつき追い越せで焼け跡を大都会に変えた人たちを侮辱することは出来ない。取って付けたようなことを書き始めたとお思いかもしれないが、実際取って付けているのだ。上の偉そうさを何とか中和したくて書いてみたのである。自分が納得できないことは書いていないつもりなので、嘘は無いのだが。釈然としない今日この頃である。


引用だらけ、林真理子を考える
1999/3/16 18:24

筆者が管理人を務める掲示板で何の気なしに林真理子の出産に言及したところ、意外なほどの反応をいただいた。量ではなく、質的に濃い反応であった。

こわかった。

それは嘘だが、林さんの存在は実にクリティカルな問題であると思い当たったのである。

林−アグネス論争と言えばご記憶の方も多いと思うし、ご記憶どころか、林さんと言えばアグネスという認識の方も少なからず居られるのではないだろうか。筆者の狭い見聞で、あの論争に関してもっともクレバーな判断を示されたのが中島梓さんであった。以下、中島梓(1991) 『コミュニケーション不全症候群』から、該当する部分を引用したい。


 また卑近な例になるのであるが、少し前に、かのアグネス・チャン論争というものがあった。いってはなんであるが、これこそいわば現代におけるコミュニケーション不全症候群の全症例、といった観を呈したものであって、とにかくこの「論争」に関わっていた人たちは、それぞれに一応も二応も知識人として世に立っている人々であるはずなのに、そのなかの誰一人として、相手のいうことを耳にいれようとはしていないのであった。むしろ、いかにして相手のいうことをきかないまま、あるいは曲解したまま相手をこてんぱんにやっつけるか、ということに、大量の情熱がむなしく注がれていたのである。この論争はたぶんみなさんご存知だと思うが、念のために注を加えておくと、そもそもはタレントであるアグネス・チャンさんに子供ができて、その子供を仕事場につれてゆくのが非常識だとかそうでなくてつれてゆくのが当然の親の心情だとか、あるいはまたアグネス・チャンさんがついに国会で証言をしてもっと子連れの母親のために援助してほしいと述べるとか、子供連れでレストランにゆくのは心あたたまることなのか、それとも非常識かとか、はてはアグネス・チャンさんが中国人で、しかも芸能人であるので特殊なケースであるのにすぎないとか、アグネス・チャンさんの講演料が誰それさんより安いとか高いとかいや実はそれはまちがいで百万円ではなくていくらだとか、人の財布のなかみまでをせんさくして非常なさわぎをくりひろげたものである。

 私見としては、誰よりも誰の講演料が安いとか高いとかいったことを口にしたり文章にすること自体がたいへんにプライドのない話ではあると思うが、それはまあ趣味の相違であるからしかたがない。世の中には、たしかに、講演料の多寡によって自分の評価をはかることもあるであろう。それはまあいいとして、この「論争」と称するもの全体に共通していたのは、まったくの現代的心性というべき、「他の存在様式にたいする想像力の欠如」の氾濫、ということであった。

 この、「論争」の、子供連れで仕事にゆくとか、子連れでレストランにはいるなんてとんでもない、という、非難のほうの一方の大将格であった作家の林真理子さんは今回めでたく結婚されたが、それで結婚生活にはいって御自分が子供連れになるかもしれない、ということは、作家として全く想像されなかったのであろうか。もし自分が子供をつれて、どうしても仕事にゆかなくてはならない都合が出来た場合、なんといえばいいのか、あるいは子供ができたらもういっさい、前に非難した手前、アグネス・チャンさんのような行動にあたることはしないという、不退転の決意なのだろうか。林さんはこのことについてなにか言及しておられるのかどうかいまのところ目にしていないのだが、これだけは是非ともききたいものである。もうひとりの急先鋒はこれまた独身の映画評論家の女性(中野翠さんである:引用者注)であったが、この人がもし結婚して子供をもったとしたら、どのようにふるまうのであろうか。

 もちろんそれは、アグネス・チャンさんのほうでも同じで、要するに私の感じたすべての根本的な事柄というのは、この人々は自分の立場というものを絶対の、唯一無二のものと信じる事が出来るから、その上にたってこれほど力強く他の人間にひどいことがいえるのであろうということであった。用もないのにこの論争に加わってきて、とてもしゃれたことのつもりで、アグネス・チャンさんがあくまでも子連れで仕事をしたいというのなら、講演の壇上に子供をつれてゆき、赤ちゃんが泣きだしたら叩き付けて殺せばよい、それができるならば尊敬するというようなたわごとというよりも狂人の言を弄していたきわめて「知的」であるらしい評論家(これは男性)がいたが、ここまでくると、ではまずその本人が自分の子供に同じ事をしてみて、いや、同じ事を他人にいわれたと仮定してみたらどうなのだとしかいいようがない。しかしこういう書くだけでも思わず手が怒りに震えてくるような非道なことを書くようなおとこは、もちろん独身であって、想像力をうごかすすべもないのである。こういう手合いは本人を壇上からたたきつけるしかないであろう。こういう男にも母親はいたのである。そしてかつてはこんな男もかわいい赤ちゃんとしてその母親に抱かれていたはずなのだ。私は自分の子供に、このような言辞を弄する事をレトリックであると思い、言われたほうの心の痛みをさえ嘲笑いかねない「知識人」にだけはなってほしくない。




以上の引用で言うべきことは言い尽くされているように思うのである。私はこの本で強力な洞察力による社会評論が読むに値するものになりうるということを学んだのである(より正確には、それ以前にも『ベストセラーの構造』を中学か高校のときに読んで大分影響されたことがあった)。各論的には必ずしも賛成できかねるところがあるのだが、それは言わずもがな、当然のことだろう。他人が書いたものだし。そんなことより、彼女の書くものは、知識人の持ちうる力であるとか、発言とはこうやるんだ、とか、普段なら素朴な理想に過ぎないではないかと、自分の中のすれっからしを気取りたいいやな部分が邪魔をする種類のものの見方を教えてくれるのである。恥ずかしくないのである。堂々と影響されたいのだ。中島さんの論理は、そういったちょっと斜に構えた知識人のポーズを間違いなく叩き潰す潜在的力を持っている。下手な「振り」は危険である。

林さんである。燃えるハートを持った冷静な理論家である中島梓氏や、拙掲示板の良心とひそかに私が呼んでいる方々に何らかの反応を林さんは何故にさせてしまうのか。何か言うたびに「てめーは黙ってろー!」と思わせるなど、たいしたタレントではないか。林さんはルー大柴みたいなものなのか。それも作家の才能か。

深いぞ、林。
こっちには来ないでくれ、林。
子供には罪はないが、林。
旦那はいったい、林。
林林。
林にがいかしょっぱいか。


遥か後になっての後記(2008/07)

ワタクシはこの文を書いて数年後に子供を持つことになった。いやもう可愛いの何の。もう手放しで可愛いね。蝶よ花よだね。ついでによその子も可愛くなっちゃったもんね。子供の可愛さってもんが分かるようになっちゃったんだもんね。どの子もどの子も天使のように愛らしいよ。ま、うちの子には負けますがね、へへ。どうだこの開き直り。

いやもう、子供を持つって本当に素晴らしいことだと思いましたよ。親馬鹿プログラム全開で発動しまくりやがって(メンデルめラマルクめダーウィンめローレンツめサトマーリめスミスめ、よくも俺の体にプログラム仕掛けやがったな!と筋違いなテレを見せるワタクシ)、公園でよそのおじさんやおばさんに覚えたばっかりのお辞儀をした息子が(お辞儀の意味など二歳の当人は分かっていない)、「まあまあ、ごていねいなごあいさつありがとう、おりこうさんねえ」なんて言われると天にも昇らんばかりの心地ですよ。保育園の先生に「物覚えがよくて、穏やかで優しい子ですよ」なんて言われた時は、もう今ここで死んでもいい程の多幸感に包まれたね。息子が笑うと天上の調べが聴こえ、息子が音楽に合わせて踊ると、一緒に踊ったもんだ(ちなみに、長男が始めて踊った曲は、Miles Davisの"Dingo"に入っている、"Club Entrance"という実にダンサブルかつエロティックな曲であった)。どーだ!親ばかだろう!ははははははははははは!

オムツもミルクも楽しくてねえ。「あー!いっぱい出たねえ」なんていいながら喜んでオムツ交換したもんだ。「はいころーん」なんて言っておむつ交換のため寝かすと、「こどーん」なんて真似しやがってねえ。きれいな新しいオムツをはいて、気持ちよくなってうれしそうな笑顔よ。一緒にお風呂に入って、全身どこも怪我なんかしてないか見ながら洗ってやる楽しみよ。シャワーを怖がるので、タライで汲んだぬるいお湯でシャンプーを流した後のさっぱりした顔よ。湯船でいつもワタクシが言っていた「気持ちいいねえ」、「あったかいねえ」を口真似しやがって、「もちいねえ」、「たったかいねえ」と、風呂に入るたびに言うようになった笑顔の愛らしさよ。風呂上りに体を拭いてやるとこちらが拭きやすいように手をあげたり足を出したりすることを覚えてねえ。わはははははははははははははははははははははははははははははははははは。肩車が大好きで、散歩に行くと帰りがあるというチエが無いもんだからどこまでもどこまでもとことこと歩きやがって、へたったところで当然のように「あっこあっこ」と肩車を要求してきやがるあの両手を広げてワタクシを見つめる目の輝きよ。うっひゃー!俺ごときを本気で頼りにしてくださってますぜ、旦那!嬉しかったなあ。楽しかったなあ。

しかし書いておきたいのは、子供を持たない幸せ、という選択肢がこの世にあるのもまた確かであり、結婚しない自由、子供を持たない自由などを否定する気はさらさらありません、ということです。ワタクシははるか昔、まだまだ子供は愚か結婚などしないと考えて生きていたころ、満員電車の中で幼稚園児とその母親がそれぞれ一人分の席に座っているのを見て、「俺なんか学生だから立ってて当たり前だが、一日仕事で疲れた勤め人に席を譲れよな」などと考えていたものです。しかし今はその狭量さが恥ずかしい。幼児を抱えた母親や父親、それに限らずケアテイカーがどれほど疲れているかを知っているからです。今は両方の立場が分かるゆえに悩ましいものがあります。

ともあれこの幸せを、林さんは書けないのである。あははははははははははははははははははは。あれほど自分の結婚で記者会見など開き、「よくもこんないい人が残っていてくれました」などと公開ノロケまでやった人が(覚えてる俺が俺は嫌いだ)、これほどの幸せと喜びを書けないのである。

週刊文春の連載エッセイで、ワインだ着物だ担当者のサカキバラ君がオペラで旅行して夫がパソコンをダイエットで担当者にほめられて黒木瞳と林真理子は今や働く女性の憧れ二代巨頭ですよなどと雑誌に書かれて私が言ったんじゃなくてアンケートなのよなどと貴様その業界にいながら「接待」に気づけよ的発言をし女ざかりなのよワタシなどと私生活自慢で忙しいあの林さんがである。

お前読んでるじゃないのと突っ込まれそうであるが、椎名誠さんと小林信彦さんのエッセイを読むついでに目がつい走ってしまうこともあるのだ。そしてその度に、椎名さん小林さんとの、比べるのも失礼なほどのクオリティの違いに目の汚れを感じるのである。

林さんを挟んだ形で掲載される椎名さんと小林さんが、ついでに東海林さだおさんもまことにお気の毒であるとファンとして悲しみに耐えない。特に椎名さんには『岳物語』、小林さんには『パパは神様じゃない』というなんとも優しい心温まるその上親であることの切なさまで描いた親馬鹿名著があるからなあ。

『岳物語』の岳少年が「おとうはいつもじぶんのかんがえでおれをいかったり、こうやってかってにおふろばでかみのけをきったりするのはなんでなんだ」と涙をこぼしながらはじめての反抗をするシーンや、一緒に釣りに行って「息子に負ける分野ができたな」と椎名さんが思うシーンなど涙ものである。椎名さんはお風呂場での岳少年の反抗に戸惑いつつ自立心の芽生えを嗅ぎ取り、お金を渡して息子さんに床屋さんに行かせるのだが、帰ってきたときの息子さんのいままでの坊主頭とは違う、自分で選んだスポーツ刈りを見てなんだか満足な気分になられるのである。泣かせるじゃないか。

『パパは神様じゃない』でも、娘さんが全身をくるむタイプの子供着を着せられ、いかにも歩きにくそうなのに気づき、足先の布をを切ってやったら転ばずに歩くようになった描写や、グルーチョ・マルクス(いや、違う。チコかハーポだった気がする)の動きって子供の動きだなと照れを押し隠しつつ愛娘の動きを伝えるあたり、僭越な物言いながら、見事なものである。

山下洋輔さんもエッセイの中で、ヨーロッパ長期ツァーから夫婦で帰ってきたら、小学校低学年の息子さんが「すっかりアキラメてしまい」、なかなか寄ってきてくれなくてご夫婦でおろおろするシーンをあの見事な山下文体で書いておられる。訪問先のドイツ人の子供が、もっとソーセージをくれと「シンケン!シンケン!」とデモをするのを見て、「当然の権利だ。もっと食え」と書いておられるのも実に読む側として嬉しいものであった。

筒井康隆さんに至っては、もし息子が泥棒になったら、わたしゃ息子を信じておりますから、これはきっと泥棒というのはとても良いことであろうと確信し、一緒に泥棒になる、とまでおっしゃっておられる。この方にはやっぱりかないませんわ。以前エッセイで、最初のお子さんが御誕生前に残念なことになってしまったことを「面白おかしく」書いておられて、ガキンチョだったワタクシには到底分からなかったその時の筒井さんの深い悲しみとそれを見せまいとする文筆家としての強靭な精神力が今になって少しだけ理解できるような気がします。とんでもない人のファンになって生きてきてしまったんだなあ。時々、筒井康隆を読まずに育った自分の可能性まで考えさせてしまう作家とは何者であろうかとまで思ってしまいます。エライ方につかまってしまったものである。
そりゃまあ、フロイトやラカンがお好きな点や、血液型信仰をお持ちらしい点や、『科学の終焉』の監修をやっている筒井さんはワタクシに悲しみをもたらすのですが、じゃあ何故悲しいのかと自問すると、無限ループ状態である。筒井さん、ワタクシの心を乱すのはやめて下さい。あ、こうやってファンは筒井邸に侵入するまでにいたるステキな関係妄想まで抱き始めるのであろうか。
筒井邸の庭で自分が筒井康隆の妻であるという確信のもと、当然のようにホースで水を撒いたり、『七瀬ふたたび』のモデルは自分であると思い込み、長文の手紙を送りつけ、その中で自分が恐怖の大王であるというホロスコープによる証明まで開陳しておられる方とか、『新興宗教オモイデ教』のモデルは自分の友人だと、あ、これは大槻ケンヂだ。
大槻さんには「文学な人たち」という電波ファンが沢山おられるのだ。大槻さんの偉いところは、「文学な人たち」との接近遭遇をちゃんと作品にしておられるところだ。『新興宗教オレ教』の歌詞とか、前述した『新興宗教オモイデ教』とか、電波度は薄めてあるけど、『ロッキン・ホース・バレリーナ』なんてもう涙ものだよ。登場人物たちが知り合ってすぐに旧知の間柄みたいになっちゃう仕掛けなんか、もうロード・ムービーそのものだ。「野原」の歌が聴きたくなったぞ。「七曲町子」の切なさといじらしさよ。ファミリーパークではしゃぐバンド馬鹿達の愛らしさよ。「十八で夏でバカだった」なんて出だし他の誰が思いつく。自分の中に「十八で夏でバカ」なもう一人の自分を抱えていないととても書けないし読んでも共感できない。『新興宗教オレ教』はとうとうワタクシの愛唱歌になってるし、俺は相当大槻さんにやられちまったな。なんかワタクシの好きな物書きの方々には共通して電波系のファンが多いな。中島らもさんのファンサイトもへんちくりんな熱気で怖くて近づけなかったしな。
「椎名さんの原作者」であるという自覚を持って講演会場で盗作を抗議するおばさんとか、「椎名さんと交わした大事な約束」を守って駅前で待ち続け、「どうして来てくれないんですか」と泣き声で事務所に電話する女とかな。山下洋輔さんにはいないのかな。いても山下さんの超超超繊細な感覚がそれを忌避し、書かないでおられるのやも知れぬ。
あ、一人いた。よれよれの犬を連れ、深夜の酒場で教えを請う若者に、自分はもう薬と酒で手が震え、ときどきピアノが弾けないこともあるのだ、と語り、お前もジャズマンなんかに憧れるのはよせと諭す「もう一人の山下洋輔」がいた。山下さんは、「破滅の予感に怯えながら深夜の酒場に現れ犬だけを連れた孤独な姿で若者を諭す、これがジャズマンの鑑でなくてなんだ」ともう一人の山下さんにエールを送っておられたな。でもこの場合は電波というより憧れが転じてしまったのだろうな。

そういえば山田正紀さんも『我がデビューの頃』という作品で御自分がお子さんをお持ちになった頃のことを思い出しながら、どんどん御自身がおかしくなっていくストーリーの中でさりげなくお子さんへの愛情を書いておられたなあ。流石に小説上手の山田正紀さんらしく、ストレートに「子供がかわいい」と書かないあたりがニクイ。お見事でございました。
いやもう皆さん素晴らしい。筒井さんや大槻さんのように、そこまで人をやっちまうってのは、すごい才能だと思います。とか言ってるうちに、完全に子供の話から逸脱してるな。話を戻します。

あの、それぞれに独自の個性をお持ちの(これは一家を成す方には当然のことではありますが)、ワタクシが尊敬するお方々がお子さんへの愛情を抑制した、これまたそれぞれ独自の表現技術で描いておられるのが昔は分からなかった。「へー」ぐらいの感想でも持ってただ面白がっていたんじゃないかなあ。でも、子供を持ってみて読み返すと、なんとも微笑ましい(尊敬するかたがたには失礼な表現ではありますが、ほかに言葉が見つかりませぬ。平にご容赦を)、そして素晴らしい親ばかぶりでございます。

週刊文春をたまに買ったりするのは、椎名さんと小林さんと東海林さん、土屋さん目当てである。書評や映画評はほとんど読まない。特に中野翠さんのは当てにならん。あとは文春らしい、一見したところではそう見えない巧妙なプロパガンダが多いので、ちょっとやっかいな雑誌である。 あの雑誌がソフトな外見の誘い水になって、『文芸春秋』を読むようになり(いやまあ、文芸専門誌としてのみ評価するならいい雑誌だと思いますが、ここでもコラムやなんかで詰まらないつまらない記事が多いのよね)、しまいにはおおなんと、『諸君』にまで誘い込もうとする魂胆が見え見えである。まあ、大部分の『週刊文春』の読者はそんな手に引っかかったりしないし、『諸君!』を読む人たちは『週刊文春』や『文芸春秋』とは層が違う上に、ほっといても『諸君!』な方々であろう。ついでに『正論』でもあることであろう。がんばってくだせいましよ。おら、遠くから見守るだよ。

林さんである。書きたかろうになあ。それはそれは書きたかろうになあ。母親になった喜び、子供の可愛さ、人生がもう一度始まるような毎日の生活。子供が出来たことによって得られるご近所や親戚との新しい付き合いの形、この子の為なら我が命など何ほどでもないと思わせるあの笑顔の美しさに湧き上がる高揚感。初めて自分を「ママ」「パパ」と呼んでくれたときのあの感動、この子と会うために自分は産まれてきたのだという確信すら持たらす「絶対」の発見、 etc.etc. 書きたかろうになあ。死ぬほど書きたかろうに。

書いて書いてぶっ書いて、原稿用紙をうず高く積み上げて床が抜けるほど書いて、パソコンの1テラHDDをUSBで300台接続してもまだ足りぬほど書いて(テキストファイルで、である。OSがWindowsであった場合、「コンピュータ」をクリックすると外付けハードディスクが300個並ぶのが見える(いったいどんなドライブ名が付くのか)。電源が落ちないように担当編集者が相当な無理をさせられたらしい。)、「先生これだけの量は出版できません」と言われてもなお書いて、あっちこっちのコラムやエッセイや対談を片っ端から子供の話で埋め尽くしたいのであろうなあ。

さらには「素敵なママ」としてママ雑誌業界に進出し、子供と一緒のグラビアなど撮影させ、

(このときカメラマンに指名されることを恐れた篠山さんは、突如としてマッキンレーに覚悟の登山をして遭難、偶然にもその超人的な生存能力で生き延びていた植村直己さんを発見してその姿をカメラに収め、辛くも二人して下山に成功、その年のピュリッツァー賞を受賞することとなった。植村さんの無事な姿を見ることができて世界が感動したという。次に指名されそうになった立木義弘さんは持病の生理不順が悪化したといってイルクーツクの病院に入院したそうだ。また、伝聞だが、撮影時のメイクさんは次々と心的疲労のため現場で倒れ、うち二人は帰らぬ人となった。倒れたメイクさんはその数125人。照明さんのなかにはもう二度と光を見たくないといって自ら目を突いた人8人、レフ板を見ると幼児退行するようになった人14人、チベットへ巡礼に出た人1人、転職して環七ラーメン戦争に参入した人1人、NASAに就職するといってなぜかグレイシー柔術を始めた人1人、自己啓発セミナーに取り込まれた人45人が含まれるという事態を招くことになった。幸いにも目を突いた人たちはその場に偶然居合わせたブラック・ジャックによって視力を失うことからは救われたが、その後の行方はようとして知れない。同情したブラック・ジャックが報酬を要求しなかったことと植村直己さんが発見されたことがこの事件の唯二の光明と言えよう。アッチョンブリケ。)

それはもちろん照明に死ぬほど(まあ、前記のとおりの事態になったのだが)気を使わせて撮った五千枚のネガの中から自分がいちばん若く見える写真をフォトショップで加工して掲載させて(フォトショップは何度再起動してもフリーズを繰り返し、やっとレタッチに成功したら今度はOSが保存を拒否したというが本当だろうか?)、子供の成長につれて教育本や「はじめての子育て」本や、はては「ステキな御一家振り」を写真入りエッセイ本で出し、それでも足りずに子供を芸能プロダクションに押し込み、文壇内の力を利用しせこいコマーシャルに出させたりして全国民を絶望の淵に立たせたりしたいのであろうなあ。

歯噛みする思いでおるだろうな。地団太踏んでおるだろうな。食い破ったハンカチはすでに二兆枚に及ぶであろうな。ゴキブリほいほいを問屋からおろしで四億五千五百三十八万六千二百五十八個→


(この数はヒランヤとトルマリンと道路工事の棒振り人形からなる東方の三博士の導きによって中野翠さんと清明神社へ出かけたつもりが間違ってジョージ・アダムスキーと近所の公園の滑り台に出かけ、二人してヘモダダ神との交感と称して交互に滑っているうちに滑り台に生じた摩擦熱がきっかけとなり、レムリア大陸の神官の御宣託が東京拘置所にいる麻原彰晃が作り出した熊本ラーメン式増幅装置つき八次元環状バイパスサービスエリアのカルシウム回路を通じて地獄の底から舞い上がり、フリーメーソンの陰謀の一端として林さんの第十六次元の松果体に重力波通信で知らせた数である)
→半年先決算の手形で買って問屋と銀行を機能麻痺に追い込み、洛陽のほいほい価を天高く昇らせ(闇取引のほいほいは最高値で一個三百二十万円にもなり、投機の対象としてオイルマネーが流れ込み、一時的に世界的な原油安を招いた)、床といい壁といい天井といいドアといい柱といい冷蔵庫の扉といい冷蔵庫冷凍庫の中の平面、風呂や洗面所はもちろん、あらゆる家具家電製品の外面内面、屋根や家の壁面、屋根裏の建材、床下にはさかさまに、庭全体にも隙間なく、庭の立ち木にもくまなく曲線に沿って、果てはまな板や包丁の表面にほいほいを貼り付け、自分の体にももちろん選び抜いた絹糸で縫い合わせオートクチュールなのよなどといいつつほいほいをステキに着こなし、「うけけけけけけけ」などと哄笑しておるのだろうなあ。これは未確認の情報だが、その哄笑はタキオン通信で1992年の麻原彰晃に時間を逆行して伝わり、あの忌まわしい一連の事件を引き起こす遠因となったのではないかと一部消息筋では囁かれているらしい。

原稿を取りに来た担当者にもまずほいほいを貼り付けないことには

「赤色巨星化した太陽の下燃えたぎる虚無を内包するゼータ関数によって導出された天保の大飢饉たる虚数 i と京風ラーメンの思い出をメビウス変換した明日への希望からなる情念がまるでビッグバンの遥か後エントロピー無限大の涅槃の宇宙に蘇るごとく、猫じゃらしの草をわが身の見果てぬ実存として換骨奪胎せんとするために平城京は雨の中いまだ来たりぬゴドーの腸捻転をカツオだしとトップクォークと夏祭りの花火からなるトリニティの御名において太古の海へとワープさせなければフーコーの扇風機が止まらないのでこれを全身に貼って一緒に都はるみのレクイエム13番嬰ト短調を声高らかに歌いつつ地球が正289角形である理由を探しに七つのこの子のお祝いの海へ十六畳用バルサンで出かけましょう。おっす!おら悟空!よろしくな!」

などと言っているのであろうなあ。グーグルアースで林さん家を見ると、驚いた事にまあ、微妙に配置され金色に塗られたほいほいが「怨!アグネス」と読めたりするんだろうなあ。それを見たNASAとNSAとモサドが協力して調査に当たっているが、「あれはプラズマです!」と言い張る人が出てきたりしてたいへんな騒ぎになっているんだろうなあ。いやまあ、ワタシがその立場だったらそうするというだけの話ですが。

ま、それ(ワタクシの妄想)はそれとして、書きたいのであろうなあ。書きたいのであろうなあ。 しかし、書けんのじゃ。書いてはならぬのじゃ。それも自ら招いた結果として書けぬのじゃ。
しかし一方で、林さんがお子さんを愛しておられるのは他の親たちと変わりはあるまいとも思う。であればこそ、中島梓さんが書いておられたように、「作家としての想像力は働かなかったのか」という疑問も浮かぶのだ。
なにゆえあそこまで他者の事情に踏み込んで激烈な非難をなさったのかが判りかねる。もって他山の石としよう。





Saussureによる暗黙の理想化について、なんちて
1999/3/16 23:31

先ほど駅前のサンクスにトマトジュースを買いに行ったときにふと思いついたこと。

実はSaussureのいうlangueは相当の理想化が隠されているのではないか。Chomskyはその研究の初めから、言語について語ることが単なる印象論に終わることや、反証の方法すら見つからないただの言いっぱなしになることを避けるために、理論の定式化以前の、理論を立てるとはどういうことなのか、ということに実に意識的であったから、自分の行う研究において何を取り入れ、何を理想化し、何を扱わないか、という重要な点をかなり明確に宣言している。研究対象を文文法に絞り込むことで、「言語を研究する」という行いが曖昧で素朴な解釈を受けないようにもしている。素朴理論による日常的解釈に理解を委ねることなく、まずフォーマットを作るところから始めた、と考えていいのではないか。それゆえ、それが狙いであったとおり、Chomskyの行う理想化というものは俗耳に触れやすいものとなり、期待しない結果としていらぬ誤解を生んで来ているのだが、あらゆる真剣な探求には理想化は不可欠ではないのか。そして、Chomskyにおいては目に触れやすい理想化が、実は他の研究フォーマットの中にも潜んでいるのではないか。

Saussureという人に対する無理解から来る批判はほとんど目にすることがない。しかし同時に、理解から来る賞賛も同様、目にすることはすくない。ことに文芸評論家や現代思想家という人たちの書くものに現れるSaussure像は、Saussureの『講義』を読んでいてはとても想像できない異形のものになっていることがほとんどである。無理解から来る賞賛は、彼の発言としてとんでもない誤解が広まる点では、無理解から来る批判と実害において変わることがない。まあこういうことをここでいったとて実に無意味であり、彼らいったんそういう物事の処理の仕方を選んでしまった人たちは聞く耳を持たないだろうから、関係のないところで生きてほしいと望むしかない。何にしろ「彼らのSaussure」は評論家・思想家諸氏のお気に入りらしい。

ここでの目的は、別にSaussureを非難することなどではない。現代の知見という高みから過去を非難するのは卑怯以前にこっけいでしかない。例えば、世界の知覚において、我々はただ単に語彙の体系が示すようなやり方で恣意的に世界を分節しているのではないことを現代の理論は教えてくれている。認知的焦点が知覚に大きな制約として働いていることは常識である。しかし、この現代的認識を持ってSaussureの二重の恣意性を批判するのは的外れだ。と同時に、いつまでもSaussureと言っていさえすれば何か重要なことを言い得たかに錯覚しているのはそれ以上に滑稽である。何か新たな解釈を発見したか、またはその思考法の研究において価値あるものを掘り当てたか、そういう特別な事情がないかぎり、また、学史的興味などに裏打ちされないただの格づけのための言及であれば、しないほうがましである。

ここで愚考したいのは、実はSaussureの記号の体系は、強力な理想化なしには成立しないのではないか、と言うことだ。

互いの差異によって成立する記号が全体として構造を成している、というテーゼだが、この構造はいったいどこに存在するものとして考えられているのか。誰かが編纂した辞書の中、文法学者による記述、社会にあるありとあらゆる発話の総体、どれも不適当だろう。前二者は量的に足りないことがすぐに分かるし、発話の総体は矛盾の巣窟だ。おまけにSaussureの考えでは発話はparoleに属するから、記号のシステムとしてのlangue研究には不適当だ。

例えば個人の色覚語彙を考えてみよう。あなたは目の前に置かれたプリズムの放つ色の帯の、任意の一点に付いて、確信を持ってその名前を挙げていけるか。これが出来る人はそうはいるものではないだろう。まったくいないかもしれない。ところが、語彙によって世界の認識が構築されていて、更に語彙は全体を埋め尽くすように構造化されているのなら、このような事態は起こってはならないのではないか。いまあなたは目の前の色に付いて、全く名前を見つけられないにもかかわらず、それを認識しているのだから。

それではこの事例を持って、語彙が体系を成していというのは誤りであると断言し得るだろうか。答えは否である。我々一人一人の語彙には限りがあって、個個人がパフォーマンスレベルで全ての事態に対応できるわけではない。が、しかし、ここに理想的な辞書、理想的なlangueの具現を想定するならば、そこにおいては全ての語彙があるべき場所におさまり、世界をその価値によって分節している、と考えることが可能だったのではないか。

いま「可能だった」と書いたのは、すでに上で触れたように、Saussure的langueが、すでに現代の理論としては不充分だと考えるからだが、ここでの問題は理想化である。Saussure言説が立つものとして考えても論旨に違いは起きない。

完全に構造化されたlangueを考えるときに、それが実現されるのは特定の個人においてではなく、また社会の総体においてでもない。理想的な語彙の貯蔵庫を想定し、そこにおいて実現される体系として捉えるほかないのではないか。そう考えると、Saussureの言語観は、始めに述べたように、強力な暗黙の理想化を前提としている。そして、この理想化は、明示的に宣言されていないため、いたずらな批判を受けることもなかったのではないか。

あらゆる理論化において成り立つと思うのだが、理論を書くという事はそのまま理想化を行うことを前提とするのではないか。いたずらに玄学趣味・哲学ごっこをやりたくはないが、自然言語であろうと、数学・論理学などに用いられる人工言語であろうと、言語という強力な代替システムで記述するためには、単純化と理想化が不可欠であろうし、複雑な現実を単純化して写し取ることこそが、言語の大きな機能なのではないか。だから、記述という行いにおいては理想化はたんに不可欠であるばかりではなく、その行いに内在的な性質だ、と考えることは出来ないだろうか。などということを考えてみたりして。ちくしょ。みすず臭くなっちまった。くそ真面目に書いて落ちが見つからない。悲しいなあ。



歯を食いしばって林真理子を再び考える
1999/3/19 23:7

なぜか再び林真理子を考えている俺。どうしちまったんだろう。 タイトルの「歯を食いしばって」はナンシー関さんの使われた表現だ。 誰についてのエッセイだったか、とにかくイヤで目障りでしょうがない人物についての考察の前ふりとしてこの表現が使われていた。まことに言い得て妙なる言い回し、パクらせていただいた。

さて林さんである。奴は子供が出来てから「子供については書かない」という宣言をした。大したもんである。それでなくては。それでなくてはなんにも一貫性がないし、他人に言いたい放題のことをいう恐ろしさすらわからないゴミだと宣言したようなものではないか。流石に覚悟は出来ていたのだな。

などと思っていたら甘かった。奴にスジとか責任とかプライドとかを求めるのがはなから人間視してしまうという根本での誤りであった。あれはただのブタだ。

以下に少しだけブタの呻きを引き写す。辞書が学習してしまうといけないので学習をOFFにして書いている。

週刊文春99/3/25より引用
「もうちょっと何とかしてください。今まだ恋愛モードに切り替わらなくって。」
と私は言った。
「体中からそっち方面の興味が抜けてしまったみたいなの。(後略)」

何を臭わせたがっているか明かではないか。「子供のことは書かない」?これじゃあ書いてるのと変わらんよ。いつものことだが、ほのめかすな。臭くてならん。

ところがこの頃、そういう元気がなくなってしまったのである。
わりと好きだった、中間小説誌の中の、官能小説というものも読まなくなった。世の中にはそんなこともあるであろう、という心境である。こんな私に、どうしてめくるめく性や恋の小説が書けるであろうか。

もともとお前の書くものなどはめくるめくもクソもないんじゃい!ろくすっぽ男に愛されたこともないヨゴレが女性週刊誌的欲望で顰蹙を買うだけの落書きだろうが。ここで言いたいのはなにかぁ?もしかしたら「母性の神聖さ」かあ?他の誰が言ってもいい、お前だけは言うな。お前はそれを言う資格をとうの昔に自分から捨てておるのだ。

なにもこんな物言いをしなくとも、と思われるであろう。申し訳ない。しかしこれが外国でつっぱらかって生きている人をあれだけぼろくそにけなした者の言うことか。もう奴には触れることはあるまい。皆様、お見苦しいところをお目にかけました。土下座十連発。


久々にトヨエツが見れるなあ
1999/3/19 23:36

久々にトヨエツ主演のテレビドラマをやるらしい。嬉しいなあ。私はホモだが、いや、ホモではないが、トヨエツは好きなのだ。最初にカッコええなあと思ったのは『青い鳥』という連続ドラマであった。めったにドラマなど見はせんのだが、なぜかはまった。あとで聞けば、そのドラマは圧倒的に時間と予算をかけたものであったらしい。何でも下手な日本映画ほどのロケーション、撮影期間、予算をかけたとのことだ。静かな男がぎりぎりまで追い込まれて、平然(トヨエツの抑えた演技でそう見えてしまうのだが、静かな芝居で苦悩も悲しみも慈愛も表現している)と状況を受け入れる姿が美しかったのだ。なお、『青い鳥』については、こちらで多くの方が御自分のハマリ具合や分析や時には納得のいかない部分についてなど様々な見地から書いておられます。それだけ視聴者に葛藤を生むドラマだったのだと思います。

ちなみに、このドラマでトヨエツの演技がとりわけ素晴らしかったのは、清澄のホームで離れ離れになりそうな母子の姿に耐え切れず、悲しみと切なさが入り混じった表情から、硬い決意の表情になり、駅員の制帽を投げ捨て、詩織(鈴木杏)を抱き上げ、かほり(夏川結衣)の乗った電車に飛び乗るシーンであるとワタクシは思う。トヨエツの一連の表情を追うカメラが明らかに手持ちで、画面が揺れる演出もニクイ。動き出した電車の中で、しばらく何も言わず、三人の表情だけが雄弁だ。トヨエツとかほりはお互いの目に互いへの信頼と旅立ちの高揚感を見出し、突然のことに驚いてはいるものの、やはりトヨエツを信頼して首に手を回して抱かれている詩織。そのままの姿勢の三人を乗せて動き始める電車。吹っ切れた表情で「三人で暮らそう」とトヨエツ。駅のホームでは取り残された前田吟と美希子(永作博美)がそれぞれの立場、つまり前田吟さんは駅長として、トヨエツの父として、おなじ男としての反応、美希子は幼いころからずっと好きだったトヨエツが去っていくことの驚きと悲しみを一瞬の演技で見せる。何じゃあの完成度は。夏川結衣の芝居も良かった。夜の高原にトヨエツと並んで横たわり、

「こんなにしずかな気持ちで人を好きになったのははじめて・・・・・よかったなぁ・・・・・・駅長さんに会えてよかったなぁ・・・・・・・・・」

そういいながら静かに涙を流しているではないか。

おおおおおおおおおおおおお。これで落ちない男はおりませぬ。誰かあのときの夏川結衣を一頭捕獲して朕に献上せよ!

佐野四郎のかほりへの、それ自体は無垢な愛情も、裏切られる悲しみも良かった。かほりの遺骨を抱えて、一人になってやっと号泣できたシーンは本当に悲しい。この人何にも悪いことしてないのに奥さんのかほりを理森に取られちゃうんだよ。この人から見たら目茶目茶に不条理だ。

もうひとつこれはきれいだと思ったのが、成長した詩織とトヨエツが、一日に一回だけ潮が引いた時間に島への砂の道が出来る、その道を、ななななんと超望遠で撮影しているシーンである。6年越しの約束の地に、まるでこの世に他の誰もいないかのように二人きりで、手を取り合って島へ歩く二人が超望遠撮影ですぞ。しかも後姿ですぞ。なんちゅうことをしさらすねん!泣きそうになったじゃないか!

音楽もよかった。実によかった。S.E.N.S.という音楽集団の手によるものらしいが、これがまあ美しいこと。成長した詩織が理森(トヨエツ)をかほりの小さな悲しい墓に案内するシーンでの音楽の入り方の絶妙さは何事か。テレビドラマでもあれだけの作品が出来るのだなあと感じ入ったワタクシであった。音といえば、湖に身を投げる直前のかほりを追って背の高い枯れた草むらをトヨエツがやってくる時の風の音よ。悲劇を予感させる強烈な効果音になっていた。ああ、このドラマについて語るときりがないな。いつかトヨエツ全作品評価を個人的にやりたいと思うのだが、この作品は下手すれば映画も含めてのナンバーワンになるかもしれない。はあ、はあ、はあ、はあ、はあ。俺少し異常なのかな。

もうこうなればついでに書いてしまうが、永作博美の芝居も良かったのだ。特に何だあれ。永作の実家でやっている飲食店でのトヨエツとの別れのシーンは。6年の刑期を終え、やっと戻って来たと思った理森がまた遠くへ行ってしまう。言いたくていいたくて仕方がなかったことをやっと勇気を振り絞って口にするあの芝居は。

「ね、だめかな?」
「私も北九州に行っちゃだめかな?」
わずかな沈黙の後黙って永作を柔らかく抱き寄せる理森。
「ずっと、ずっと、すきでした。ずっと、それが、いいたかった」 幼いころから心に秘める形で愛してきた男、しかも辛いことに自分を幼なじみとしてしか見てくれない男にはじめて抱きよせられ、歓喜にすら至らない驚きの表情。抱きかかえられて長年の夢が叶い、泣きじゃくりながら理森の背中に手を回すが、理森はそれ以上、つまり受け入れるような抱き方をしない。
「幸せになってくれ」慈しむように、苦しそうにささやく理森。
「おしまい!」無理に作った笑顔で理森の胸を押し返す永作。
振り向きもせずに理森が店を出て行った後、一人残され、泣き崩れる永作。

何なんだ!いったい!あの芝居は。テレビで見せていいようなもんじゃないぞ。ちゃんと金払って見たいぞ。
ちなみに、ワタクシはこの文章を、まったく記憶だけを頼りに書いています。はあ、はあ、はあ、はあ、はあ。俺やっぱりおかしいのかな。強調しておきますが、ワタクシはホモではありません。いや、別にホモでもいいけど、今のところ違います。はあ、はあ、はあ、はあ、はあ。ちょっとイタイちゅうしゃがほしいな。



遡ってトヨエツ主演作品を洗った。『男たちの描いた絵』は見事にあの連作のエッセンスが一本の映画におさまっていた。脚本家、偉い。喫茶店でトヨエツが車の衝突音で人格変換を起こすシーンのセリフの上手さよ。見事だったなあ。死を予感させるエンディング間近の、愛した女がテレビで歌うのを見る虚勢と愛惜と悲哀の表情。両手にそれぞれ音叉と拳銃を持ち、自分はいったい誰なんだと床に身を伏せる姿。全部ぜんぶ良かったです。他にも、これはありがちなプロットではあったものの、『愛しているといってくれ』などは、トヨエツ以外の役者では成功しなかったのではないか。実を言うと、あのドラマでのトヨエツの手話は、動きとして美しすぎて、現実の手話言語として通じるのかどうかワタクシには判断がつきません。ともあれ、社会の枠からおっこちそうな人物をやらせればトヨエツは実にいいのだ。

美容院などで女性週刊誌を読む。ある時トヨエツの評価が載っていた。なんでも、私生活において女を捨てたとか、ドラマの役柄で印象がいいだけだとか、馬鹿な事が書かれていたのだ。女性誌の、いや、下世話な女性誌の役者観というのは昭和初期か。それがテレビやスクリーンの前でしか役者に触れる事のない我々になんの関係があるのだ。そんな所で評価するなよなあ。

私も、『ナイトヘッド』のビデオに収められていたインタビューで、トヨエツという役者の素に近い(カメラが回っているから、あくまで近いと思われる、である)しゃべりがかなり軽薄な印象を与えるというのでちょっと驚きはした。そのいささか軽い所のある男が芝居に入ると渋くてかっこいいから偉いのではないか。役者は与えられた役に殉じて、年がら年中役通りの人格をもって振る舞わねばならないのか。くーだらない評価基準である。

いろんな表現者たるあり方があるが、役者はきついだろうなあ。作家や画家、作曲家は、作品が誰の目にも明らかな別存在としてうつるから、人格評価などには踏み込みがたいし、舞踏家などは生身ではあるが、踊る姿はどう見ても通常のあり方ではないから、そこに見る側が理想的人格を押しつけて鑑賞することもあるまい。あ、作家が直接人格評価されてしまうケースは目の前にあった。つまり林さんのごとく自分のことばかりを書く場合だ。これは好かれ嫌われが激しい。上手なやり方で雑文エッセイの仕事をこなしている作家はいっぱいいるのにね。

ともかく、ずいぶん久しぶりにトヨエツが見れるなあ。ホモである友人にあれはいい男だよなあ、君はどう思うかね、と聞いたら、うーん、僕はタイプじゃないなあ、と抜かしおった。タイプの話はしてないぞ。ついでにどんな男ならいいんだ、と尋ねると、藤原竜也ってかわいいよね、だそうだ。マジで答えんなよ。ワタシもホモでさえあれば共感できたのだろうが、すまんな、ホモじゃなくて。来世こそは!


丸い氷


1999/3/22 22:49

もう何年前になるか、バーにこったことがあった。カクテルバーである。そのまた何年か前に友人たちの間にちょっとしたカクテルブームがあったのが伏線となっていた。数人で狭い部屋に集まっては『バーテンダーズマニュアル』などという本を紐解いてはカクテルのつくりっこをしたものだ。いまは新聞社で働く立派な社会人となっている男など、仲間の一人の作るブルームーンというカクテルの味の虜になり、毎日夜になると「もう一杯!」と飲みまくり、当時集中的に読んでいた米軍特殊部隊の訓練や実戦の記録を深夜の街で再現するという暴挙に出たものであった。

丸い氷に出合ったのは、何軒かのお気に入りのバーのカウンター特等席に当然のごとく座る暗黙の権利を手にしてしばらくしてからの事だ。もちろんその権利を手にするためには胃袋に大量のカクテルを投入し、またバーテンとジャズCDのやりとりをし、もう少しドライめで御願いするなどというええかげんにせえよかっこつけんのもよう!的努力があったのだ。

ここはお任せでぴったりのものが出てくる、と見込んだ店で、いつものようにアロマティック・ビターズを大量に投入したマンハッタンを味わっていると、カウンター上に見慣れないラム酒の瓶があった。ふとその味を知りたくなったので、ちょっとこいつを味見させてもらえませんか、などとほざき、ええ、御願いしますよ、などというシャレた返事と共に出てきたグラス。ラムの中で丸氷様はたゆたっていた。

げげげ。なんだこの氷は。確かにシェイカーに入れる氷に角が出来ないように氷の作り方や削り方に思いっきり気を使うものだというのは本でも現場でも学んでいたが、グラスいっぱいの大きさのコスタリカの遺跡のごときまん丸な氷は初めてだった。丸氷は光を通しグラスや酒との屈折率・色の違いからまことに玄妙なきらめきを放っていた。

ほへー、奇麗なもんですねえ、と感心する私にバーテンはにやりとして言ったものだ。御身はいつもカクテルしか飲まれぬゆえお目にかける機会がござらなんだが、実はそれがし、ストレート系の飲み物にはこういう技を使うことも御座る、ただしこの氷は手が掛かる上量的にも不経済、味の分かるもののふにしか使わぬ秘伝の技で御座るよ、ははは、愉快愉快。

いーぃやったー!こういう扱いをされるようになればなんとかやっと半人前の客ではないか。努力のかいがあったなあ。それ以来、その店に行くと、たまには香りのいいバーボンなどをロックで御願いすることにした。だけど丸氷はいかにも大変なので気が引けるのよね。

何故このような益体もないことを書きつづってきたかというと、先ほどテレビをぼけーっと見ていると、客の入りの悪いバーのバーテンが、銀座の超一流カクテルバーに弟子入りして勉強し直すというプログラムをやっていたのだ。その中で、貧乏バーテンは丸氷をなんと「初めて見た。知らなかった」と言っていたのだ。おいおい。作り手がそれじゃいかんのではないか。

番組はつつがなく進み、貧乏バーテンも下手ではあるがなんとか形になりそうな予感を漂わせつつ番組は終わりに近づいた。しかし、驚いたのは彼のバーの紹介であった。立地は道頓堀の真ん中。えええー。そんな場所で商売しくじるのー。それも凄いのだが、それよりも、開店時間が7時から12時まで、日曜祝日閉店、という案内には驚いたよ。そんな立地条件でそんな客商売があるか。なめてんのか。その場所で商売できるのならいくらでも苦労したいという全国1000万人のバーテンに替わって天誅を下したい。北千住のホッピー親父たちを毎晩送り込むのだ。錦糸町や横浜どぶ板横町の皆様を特別ゲストで招いてもいい。いやならちゃんといい仕事しろよ。



人工脳におびえる

1999/5/10 3:40

数日前、テレビで立花隆・筑紫哲哉・広末涼子をレポーターにした科学最前線紹介番組をやっていた。煙草が切れていたので途中で買いに行くタイミングをはかっていたのだが、とうとう最後まで動けなかった。11時を過ぎると自動販売機が死んでしまうので、ちょっと離れたコンビニまで買いに行かなくてはならないから、こういう事態は困るのである。

面白いテーマばかりだったのだが、特に歩行ロボット、再生医療、宇宙の観測映像、などが心に残った。はっきり言ってこれらは自分にとっては間違いなくエンタテインメントであった。各論的な事はもちろん分からないし、研究者が間違いなく得つつあるだろう新たな認識も、その臭いをかぐことしかできないが、基本的にこれらの研究は、そりゃあそういう方向に行くでしょー、と思える物だった。出てきた結果は凄まじいが、基本的にテクノロジーの問題で、根っこにあるサイエンスの精神は、俺などが言うもおこがましいが、完全に共感できるのだ。

ひっくり返ったのが、ATR研究所で行われているという人工脳の研究である。

最初は高度に発達したソフト的ニューラルネットワークの事だろうと思って見ていたのだが、どうも話が違う。よく聞いていると、なにやらニューロンの結合をソフト的に実現するのではなくて、ハードからして脳のモデルになりうるアーキテクチャーでやっているらしい。後で調べて知ったのだが、ハード的にプログラマブルなプロセッサがあるのだそうだ。つまり、回路を書き換えることが可能なプロセッサである。

今はまだ人間から見たら萌芽とも呼べないレベルらしいが、その可能性は恐ろしい。なんと言っても回路が問題解決に成績を上げられるようにどんどん書き換えして瞬く間に進化していけるのだ。研究者(Hugo de Garis)によれば、人間を超える能力を持つ可能性があるのだそうである。

人工脳には生理的な制約はもちろん、大きさに関する物理的な制約もないし、人間神経細胞の伝達速度は髄鞘化神経でせいぜい音速だと聞いたことがあるが、実にやつはこれに対して光速だ。ソフトシミュレーションではなくて、ハード的実現だから恐ろしい。スイッチング速度だって比較にならないほど速いだろう。やつのネットワークは死なないし、構成要素数が減っていくこともない。やつが学習したことをそのまんま別の人工脳に移すことだって簡単だ。

こういう話を聞くと、俺としてはもういきなり妄想を逞しくして自分の妄想におびえてしまうのだ。人類はついに「人間以上」を作ってしまうのかも知れないのだ。生物進化は新たなフェイズに入って、究極の知性を作ったことで人類の役割が終わるのではないか、進化の目的は実はこれだったか、知的活動はぜんぶやつに任せて、人間の仕事は、もうすっかり何をしているのかも分からなくなってしまったやつの更なる進化のために、機械部品を磨いたりする職人的なものや、電線のメンテナンスしか残らなくなるのではないか、んで、それすらも やつの生み出した作業装置の方が役に立つようになってしまって、ついには人類は必要が無くなってしまうのではないか、やつに隠れて山奥で暮らしている未来の俺が昔こんな文章を書いていたことがばれて思想犯として奴の作り出した殺戮機械に粛正されるのではないか、その時俺はトラのパンツを穿いているのではないか、そのトラのパンツは縦縞なのではないか、俺はそのトラのパンツが結構おきにで、七枚持っていて曜日ごとに穿き替えるのではないか、その日の天気は薄曇りで、トンビが東の空にくるりと輪を描くのではないか、そのトンビの名前はピーちゃんで、いつもは俺のいい話し相手になっていて、メスのピヨちゃんとのけんかの仲介などしているのではないか、けんかの原因はピヨちゃんが最近ピーちゃんに冷たくなったことで、実はその影には隣山に住む男っぷりのいいピースケ君の存在があって、ピースケ君はピヨちゃんにしょっちゅう虫を分けてくれるし、小鳥の卵を二つのストローで飲んだこともあって、ピヨちゃんはピースケ君と並んで飛んでいるときなど、なんとなく淫猥な雰囲気を漂わせる草むらが気になって、そんな自分が恥ずかしいけどちょっとうれしい、などと考えているのではないか、そしてそのことになんとなく気がついたピーちゃんは、自分と比べてどうにもかっこいいし気前もいいピースケ君に劣等感など抱きつつ、でもあいつは誰にでも優しい奴だから、俺も好きだし、などうじうじしているのではないか、などなど。

ATR研究所のHPや、立花隆のHPを見ると、人工脳にコラム構造やモジュラリティーが出来てくるのを待つのではなくて、上から大体の形として与えてしまうことが検討されているらしい。ひえー。コラム構造って論理的な帰結だったのだなあ。「出来てくるのを待つ」と言うことは、生理的な必要ではなくて、「回路の論理」上そうなるのが自然だと言うことだろう。俺はあれは生理的必然だと思っていたのだ。そういう話になると、今度はどこまで人間の脳のアーキテクチャーを与えるかという問題が出てくるのではないだろうか。

つまり、運動を司る部分、性欲や食欲や意欲の座、睡眠のスイッチ、そういった物はまるっきり必要ないのだろうかという疑問が出てきたのだ。人間の意識を作っているものは、必ずしも前頭葉的認知計算領域だけではなくて、こういう動物部分と知的部分の絡みで帰結的現象として意識が生じているのだと野蛮な素人としての俺は思うのだが、いま仮に動物部分と呼んだものを備えない知性はもはや想像すら出来ない存在だ。

高度に発達した人工脳を最適に働かせるためにはそういった動物部分を備えることが必要だということを人工脳自身が発見したりすると面白いのだが、そうではなくて、そういった物はまるで必要なくて、生物の背負ってきた進化の歴史から脳が否応なく備えている爬虫類部分などはむしろ邪魔なものとして一切備えない知性が誕生してしまうのでは無かろうか。

また妄想だが、そういう知性に対する人間最後の抵抗として、誰でも考えそうなのが、「じゃあお前に生きる感動はあるのか」の類であるが、俺の妄想の中で膨らんでしまったやつはそんなのにひるんだりしないのだ。やつは自分の中に夢も希望も欲も生み出せるハードを備えた、「ヴェルテルモデル」を作りだし、そいつに「若きヴェルテルの悩み」をさせたり、話し合いにやってきた最高の修行僧を「ブッダモデル」と話し合わせて感動させたり、もーなんでも人間が出来ることならやり遂げてしまうに違いないのだ。

ところでこのような超知性が使う言語はどんな性質を持っているだろうか。例えば小松左京の「虚無回廊」では、宇宙の生物・機械知性全ての言語がある一定の制約に従っているとしか考えられない言語観が提示されている。いわば宇宙的UG(Universal Universal Grammar)である。 これはもちろん、チョムスキーたちのUGとは完全に別物である。なんとなれば、人間の生物学的制約に決定される言語の初期状態をUGとチョムスキーは考えているからだ。そもそも発生系統が違う異星人の制約はまた違ったものになるだろうし、小松左京のUGはいっそモンタギューのUGに近い。生物学的制約の結果ではなく、論理の制約から、個別言語が備える文法は全て一定の性質を持つ、というものだ。どっちかというと世間的にはこれをチョムスキーのUGだとする誤解が多いようだが、チョムスキーは、人間には人間であるという事自体が制約になっていて、言語も知性もその制約から逃れることは出来ず、宇宙全体を理解しつくすことは出来ないのだ、とまで言っている。

生物的制約のない人工脳はどうか。やっちまうのではないか。なにをかというと、うう、つまり、神をだ。

きょう立花隆の本が欲しくて書店に行ったのだが、サイトで見られる以上の情報は無かったので買わずに帰ってきた。それはいいのだが、書店でBrain Valleyという瀬名秀明の小説を見つけてぱらぱら眺めると、やはり人工脳がらみの作品で、面白そうであった。スキャンしただけで感想などは反則だが、よくもまあこれだけ広く浅く情報を使うなあと感心したのだ。皮肉ではない。もちろん誉め言葉である。あまり突っ込まない方がいい領域には浅い触れ方しかしていないあたりなど、学者的良心と作家的技術の融合を見る思いだ。

その視点から一つ面白かったのが、上巻の終わりに出てくるチンパンジーのニムやボノボのカンジに言及した部分だ。ニムとはつまりニム・チンプスキーという名前を与えられたチンプくんだが、ここで彼のフルネームに触れていないのは作者の学者的謙虚さの現れでは無かろうか。ニム・チンプスキーと言ったとたん、ノーム・チョムスキーに触れないわけには行かなくなるし、そうなると今度は、先端はもとより、基礎すら社会的に知られていない一連の知見をずらずら並べなければならないのだ。このバランス感覚はかっちょいい。トラのパンツあげたい。




進化する階層

1999/5/10 21:9


人工脳におびえるあまり、これからは生物学を知らないとにっちもさっちも行かないのではないかと考え、書店に出かけてなんとか読めそうな本を買ってきたのである。J・メイナード・スミスとE・サトマーリ共著の『進化する階層』という本である。

他にもいろいろ面白そうな本はあったのだが、この本を特に選んだのはやはり最終章で言語の進化を扱っていて、それがとっかかりになると思ったからだ。最終章がとっかかりというのも変な話だが、馴染みのある分野が生物学者にどう扱われるかは大変に興味深いし、遺伝情報の読みとりに言語学用語が流用されているという有名な話もあるので、共通点を発見するのが非常に楽しみである。

関係ないが、久しぶりに現代思想の書架を眺めたのだが、あるわあるわ、「冒険」「新解釈」「最前線」「精緻な体系化」「知」「円環」「反復」などなどのさぶさぶ用語。君たち、寒くないタイトルはようつけんのか?

さて、『進化する階層』、喫茶店で序文と最終章を取り敢えず読んだ。精読というわけではない。いきなり最終章を読むのはどうかとも思ったが、どうしても目がいってしまうし、読んだ結果、独立して読める内容であった。

ちょっと驚いたのだが、序章を読んでいるうちに、方法論というのか、考え方が言語学とよく似ているのに気がついた。例えば、以下の引用などは適当に語彙を数か所入れ替えればまるで言語学の話だ。

われわれの説明は化学的にも、自然選択の点からも、ともに納得できるものでなければならないという点にこだわることができる。これは、考えられる理論にきびしい制約を課する。実際に、対立する理論のどちらを選ぶかよりも、化学的にも自然選択の上からももっともな理論を発見することに困難がつきまとう場合が多い。さらに理論は、現存する生物に照らして検証できることが多いのだ。
しばしその類似した考え方は何に起因するのだろうと悩んだのだが、これはつまり経験科学共通の方法論がどちらの分野でも通用していると解釈するべきだろう。いやはや、言語学と生物学が同じ土俵で協力しあえる時代が、お題目ではなくやってきているのだ。

序文における次の発言も喜ばしいショックだった。

本書を書くにあたって、分子遺伝学から言語学まで、生物学について多くのことを学ばねばならなかった。
明らかに生物学の一分野として言語学を捉えている。こういう時代になっているのだなあ。言語学が今だ払拭しきれないイメージ、つまり、言語学とはいろんな言語に通じている人が古い文献を調べて語源を突き止めたり、似た言語間の関係を調べたり、まあ趣味的でいいです事、というイメージが少なくともアカデミックには消えているのだ。これは、言語学をやっているのですか、文系なんですね、英語出来ていいなあ、と言われると激しくむかつくと同時に説明の気力すら失う俺としては実に嬉しい。

さて、いきなり読んだ最終章、言語の起源についての考察部分である。

Chomsky,Pinker,Gopnik,などの名前は当然のごとく出てくるが、生物学者の評価がよく分かってメチャ面白かった。自然選択などの基礎概念すらおぼつかない俺ではあるが、彼らがPinkerの方向を高く評価するのは納得できるし、Gopnikの研究がUGの遺伝の証拠として強く彼らに印象的であったのは当然だろう。ChomskyのUGに関する主張が行動主義との比較の上で圧倒的に説明力のあるもの、生物学的にも妥当なものとされているのは心強い。

だがしかし、やはり彼らも典型的な誤解から免れていない点が散見できたのは、それが話の大筋には影響しない部分でのこととはいえ、少々残念であった。

というのは、例えば次のような生成文法解釈である。

コミュニケーションの中では、意味は線形(一次元)の音の配列(あるいは聾唖者言語では身振り)に転換される。チョムスキーはこの配列を「表層構造」と呼んだ。
生成文法における表示間の関係を、本来の論理的関係ではなく、時系列的派生関係として捉える、どこにでもある誤解である。つまり、生成文法の文法モデルを、定義装置ではなく、生産装置としてしまう解釈である。工学者の書くものに必ずと言っていいほど見られる誤解(東京大学出版会編「知の技法」参照) だが、ここでもやはり同じ陥穽に落ちてしまったのだ。また、「表層構造」は「線形(一次元)の音の配列(あるいは聾唖者言語では身振り)」ではなくて、階層を持った表示であるし、「意味」から転換されるものでもない。「深層構造」を意味であるとする典型的な誤解である。

X-bar理論に関してはテクニカルに間違った事を言っている。

the cow with the crumpled horn kicked the dog.
the dog ran round the mulberry bush.

を対比させて、前者には動詞句はないが、後者には動詞句が含まれているので、原始的な言語においては後者は使えなかったに違いない、という部分だ。この二つの例では、もちろんどちらにも動詞句が入っているので、少なくとも例としては不適当だし、句構造に関する理解が足りないと思われる。だが、恐らく名詞句の構造が最初に発現して、そこから拡張していったのではないか、という想像などは、流石に生物学者は「拡張」という概念を実に自然に取り入れることが出来るのだな、と不思議な共感を覚えたのだ。

非常に細かいことかも知れないが、翻訳にも問題があった。「動詞の論述構造」「要求構造」と訳されているのは文脈から見て明らかに「項構造」(argument structure)だろう。ここで言うargumentとは、関数に対する独立変数に他ならないから、より数学に馴染みのあるはずの訳者は他の訳語を考えるか、望ましくは言語学者に術語の確認をするべきではなかったか。また、syntaxを「構文」としてしまっているのも、いささか誤解を招きかねない。普通では、syntaxは統語論であるし、構文はconstructionという。

ともあれ、やはり非常に勉強になる議論であったことは間違いない。特に、ゼロ要素に関する部分は考えさせられるものがあった。簡単に言うと、もっとも単純で経済的な説明方法をとるとゼロ要素が必要になるのだが、生物は必ずしも最も簡単な方法をとっていない場合があるので、経済性を基準とした理論化が妥当なものだと保証することは出来ない、という主張だ。チョムスキーがあちこちで書いていること、言語は知られている限りでは余剰のない経済的なシステムであり、これは生物の中では驚くべき特質である、と言うことに、真っ向からぶつかる。面白い面白い。この点ではチョムスキーが負ける結果になった方が個人的には嬉しい。

この章の白眉だと思われるのが、言語能力の遺伝は認めざるを得ないとしても、種的獲得研究は全くのミステリー、サイエンスの対象にならないというチョムスキーの見解に異を唱えるくだりである。これには拍手を送りたい気持ちと、人間知性は全てを解明できるのだろうか、という疑問がせめぎ合うのだ。知性があらゆる現象に対して通用する力を持つものならば、種的獲得を闇に置いておくのは全くの怠慢だし、一方では、人間には生物的限界があって、その限界が知性の光が照らし出せる範囲を自ずと限定している、という考えにも説得力を覚えるのだ。これは、知性とはなにか、という科学と言うより哲学の問題になりはしないか。人間知性は全てを観照できるのか。

言語のこれからの進化に触れた部分では、新たな言語能力の性質について基本的な誤り(新しい構文について語られる部分)が見られたが、それでも遺伝研究の場として言語を研究する可能性が論じられていて夢は広がるばかりだ。

痛快な場所。ラッセルとソシュールの語彙観を比較しているのだが、ソシュールは概念と音韻の結合として語彙を把握していたようだが、と正確に援用している。こういう理解を誰よりも喜ぶのは当のソシュールなのではないか。かっちょいいではないか。現代思想君たちよ、引用とか参照はこういう風にやろうね。



生物学をなめてはいかん

1999/5/22 15:18

サトマーリとスミスの『進化する階層』をきちんと読むためにはとにかく膨大な前提知識が必要であることが、まあ、はじめから分かっていたのだが、読むに連れ身に染みるのであった。

ちゃんと検討しながら読めたのが最終章という「階層」をウルトラトップダウンで下る読み方をするわけだが、それではいくらなんでもまずいので、DNAの基礎知識を得ようと思って買ってきたのが講談社ブルーバックスの『DNA学のすすめ』柳田充弘著、である。

一回素読しただけであるが、分かったのは半分以上分からないと言うことである。まあ最初は雰囲気がつかめればいいのだ。そして、なるべく頭の中で勝手なモデルを作ってしまわないように、書かれていることに従順に読んで行って、疑問をほおって置かなければそれなりに不十分ながら理解できるだろう。そうでも思わないとキッツいです。

激しくキッツいのは確かなのだが、ジェットコースター的面白さがあるのもまた確かである。「現代人の常識」的になんとなく分かったつもりでいたことがどれだけ誤謬に満ちたマスコミたれ流し情報に毒されていたか。そして、なんとまあ生物学とはダイナミックで想像力をかき立てる分野であることか。少しでも分かるのはやはり嬉しいので、ページのあちこちが疑問符と線だらけになってしまったのだ。

こういうのはスローガン的雰囲気に酔う邪道につながりやすいのだけど、ほほうと思ったフレーズや文ををいくつか引用したいのだ。

pp.107
研究者は常に合理的な説明を好み、不条理なものを嫌う。イントロンの存在は分子生物学者に難問をつきつけているといえよう。イントロンの発見は、生物が常に合理的であり経済性を追求しているという、多くの生物学者の信念を否定するかのようである。

pp.113
DNAコード配列→タンパク質のアミノ酸配列→タンパク質の立体構造→タンパク質の活性、と流れる情報が完全に把握される時、生物学の根幹は、記述的、経験的なものから真に理論的な構成をとるようになるだろう。

pp.153
くわしい研究結果によると、RNAポリメラーゼのホロ酵素は、DNAと弱い結合をしながらDNAをレールのようにして動き回り、転写開始のシグナル(プロモーター配列)に出会うと、しっかりと安定に結合する。

上の3番目の引用部分を読んだ時は目の前に映像が浮かぶようであった。我らの細胞の中では年がら年中そんなことが起きていたのか。めちゃめちゃ面白いではないか。

などと分かったようなことを言うのが僭越しごくなのは百も承知である。基礎訓練の出来ていない素人が他分野に手を出すとえらい事になるのは知っているから、あくまでファンの立場でじりじりと読んでいきたいものである。

専門家の方には単純な話で、もしかしたら疑問としても成立しないものかもしれないのだが、不思議に思った事が一つあるのだ。それは、真核生物の細胞が分裂する時に、核内のDNA複製がなされて、それが娘細胞に渡される、というのは分かるのだけれど、その時ミトコンドリアも必ず同期的にやはり分裂しなければならないような気がこの素人はしてならないのだが、ミトコンドリアは核内DNAとは別個の環状DNAを持っているそうなので、この同期的な分裂(?そうなるとして、だけど)を保証するものは何なのだろう。

とここまで書いてからエンカルタで調べると、ミトコンドリアは細胞の役割によって一個の細胞中にたくさんあったり少なかったりするらしい。ということは、年がら年中やつらは分裂というか、自己複製していて、細胞が分裂する際にはてきとうに「おーい!分裂が始まったよ」「またかよー」「お前どうする」「俺、場所が近いからあっち行くわー」「あそー」などと言って、そんなわけはないが、二つにわったパンの中に気泡が同密度で入っているように、ごく単純に別れるというだけの話らしい。いやあ。物を知らないととんでもない疑問が出てくるもんだなあ。あーハズイ。素人ってのはこんなもんです。にしてもひどいか。




Brain Valley

1999/5/22 17:58


三つほど前の記事「人工脳におびえる」でちょっと触れた瀬名秀明の小説『Brain Valley』、立ち読みしてどうこう言うのは問題なのでおととい買ってきて読んだのであった。

大変面白かったのだが、果たしてこれは小説の面白さなのだろうか。読みながら「ほほう」とか「へー」などと唸ったのは後から考えると最新の科学技術の凄まじさに触れたところであるように思えてならないのだ。

ストーリーや人物造形、こまごまとした小説的遊び、などは、取り立てて騒ぐようなものではないのではないか。こういう小説を読むと即座に浮かぶ類似テーマの作品には、小松左京『神への長い道』、『虚無回廊』、それから手法や扱っている科学分野は違うのだが『果てしなき流れの果てに』、山田正紀『神狩り』、『最後の敵』がある。

無い物ねだりの感想は実に嫌らしくなるし、当該作品の本質を見誤る恐れがあることを承知の上で、あえて山田作品からショックを受けた場面を引用してみたい。

山田正紀:『最後の敵』pp.287
「おれたちは失敗作かも知れない。なるほど、たしかに”進化”が木星周域の”生命”に望みを託しているというなら、おれたち人類は潔く道を譲るべきなのかも知れない・・・・・・しかし、それではおれたちのような失敗作を生みだした”進化”には、全く罪が無いというのか・・・・・・」
 与夫の声は重く、憎しみに満ち、呪詛のつぶやきに似ていた。
「罰を受けるべきは、むしろ、”進化”のほうではないのか」
例によって山田正紀らしい乱暴さではあるのだが、例えばこういう、理性は明晰でありながらあまりと言えばあまりの運命に翻弄された登場人物が動物的怒り、理不尽な怒りの発露を見せるといった、「小説的ロマン」が『Brain Valley』には欠けているのではないだろうか。

思い起こすと、山田正紀も小松左京もそれぞれのやり方で科学や哲学を取り入れながら、産物である小説は大変みずみずしかった。学問的におかしいところはいくらでもあったが、全く気にならない語り口を持っていた。特に山田正紀においては、やたらめったらあちこちの分野から未消化の概念を借りてくるので、読んでいて首をかしげる場面も多いのだが、小説としては何とも言えないセンスオブワンダーに満ちていたのだ。科学的にはより正確であると思われる、A.C.クラークやラリー・ニーヴンなどの海外作品も同様の面白さであった。

例えば、『神狩り』の中で主人公の情報科学者が翻訳を試みるのが「神の文字」であるらしい洞窟の壁面に記された「文章」なのだが、これは過去発見されたどの文字とも共通点がない。更にはロゼッタストーン的な指標も存在しない。つまり、客観的には単なる文様でしかないのだが(この可能性は作中でも主人公によって考察されているのだが、「情報工学者の勘が、あれはただの文様ではないと告げている」とこの可能性を回避する小説としての工夫がされている)、なんとまあ主人公は連想コンピュータを用いてこの文様から論理記号を抽出し、最終的には翻訳に成功しかけるのだ。

数学や論理学の言語ではないのだから、論理記号がむき出しになった「言語」というのも凄いのだが、翻訳が成立するというのはもっと凄い。例えて言えば、全く未知の言語の発話が記録されたテープを聴いて、その意味を把握するのと同じである。しかも対象に全くイントネーションや「調子」「口調」などの手がかりはない。どう考えても無理である。

それでも『神狩り』のメッセージは十分に伝わったし、作者が模索しているもの、読者に提供したがっている視点などは痛いほど分かった。山田正紀さんの魅力は、その「なにものも恐れない乱暴さ」と、「作家的技術」の融合であると思う。小松作品も同様、『虚無回廊』に出てくるミッシェル・ジュランという天才科学者の人間像は魅力的だったし、作者が学んだであろう各分野の文献も想像が付くのだが、きれいに消化されていて読者に勉強を意識させないあたりは見事だった。

『Brain Valley』はどうか。何度も言うが、面白い作品なのだ。しかし、基本的に同作中で扱われている分野に対する知識があれば、誰でも思いつく類のアイディアではないだろうか。作中人物の誰にも感情移入できないし、出てくるアメリカ人たちはまるでスピルバーグ演出だし、その割には子供が報われない死にかたをするし。気持ちが入っていくとっかかりがない。

小説的冒険が試みられた場所もあったのだが(所長がメタ小説的発言をするくだり)、既に古典的である。個人的に存じ上げている認知科学者の名前がちょっといじられて出てきたりするあたりは楽しかったのだが、これはむしろ特殊事情だろう。チンパンジーの発話も面白かった。階層構造が出来る前にモダルやヴォイスが成立しているのにはびっくりだが、人工脳直結でバックアップされているという設定だから仕方がないのかも知れない。人工脳はムチャをするかも知れないのだ。

なんだか悪口が多くなってしまったのだが、この作品が日本SF大賞を取ったのはSFにとっても、作者にとっても不幸でないといいのだが(現在でのSFと名がついた作品への世間の目やら何やら考えると、どうしても要らぬ心配をしてしまう。ああ遥かなりSF全盛時代。とはいうものの、現在の先端の文学で、SFのフレイバーを持たないものを探すほうが難しいような気もするのだが)。ベストセラーを書くエンタテインメント作家という点で瀬名さんを完全に評価するべきだろうし、かくいう俺も一気に読んだのだ。



後記

1999/8/1 18:15

小松左京の仮定していると思われるUUG(Universal Universal Grammar)について。
今『虚無回廊』がすぐに取り出せる場所にないので、正確な参照ができないのだが、作中に異星人の生物学者の仮説が出てくる。はっきりとは言われていないが、「生命が発生して知的段階に達するのにかかる年月は宇宙のどの場所でもほぼ同じで、なおかつ、知的生命体は機能的にほぼ同型である」という仮説であるようだ。とすると、小松左京のUUGはチョムスキーのUGに発想としてはパラレルなものとみなせるのかもしれない。ただ、生物的な制約の変異度が加わると考えればよい。その変異度が人類に理解できるものである保証はまるでないのではあるが。

また、上では「論理の制約」と「生物学的制約」を別のものとして扱ったが、可能性としては、我々にとって理解可能な「論理」こそが「生物学的制約」に支配されているのかもしれない。つまり、人間の能力を超える存在にとっての論理は我々と同じものではなく、恐ろしいことには包含関係にすらない可能性がある。この場合、我々がいう「論理」「数覚」などが人間原理によって支配されているということになり、宇宙の中に人間にとっては永遠に不透明な領域が残ることになる。あくまで今のままの人類にとっては、であるが。小松左京の『神への長い道』では、こういった事態が想定されている。高度に進化した未来人が、冷凍睡眠で蘇った現代人類には乗り越えられない認識の壁をいとも簡単に乗り越えていくのだ。同様のモチーフは山田正紀の『最後の敵』にも現れる。主人公が「進化博物館」のらせん階段の頂上、人類のあとに来るものを発見するのだが、それは主人公自身の姿なのだ。
かくして、超人類たる主人公は「進化」という抽象的な概念と(作中では基本的な力の対象性を保つために、「進化力」という力が導入されてはいるのだが)戦うことになる。最終的に主人公は「進化力」と対をなす力として「愛」を示唆して死ぬ。素晴らしい乱暴な美しさではないか。山田先生、無茶なさるところがたまらなく好きです。ほとんど全作品読んでます。





俺を梅さんにしないでくれ

1999/6/22 23:28

美容院で髪を切った。彼自身のファッションがなかなかのものだったので美容師さんにだいたいのところをお任せしますと言って切ってもらった。

えらい事になった。

なぜ床屋さんではなく美容院に行くか。だいたい美容院より床屋さんのほうがハネやきわぞりの技術は上だ。店によってはマッサージやら耳掃除、鼻毛切りまでやってくれる。にもかかわらず床屋さんに行かずに美容院なのは、床屋さんのセンスが凄まじいからだ。

床屋さんは「短くしてください」というと本当に短くする。
遠慮なんか無い。マジで短くする。
一度は油断しているうちに「ど根性ガエル」の梅さんのヘアスタイルにされた。あの時は参った。まさか自分が梅さんになる日が来るなんて夢にも思わなかったので、ヘアスタイルといつもの服装が完全にパラレルワールド的な様相を見せていた。次元断層などと言う松松本零士的な語彙が浮かんできた。慣れるまで悲しい日々を過ごしたものだ。

さて今回は美容院に裏切られたのである。コンタクトを流してしまって(何度めだよ)よく見えないまま任せていたらこの始末。どうなったかと言うと、美容師さん曰く「シブヤ系のお兄ちゃんはみんなこうですよ、ワハハ」である。

「ダッグテイルっていうんですよ、ワハハ」
俺が知るかよう。なんだってロンゲで来た奴をいきなり刈り上げる。黙って見ていた俺も俺だが、マジで俺は何事もプロに任せるのを身上にしているから、口をはさまないのだ。本職を真剣にやってる時に素人になんだかんだ言われたら気分悪いだろうと見守っていたのだ。バリカンも生え際の調整だと思ったんだよう。

鏡の中にいるのはだれ。どこか俺に似てる人だが見たこともないぞ。わかってますわかってます、人様から見たらどうでもいい事だろう。それは重々承知のうえだ。自意識過剰だとか言って笑ってください。そのとおりですもん。でも、これが俺かい?だよ。まあいい。命まで取られなかっただけでも良しとしよう。






A Child Called "It"


1999/8/23 9:32

先日書店でふらふらと本を眺めていると、この本が目をひきつけた。
Dave Pelzer著、「それと呼ばれた子」。いわゆる児童虐待に関する本である。
この種の本は近年になって多く出版されるようになったが、苦しみから脱出した被害者本人の著作を目にしたのは始めてだった。最初は立ち読みですませるつもりだったのだが、第一章を読むうちに、これは自分には必要なものだと思えてきて、購入した。

最近いろいろ考えなければならないことがあって、また、精神分析医の助けもあって、過去の記憶が蘇りつつある。まだ眠っているものもあるかもしれないが、今取り出せるものだけを冷静に書いておきたい。

・毎日父親が帰宅する車の音が聞こえると、びくっとした。これからどんな仕打ちが待っているのだろう。どう振る舞えば被害を最少にできるだろう。毎日毎日夜になると脅えていた。

・小学校低学年。友人たちがみな自転車に乗りはじめる頃、私だけ自転車をまだ持たなかったので、一日走って数人の仲間について行った。走る苦しさより、友人たちが私に気を使ってゆっくり自転車を走らせているのが分かって申し訳なかった。家へ帰って、本当の勇気を絞り出し、父にお願いした。自転車が欲しいと。父は答えた。「俺がなんでお前にそんなことをしてやらなきゃならないんだ」

・中学のころ、天文学に興味を持った私は、望遠鏡が欲しくてしかたがなかった。何ヶ月もかけて切り出し、「よし、買ってやるぞ。だがな、半分は自分で出せ。買ってやるからな」と返事された。半分。十数万円するものの半分?中学生の私にはあきらめるしかなかった。

・小学校低学年のとき、学研の『科学』だったかの付録に、スイッチを切り替えると赤と黄色のランプがつく単純な回路の「おもちゃ」がついてきた。組み立てて喜んでいる私から父はそれを取り上げると、こう言った。「赤がついたらこっちへ走ってこい。黄色がついたら向こうへ行け」父の機嫌を取りたかったし、逆らうことが何より恐ろしかったので、ランプの色が変わるたびに私は「楽しい」表情を作って庭を行ったり来たりした。父は私を見てにやにや笑っていた。

・近所の遊泳禁止になっている(事実上は子供たちの泳ぎ場だった)池で泳いだことが学校にばれてしまい、「残酷な子供」である私に間違いを指摘されつづけて私を憎んでいた理科教師が家に電話してきた。その時私は風呂に入っていたのだが、父はドアをあけ、嵐のように入ってきた。手にはベルトをもっていた。私は全裸で怒鳴られながらベルトで叩きつづけられた。目を伏せて終わるのを待つしかなかった。実はその池で泳いだ思い出は、父が穏やかな一瞬に、懐かしそうに語っていたことがあったのだが。

・ある日、父が「ゴミを捨てに行くから手伝え」という。「手伝え」という言葉が嬉しかった私は段ボール箱を車に乗せ、山中の廃棄所へ父の運転で行った。父は廃棄所に着くと、段ボールを勢いよく谷底へ投げ棄てた。箱が開いた。出てきたのは私がこづかいを節約して買い集めていた手塚治虫の『火の鳥』や、当時集中的に読んでいた小説類だった。私は抗議出来なかった。何が待っているか分かっていたし、あきらめる習慣ができていたからだ。

・父が帰宅すると、父は私を正座させて数時間にわたってちびりちびりと酒を飲みながら私に説教にもならない説教を続けた。動くことは許されなかった。時折相槌を打つことも要求された。父は私を苦しめることを「つまみ」にして飲んでいたのだ。

・姉がピアノをやりたいといい出した。一週間後には家にピアノが届いていた。あるとき私は、何が原因だったか、父に髪をつかまれてピアノに頭をたたきつけられたことがある。

・遠足から帰って、満足した気持ちで文学全集の何か当時好きだった小説を読んでいた。小学5年だったか。いきなり部屋に入ってきた父は、「今日一日遊んだんだ、机に向かってろ」と叫ぶと、10分以上にわたって私をいたぶりつづけた。投げ飛ばす、殴る、立ち上がると足払いをかける。抵抗してはいけない。時間が長くなるだけだ。それにしても、文学全集を買って、「本をよく読めよ」と言ったのは父では無かったのか。

・ほとんどまいにちのように言われた言葉。「腕をへし折ってやる」「頭をたたき割って中がどうなっているか調べてやる」「俺はお前のようなゴミのようなガキじゃなかったからな」




今やっとパンドラの箱から取り出せたのはこれだけだ。まだまだ眠っていると思う。

父の名誉のために書いておくが、父は戦災孤児である。両親の顔も知らない。だから、父の行動のシステムは今の私には理解出来る。理解出来るが、感情のむすぼれはほどけない。常に胸の底に悲しみと怒りの炎が燃えている。時にそれが噴き出してきて、自分では制御出来なくなることもあった。今は落ちついている。少なくとも意識化できたということは、克服するチャンスは与えられたのだ。

これを書いたのは、全く自分のためである。が、同時に、今現在もどこかの家庭で行われているはずの児童虐待が、単なる子供の被害者意識や、「しつけ」などではなく、事実であることを知らしめたいからだ。その認識が広く行き渡れば、世の不幸や不実は減っていくのではないかと思うのだ。

読み苦しいものをお目にかけてしまったかもしれない。しかし、これは書かずにはいられなかったと同時に、やっと書けるようになったことなのだ。書けるようになるにはさまざまな友人(現実・ネット社会)の暗黙の助けをいただいた。感謝しています。







中島らも

1999/9/2 14:25


いつだったか、ゲストブックに俺のHPの感想を書いてくださったかたがいて、その方によると、俺の文体というか、スタイルは筒井康隆と中島らもが入っているとのことであった。

確かに筒井康隆には強烈な影響を受けている。自分で読み返して明らかに筒井さんの文体の匂いがするのが分かる。

しかし、中島らもさんというかたは、コピーライターとしてしか存じあげなかった。今まで全く読んだことが無かったのだ。

数日前、書店で文庫コーナーを眺めていると、中島さんと筒井康隆の対談が入った対談集が置いてある。

即座に購入した。

おったまげた。

まるっきりじゃないか。俺が中島さんの真似してるみたいじゃないか。なんてこった。あわてて他の本を探すと、実に驚いたことに俺が某所で展開している瘋癲老人ネタがそのまんま一冊の小説になっていた。買ってはきたが、恐くて読めない。

恐ろしや恐ろしや。







『百万回生きたねこ』

1999/9/2 14:24


とにかく読んでください。




ありがたや

1999/9/7 15:32


以下に引用するのは、私の駄文を読んである方が送ってくださったメールであります。

言葉にならないほど響きました。

少年に伝えてください。

君の泣いているわけを僕は知っているよ
殴られて痛いからじゃなくて
ひどい事を言われたからじゃなくて
本当なら誰よりも君を愛し君を守ってくれなくては
ならない人がそれをするから

ひどい目にあわされるたびになんとか仕返しを考えるのだけど
そしたらなぜだろう、もっとつらくなってしまうんだ
そうだろう?

たぶん、そんなことを考えている自分が嫌だから
君の好きなもの、君を感動させるもの、
科学の世界や、歴史上の人物や、物語の中から感じ取った
なにか立派なものから自分が離れてしまうようで
人はあんまりつらい思いをすると、ねじけた大人になって
自分の受けた仕打ちを自分より弱い人にしてしまうようになるんだ
つらさから逃れるためにね
でも中には自分の中の立派さを殺してしまわないで
人の痛さをまるで自分の痛さのように感じて
泣いている子供をなぐさめてあげられる立派な大人になる人もいる
そんな大人に君はなるんだ
これはすごいことなんだよ
とても大事なことなんだよ

君の受けた傷は大きすぎて、家族との間にできてしまった溝は
もう埋まらないかもしれない
それはしあわせな人生とはならないかもしれない
でも君はきっと立派な大人になるから
君の話を聞いた子や、君の書いたものを読んだ子が
「いつか僕もこの人のように立派な人になりたい」
そう思って勇気づけられるかもしれない
つらくて泣いている子供が君を見て
ねじけた大人にならずに済むかもしれない
僕にはもうわかっているんだよ

僕の中で泣いていた子供が、大人になった君を見て言うんだ
「ああ、僕もこの人のようになりたい」ってね。






私はかくありたいと勇気づけられました。感謝です。




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