目次だったりして
鬱とアルコール依存症あした鬱で入院する友達の所へ行ってきた。酔っ払っていた。いかんのだよなあ。二日酔いの時に鬱を味わった方はけっこういるんじゃないかと思うが,あれが毎日ずっと続くんじゃたまらない。死にたくなってくる。ワタクシは酒はやめられたがタバコがまだだ。なんとかしなきゃ。酒やめるの大変だったなあ。一度は死にかけ、シャブ中と間違われ,暴力沙汰を起こし,離婚し,また暴力沙汰。学部学生の時にはとっくにアル中だったもんな。毎日飲む訳じゃないが、飲み方がアル中的だった。ひたすら酩酊を求めた。目が覚めると知らない女の部屋で寝ていた事も一度や二度では無かった。気がついてから,俺は何をしたんだろうと頭を抱えた。しかし若さというのは罪なもので、朝から女におぼれる事で鬱をそらしていた。そうしていると,昨夜の自分の言動や何でそこに寝ていたのかを思い出したりした。そのたびに再びいきり立ったり萎えたりした。膣外射精すると精液が二日酔いの時のほうがたくさん出る事を発見した。最初に本格的に酒を飲んだのは、中学の修学旅行一日目の夜だ。ホワイトの瓶を一人で飲み干した。めちゃくちゃな飲み方、酔い方。いつもおっぱいを触らせてくれた真美ちゃんを押し倒したのは覚えている。次の日もにこにこしていたから、怒らせてはいなかったようだ。かわいかったな。真美ちゃん。で、酒だが、最低半年は隔離しないと治らないね。10年やめていても一杯でだめになると言うが,それは努力型禁酒だからだ。納得してやめていれば一杯ぐらいでは何ともない。また次の日からやめられる。自分はどうしようもないアル中だと認めていれば案外簡単だ。全国200万のアル中に告ぐ,認めてしまいなさい。楽になるよ。
宮崎哲弥というヒョーロンカがいる。はっきり言ってバカなんだが、信奉している人は意外に多い。この人がテレビで,「北極の氷が溶けても海面上昇は起きない」という小学生でも分かる理屈をまくし立てていた。そりゃそうだよ。それだけが問題ならね。問題は、南極と北極の鏡面効果にあるという事が分かっていない点だ。両極は地球のラジエーターだ。そこから放熱している熱が逃げなくなったら温暖化は加速度的に進む。地球全体の熱収支を考えない発言にはうんざりする。まるきり「格文法が生成文法の一種だって、笑わせるなよ(池田信夫)」である。なんにでも口出ししてお利口なところを見せたいのね、ああ、賢いなあ。こういう文系の評論家って、SFが好きじゃなかったり、ローレンツ短縮の公式のエレガントさに感動した事がなかったり、フェルマー定理が解けた事に分からないながらも喜んだりした事がないんだろうな。つまんないだろうなあ。判事も検察官も弁護士も文系の人間だと思うとぞっとするね。法学って科学にはならないよな。バッハが好きで,数学がしんから苦手って人はいるのかな。あれは誰の本だったかな。昼間は極悪な看守たちが夜になると美しいピアノを弾きながら歓談しているアウシュビッツの様子を描いた本があったな。知的でありながらナチス的である事は出来るんだな。「格文法が生成文法の一種だって、笑わせるなよ(池田信夫)」の池田とどっちがバカかな。対論して欲しいな。
2015/04/25付記:ものすごく久しぶりに歯医者の待合室で「週刊文春」を眺めたら宮崎さんが恐るべきペダントぶりを発揮しておられた。どうでもいいや,あんなバカ。「憲法は一般人は守らなくてもよい」ってアンタ、どうやって破れるの?定義上無理でしょうが。ちょっと頭をひねれば分かる事を大発見のように書く。あの雑誌の読者にはそれでいいのかな?頭悪すぎるよ。何でも無い事を虚飾の多い文体で書く。それなら誰だって出来るんだよ。カシコイなあ。心底ペダントだな。いやだいやだ。
それはそうとボウガンで人を撃った犯人はとりあえず捕まったようだが,その後の調べなんかのニュースが入ってこない。確実に実刑だね。思い切りひどい目に遭ってくればいいのだ。愉快犯だってのがまた腹が立つ。下手すりゃ殺人だよ。こういうバカには毎日ボウガンで矢を射込んでやればいいのだ。もちろんちゃんと治療してやって、翌日のボウガンを待つ。死んではいけないから,動脈は刺さない。これを3年ぐらいやればいい。どうもいかんな、怒りのあまり発想が前時代的になっている。身体刑はいかんのであった。土山と二人で無人島に送るのがいいな。
去年、『中春こまわり君』を入手して読んだ。すごい。純文学だ。あのこまわり君が成績のよかったはずの西条君と同じ会社に就職して,ちゃんと奥さんをもらい,子供までいる。でもやっぱり山上ワールドは健在だ。猫や犬が寿司屋や小料理屋を経営して寿司を握ったり刺身を切ったりしている。かつて何度か山上たつひこ原作で絵は他の漫画家が描いた連載が試みられたが,失敗に終わっている。あの絵じゃないとだめなんだよな。あ、『羊の木』といういがらしみきおの絵になる山上原作があるみたいだな。読んでみなきゃ。
あべ先生がアル中になっているのも笑えた。あの女は昔からただもんじゃなかったもんな。小学時代のこまわり君たちが、砲丸投げをしたいと言ってあべ先生に頼むと,「そんな事絶対に許しませんからね」と応え、西条君たちが説明すると、「睾丸投げ」と聞き間違えていた事が判明したり、やってくれるぜ,この女、であった。あべ先生の婚約者の清二さんが実は一日20時間眠る男で、結婚して13年寝顔しか見せなかったのもすごい。
山上竜彦名義での小説も読んだが、この方純文学者だ。『夏の潮』なんかすごくよかった。もっと純文学を読みたくなった。
今朝昔の彼女と風呂に入っている夢を見た。実際あった事だ。18歳の美しい肌。恥ずかしそうに笑っていた。ワタクシは彼女をまだ愛しているんだな。とんでもない美少女だったなあ。好きだったなあ。彼女もワタクシを愛してくれたなあ。全身舐め回したもんなあ。初めて入るときに、「任せる?」と聞くと、無言だった。これはいいんだろうなと思って入ったら,すぐに処女膜にぶつかった。最初はそれだけだった。二回目、三回目と回を重ね,六回目にやっと中で射精した。彼女は17歳から舞台に立っていた。バレエと日舞とジャズダンスを習っていた。素晴らしく美しい体だった。最初に部屋に来たときに、裸にしようとショーツを下げたら,脱がしやすいように腰を持ち上げた。何されてもいいように全身きれいに洗ってあった。破瓜の出血は寝袋に付いた。まだベッドを買っていなかったので、寝袋で抱き合ったのだ。何時間も裸で抱き合って過ごした。
彼女は美しくてかわいくて賢かった。それに加えて優しい性格を持っていた。料理も得意だった。おいしかったなあ,あの病人食。ワタクシが食欲がなくてガムなんか噛んでいるのを見て柔らかいスープを作ってくれたのだ。その頃ワタクシは部屋に別の女の子を住ませていたのだが,彼女はまったく引かなかった。ワタクシの友人の彼女だったのだ。手を出すわけがない。しかしその子は夜になると下着姿でワタクシが寝ていた書斎に来るようになった。これには困ったので、近所にアパートを借りさせて,一月で引っ越させた。ワタクシの彼女はその子が去ったあと、部屋中に掃除機をかけていた。ワタクシは自分の彼女の髪の毛を見つけると、宝物だと思ってもう買っていたベッドのチェストにしまった。キングサイズベッドだ。
彼女はベッドでも素晴らしかった。最高に綺麗な体。体位。吸茎。表情。動き。すべて完璧だった。ああ、俺はまだ彼女を愛しているんだなあ。でももう結婚しちゃったんだよな。ありがとうと言いたい。
この子は本当に優しいなと思ったのは、シチューを分けてくれたときだ。二人でシチューを食べていて、ワタクシの皿が空になったのを見て,自分の皿からすくって分けてくれたのだ。2歳である。食べるのが何よりの仕事だ。そんな時期に大好物を分けてくれるなんて、なんとまあニテさんはワタクシを大事にしてくれた事か。ワタクシは泣きそうになった。そして、「ニテニテ、まだあるんだよ」と声をかけてキッチンからシチュー鍋を持って来てニテさんと自分の皿に大盛りで入れた。ワタクシはほんの2歳でそんな事が出来るニテさんが誇らしく、愛おしかった。ニテさんを肩車、つまり「あっこ」してどれだけ歩いただろう。あのずっしりくる重みが頼もしかった。よく歩くのでがっしりとした足腰。筋肉の付き具合を触って,嬉しげにしているワタクシを見た当時の嫁が,「父親の顔しているよ」と言った。このワタクシが照れた。まだ心ががきんちょだったのだ。ワタクシもニテケテを愛したが、ニテケテもワタクシを愛してくれた。さすがに3ヶ月のケテさんからはアクティブなものはなかったが、指を握らせて変顔をすると,嬉しそうに笑ってくれた。ニテさんのワタクシへの愛着はただ事ではなかった。これはお互い。ぬいぐるみを何匹も並べてお芝居をさせた。キツネ君とクマ君がケンカして,小鳥のピッポちゃんが仲裁に入る。みんなで歌って空を飛ぶ。こういうことをワタクシが声音を変えてやっていたのだ。絵本を読むときも,膝に乗せてニテさんを主人公にして絵に合った話を作った。なので、保育園で紙芝居をしてもニテさんは無関心だったらしい。ちっとも話を聞かないと相談されたのだ。保母さんは一生懸命にお話をしているのに,ニテさんは見向きもしないというのだ。さもありなむ。家でもっとおもしろい事を眠くなるまでしていたのだから。
、ニテさんはよく2歳児の酒池肉林をした。大好きなお魚でご飯を食べ、お風呂でぴかぴかになり、上がったら上がったで、ホットカーペットの上で『はたらくじどうしゃ』という絵本を眺めつつヨーグルトを食べ、バナナも食べ、満足した気分で眠くなる。最高に幸せだったな,ワタクシの方こそ。ケテさんごめんね。ケテさんも「あっこ」してあげたかったよ。
そのニテさん、もうすぐ15歳になる。ケテさんも13歳だ。どんな子に育っているかな。思わない日はないね。ニテケテ、元気かい。
2015/04/26
どっちが先に再犯を犯すか楽しみでならないのが手鏡植草とシャブ田代だ。いけいけ植草。女子高生はいいぞ。打て打て田代。シャブで五感が立ち上がってくるあの高揚感を思い出せ。いいぜえ,シャブきめて女。植草も女子高生としちゃえ。未完成な体、いいぜ。出会い系かなんかで知り合って買え。援交だエンコー。そんで携帯の通信記録からばれろ。田代も植草もまた懲役に行け。笑えるエピソードもくれ。俺はあんたたちの大ファンだよ。なるべく早いうちにもう一発花火を上げてくれ。田代さん、俺はシャブは鼻から吸い込んだ事しかないが、来るよなあ。植草さん、俺も女子高生をさんざん食ったが、いいよう。二人ともやりたくてたまんないだろう?やっちゃえ。二人とも欲しいものは金で買えるじゃないの。買っちゃえ。そして捕まって名言を残そう。その日の来るのが待ちきれんよ。あー楽しみだ。ところで植草さん、「国策逮捕」なんて言い訳が本当に通ると思ってるの?国家権力が弾圧するときにはもっとえぐい手を使うと思うがな。2ヶ月の懲役か。出たら出たで「あれはやっていません,国策逮捕です」なんて言わせたりしないと思うがな。田代の「ミニにタコ」とおんなじぐらいしょーもない言い訳だ。俺は「国策逮捕」なんて言わせている国のリベラルさに感心しているぐらいだ。言論の自由が生きてるじゃないか。アンタはただの痴漢。認めなさい。二人ともトリックスターだ。自分もしっちゃかめっちゃかな目に遭いながらエンタテインメントを提供する。トリックスター以外の何物でも無い。これからも国民に笑いを。2015/05/11
今朝起き抜けに昔の彼女の夢を見た。人妻だったが間違いなくワタクシの彼女だった。摂食障害とアルコール依存症でリスカの常習者だった。夢の中で彼女は「助けて」と言うのだが、追いかけても彼女は人形になっていたり、もうその角にはいなかったりした。いつもジャージで病院に来ていたが、ワタクシとつきあい始めてから女の子らしい格好で来るようになった。最初に寝たのは、彼女にストーキングを繰り返していた男に彼女が切れて、「土下座しろ」と詰め寄っていたときだった。その直後、ワタクシは彼女をタクシーに乗せて、「運転手さん、これから激しいセックスをするのでラブホテルに連れて行ってください」と言った。彼女は笑っていた。ラブホに着くと,まさに激しいセックスをした。それ以来カラオケボックスやワタクシの有栖川の部屋で何度も交わった。彼女は賢かった。笑いの分かる人だった。彼女はいくときに声が出なくなる人だった。最高一日6回したことがある。あの頃は元気だったなあ、俺。女性依存症が出ていたんだな。今日の診察で,依存傾向があると言われたもんな。もしシャブなんかポンプで決めたら一発だろうな。それはそうと昔の彼女だった。彼女が雨に濡れながら俺の部屋を探してきたときに、俺の部屋には他の女がいたので電話に出なかった事があった。ごめんな、メル。君のほうが令子よりセックスも性格もよかったよ。あの日もお弁当作って持って来てくれていたんだよな。ごめんな。令子は部屋をとっちらかしたけど,君は掃除してくれたよな。ごめんな。もしよかったらまた嵐山でデートしてカラオケに行こう。
2015/05/12
今金曜日にどこの局だったか忘れたが『アルジャーノンに花束を』をテレビ版でやっている。脚本監修・野島伸司とあったのでいやな予感がしたのだが、やはりである。もう最終回まで読めてしまった。主人公は賢くなって病気の女の子を救ってまた退行する。それでおしまい。英語版と翻訳で数回ずつ読んでいる身としては。あの名作が切り刻まれるようで何かいやだ。翻訳がものすごくよかった。テレビ版でこの作品を知って、本を手にして驚く人は多いだろう。しかしいくら『花束を』だからって、花屋になっているのはどうにも短絡的だ。パンじゃやりにくかったのかな。実を言うと、ダニエル・キースにはもっといいノンフィクションがある。彼は人格の変化にとりつかれた作家だ。『24人のビリー・ミリガン』『5番目のサリー』なんかよかった。一作だけのSF作家というと、『冷たい方程式』のトム・ゴドウィンが思い出される。名作には違いが無いのだが、宇宙船にぎりぎりの燃料しか積んでいないあたりが怪しい。もっともそれがキーなのだが。『アルジャーノン』に話を戻すと、今後退行を見せる主人公が楽しみだ。とりあえず録画しておこう。
2015/06/12
最終回を見た。いやこれまた酷い。原作の退行は徐々に進んで、それがはらはらさせたのだが、いきなり一回でだ。あと3回ぐらいかけて描いてほしかった。廉価版アルジャーノンと呼ぼう。だいたいが天才になったサクトはもう周りの人間から浮くほどの能力を発揮していなければならないのだが、そういうシーンもなし。ありゃりゃ。名作が地に落ちたなあ。ハルカの決断もよくわからない。回数が足りないよ。とほほだ。2015/05/13
今『ヨルタモリ』がおもしろい。タモリ絶好調だ。あの人はリラックスしているときに力が出る。宮沢りえもいい。何とも言えずいい女だ。
草薙剛が出た回で、「脇が下、東前頭十枚目栃木県出身」や、「ふぁんふぁんふぁんふぁんふぁん、そして翌日、『お母さん』」なんて自由にやっていると実におもしろい。ちょっと調べてみたら、視聴率があの時間で10ーセントだという事だ。さもありなん。タモリも宮沢りえも実に生き生きとしている。面白くないわけがない。『笑っていいとも』は若手芸人の登竜門だったが、『ヨルタモリ』はそれなりに成功した芸能人のための番組だ。タモリも安心して雑談が出来る。個人的に残念なのが、この番組が去年の10月から始まっている事を知らずに,ここ数回分しか録画していない事だ。それにしても面白いのが、宮沢りえの下ネタ好きだ。けっこうやるじゃん。「いかつママと三人で」というタモリの振りに,「そんな事出来ない」なんて笑って返している。余談だが、ワタクシはその昔、女子○生二人とした事がある。あれ大変だわ。一方に挿入しつつもう一人の股間をいじらなければならない。やっぱり愛する人と二人でするのが一番です。
で、村上春樹さんだが、この方の文体は凄いな。これの翻訳があるってのもすごい。一番好きな作家は筒井康隆さんか山田正紀さんなのだが、あ、小松の大親分と星さんの事を忘れてはいけないな、この方々は別格、で、山田さんのセンスオフワンダーが欲しい。『最後の敵』なんか再販して欲しい。小松の大親分の作品群も全部図書館にあるべきだ。わしは「小松左京における『マリア』像:女性的なるものへの視線」というタイトルで書こうとした事があるのだが、うまくまとまらなかった。それから、ある時期の小松作品と星作品がまるでリンクしているかのように似ていた事もどこかに書き記しておきたい。まるで二人で馬鹿話していて,そこから同じテーマが出てきて,それを変奏曲のように書いたとしか思えないいくつかの作品群があるのだ。星、小松、筒井は完全な全集が欲しい。どこかの出版社、やってくれ。さて、今日も『世界の・・・』を読みながら眠くなるのをまとうか。
いやあ、SSRIは良く効くわ。今朝の鬱が吹っ飛んでいる。なんだか楽しくなっている。勉強も進みそうだ。仕事もだ。スウェーデン語とロジック、文法論と意味論と音韻論。ラテン語もやり直したい。中途半端になっていたアラビア語と朝鮮語もだ。いや、あんまり手を広げて反動が来るといけないから徐々に出来る事を増やしていこう。修士一年の時に日本語言語学で出したペーパーは、チョムスキーのミニマリストより早かったんだ。自信を持とう。そりゃまあチョムスキーほどまとまってはいないが,チョムスキーのマージと同じアジョインのアイディアは早かった。それから今書いている文法書も早くまとめて,どこかの出版社に送ろう。去年小説賞に応募したが、B+判定だった作品もリファインして送り直そう。セネカの『人生の短さについて』を再読しよう。あれを読むと覚悟が決まる。特に,少数派であれ、とか、自分の望んだ家族構成を再建してみる、とか、面白いのだ。たとえば父がセネカで母はマザー・テレサ、長兄がチョムスキーで次兄がジャッケンドフ、妻が10年前の本上まなみ、なんていう風に,理想的な家族を想定して、遊ぶのだ。セネカ好きだなあ。ハイデガーも好きだけど。たとえ両腕を切り落とされたとしても,君は雄叫びを上げる事で味方の力になれる、なんてかっこよすぎ。
2015/05/27
まえにこのへらさけで「愛情のシニフィエ」というのを書いたが、もっとすごいのがある。たとえば日本語の助詞の事を考えてみよう。「が、は、に、を、で、」などである。これらは間違いなく言語記号だが、シニフィエは何だろう?もちろん言語外の外界にあるものではない。言語の中にしかない要素だ。これらは意味と統語論的な性質を持っている要素だ。筒井康隆翁の『文学部唯野教授』の中での、「猫という言葉がシニフィアンで実際の猫がシニフィエです」という枠にこれを当てはめてみよう。「がという言葉がシニフィアンで、実際のががシニフィエです」????意味が分からない。文法構造の中でしか出てこない要素だ。何もこれは格助詞に限った事では無く、「歩く」「泣く」「叫ぶ」などの動詞、「赤い」「早い」などの形容詞、「と言った」の「と」のようなCOMPでも言える事だ。英語の三単現のSなんて統語的役割しかない。ソシュールは具象名詞しか扱っていないが、それが時代の限界だったのだろう。それを責めるのは酷というものだが、丸山圭三郎さんのように現代もまだそんな事を言っていた人を見ると忍びない。完璧に時代遅れだ。筒井翁は丸山さんのお弟子さんにレクチャーを受けたらしいが、それであんな間違いが出来てしまったのだ。現代ではシニフィエ、シニフィアンと言わずに、ミーニング、フォームと言うのが普通だ。ミーニングは人間の頭の中にしかない。だいたいが言語はメンタルなシステムで、外界ではない。外界をマップすることは出来るが、そのものではないのだ。この辺、ヒョーロンカの皆さん間違いが多すぎる。ちゃんと勉強しようね。
2015/05/27
夕べ9時に寝て起きたら11時。眠剤を飲んでまた寝ても,起きたら今度は2時。あくびは出るものの眠気なし。仕方なく勉強を始めるが集中力なし。週末の性交の事を考えて物狂おしけれ。全然関係ないが、早稲田のスーパーフリーの和田って奴はとんでもない悪党だな。今は顔と名前を変えているらしいが,あんな奴懲役20年ぐらい食らわせてやればよかったのだ。女の子にとっては強姦や、ましてや輪姦なんて完全な人格の否定だ。強姦は無期懲役でもいいんじゃ無かろうか。和田は顔が卑しい。あんな奴にやられた女の子たちが気の毒でならない。今ちょっと調べたら和田は懲役14年だった。もう出てきてるってことは、あれから、仮釈放があったとして、12,3年経っているのか。10年以上刑務所にいた強姦魔なんて仕事ないよな。などと言いつつ今腹筋と腕立て伏せを50回ずつやってきた。最近久しぶりに始めたので筋肉が痛い。悪人と言えば浅原彰晃だが、あいつ本気で日本を乗っ取れると考えていたのだろうか。どうも世間の感覚からずれている。サリンで何人殺すつもりだったのだろう。数百人は想定していただろうな。公安や警察や自衛隊をなめすぎだ。
『オイラーの公式が分かる』というブルーバックスの本を読んでいるのだが,実に分かりやすい。数学っていいな。透明で明晰だ。しかし明晰さは時に人を絶望に追い込む。数学や物理学で自殺者が多いのも分かる。言語学も自殺する人が多い。チョムスキーの理論も透明で明晰なのだが、実際の言語現象に照らし合わせると,まだ足りない。記述できない事がまだまだあるのだ。最近、同じブルーバックスで『イカは喋るし空も飛ぶ』を読んだのだが、イカ、喋ってなかった。固定された変化しかしない表皮の色を,「喋る」と書くのはいかがなものか。
また話は変わるのだが、宇多田ヒカルさんはもう「音楽はいい、やるだけやった」状態になっているのだろうか。だとしたら惜しいが、彼女がそれでいいのだったらよしとしよう。若くして開花した才能が数年で枯渇するというのは良くある事だ。彼女は良くやったよ。繊細な人だろうから、いろんな事で傷ついただろうし。とにかくいい曲を作ってくれてありがとうと言いたい。
猫じゃらし三兄弟。それはおるけの夢。土山の夢はいつか服を着る事。土山の家に最初に遊びに行ったときは驚いた。僕ちょっと着替えてくるね、と言ってしばらく、出てきた土山は下半身裸だった。何やってんだよ,と非難すると、ああ、これ?僕うちじゃパンツ履かない習慣なんだ,と応えやがった。
朝になった。もう明るい。さっきピンポンダッシュされた。朝5時だというのにご苦労な事だ。近所にそんな事する人はいないはずだが。きっと土山だな。さっき土山の事を書いたからやってきたのだ。恐るべし土山。今日も下半身裸でソウルの街を行く。実際の話が、韓国人の彼ができたらしい。韓国にもハッテンバはあるそうだ。
2015/06/20
図書館で同じ著者の『言語学が好きになる本』というのを斜め読みした。生成文法がまるでわかっていないことだけがわかった。いろんな入門書から借りてきた用語を並べているだけだった。底本が「すけてみえる」のだよね。『チョムスキー入門』、どうしようかなあ。読んだら突っ込みどころ満載だろうな。古本屋にあったら買ってみよう。だいぶ酷いだろうな。俺がフロイト入門を書くようなものだ。非専門家が入門書を書いちゃいけないよなあ。爆笑本として買ってみよう。そしたらファイルにして載っけよう。かなりやばいことになっている気がする。2015/06/28
『言語学が好きになる本』、かなりやばい。チョムスキーの研究は57年に始まったとのことだが、55年のLSLTの立場はどうする?それに今時ソシュールにしがみついているのもすごいが(ソシュールはいいですよ、勿論。でもね、学史って事を考えましょうや。物理学者を名乗りながらニュートンのことばっかり言ってたら変でしょ)、全くわかっていないまま生成文法に言及している。例えば、
pp49.少し前から重要な位置を占めるようになっているのが、「普遍文法」という考え方です。
おいおい、UGだったら最初からの目標だぜ。少し前から、ってのが意味がわからない。
pp50.ではどうやらGBの説明をしているらしいのだが、GBでは深層構造とか表層構造とは言わないし、MOVEαというのは何でも動くからαなのであって、これを「変形規則」とは呼ばない。町田さんは移動を変形と混同している。変形はRule Systemの時代の用語だ。移動についてもなんだか範囲や移動できる場所について決まりがある、とのことだが、GBで移動を制約するとしたらバウンディングノードとECPだが、ランディングサイトじゃ無くて出発地点と距離が問題なのだ。「範囲や移動できる場所」というのは意味がわからない。何がどこに動いたっていいんだよ。MOVEαそれ自体に制約は無いんだから。その代わりへんてこな動きは他の原理群が排除する。基本ですぜ。また、すごいのが次の引用だ。「最近の生成文法では、表層構造と深層構造の区別は無くなっています」
ってのも意味不明。区別がないんじゃなくて、SもDも廃棄されたんだよ。で、どうやらこの方は「変形」自体が無くなったと思っているらしく、
「生成文法の『らしさ』が無くなってしまうようで寂しいですね」
などとおっしゃる。「ですね」なんて書かれてもなあ。困っちゃうな。すげーな。GPSGやHPSGと混同してるのかな?「変形」は遙か彼方の70年代の用語だが、Moveαがあって、MOVEになって、今はMERGEだ。怖いな。なんかねえ、この人の書きっぷりって、パッチワークなの。それも入門書のパッチワーク。チョムスキーの原典に当たった感触が無いのだね。解説書を何となく読んで理解した気になっているとしか思えないのだよ。さあて、買ってみるか、『チョムスキー入門』。すごいことになってるぞ、きっと。そして解説のカツヒコ・オートマトン・タカナの登場だ。いつまでも田中克彦をあがめている人がいるが、ちゃんと読もうね。嘘ばっかりだよ。さて、パッチワークが書いてアレが解説する前代未聞の奇書。読後書き込みしまくって著者に送りつけよう。金返せと一言付け足して。
また図書館から『言語学が好きになる本』を借りてきて読んでみたのだけど、語彙意味論の認識が大変に遅れている。この人勉強してない。「猫」という記号が特定の猫では無くて、一般化された猫を指すことが言語の初期状態として、つまり「集合をまとめる力」として入っているのをチョムスキーは見逃していると書いているのだが、分かってんだよ、そんなことは。言語学の初歩じゃん。そんなことに気がつかない馬鹿がいてたまるか。汎化能力はセマンティックスの分野では前提なの。「穴の開いたボートは水に浮かないが、それでもボートと呼べるのはなぜか」なんて議論はし尽くされているの。少しは勉強しようよ。この人院生時代に勉強したソシュールだけで後のことは全然分かっていないようだ。こんなお行儀の悪い商売しちゃいけないよ、町田さん。何にせよ、アマゾンから『チョムスキー入門』が届いたら間違い探しをしよう。フルボッコです。
2015/07/22『チョムスキー入門』が10分ほど前に届いた。5分読んでいやになった。批判する気をなくすぐらいのひどい誤解だらけだ。この人何を読んだのだろうか?馬鹿じゃ無いの?語順と構造を混同しているし、主語概念もめちゃくちゃだ。主語が複数の単語から出来ることを取って、「語」じゃ無いなんて言っているが、何じゃそりゃ。Subjectという語彙に主語という語彙が対応しているだけで、別に単体じゃ無くてはならないなんて誰も言っていないのだ。いったい何を教えているんだろう?怖いよ。くるくるパー町田。最後まで読めるかなあ。気持ち悪くなってきたよ。アメリカ構造主義のIC分析をチョムスキーに当てはめてどうしようというのか?どうやらこの方、句構造がIC分析から出来たとでも言いたいようだ。この人は入門書しか読んでいない。断言できる。LSLTすら読んでいないようだ。基本文献を読まないまま入門なんてタイトルを付けた本を書くなよなあ。ちょっと信じられないぐらいの馬鹿本だ。あー、金の無駄をした。びっしり誤解を指摘したメモを書き込んで著者に送りつけようか。いやいや、やっぱりサイトできっちり誤解を提示したファイルを作るべきだな。後続の学生さんたちのためにも。
10分後。76ページまで読んだのだが、頭痛がしてきた。書き込みだらけになってしまった。この人本当に何も知らない。下位範疇化はAspectsで出てきた考え方だが、読んでないな、この馬鹿。書名をあげているんだから詠めよ。半分も読まないうちに、「はぁ?」「あんたが知らないだけ」「バッカじゃ無いの」「勉強しろ」その他専門用語の間違いを指摘するなどの書き込みでいっぱいになってしまった。それにこの町田という人は論理が弱い。ロジカルな文章が書けない。書かれたとおりに論旨を追っていくと頭がくらくらしてくる。超弩級の馬鹿だ。
さらに10分後。99ページまで何とか我慢して詠んだ。音声や音素や音韻が全く尋常では無い使い方をされている。音素と音声を別物としているあたりどうしようも無い。分けるなら音韻と音声だ。音素は音声のアトムだよ。学部学生でも知ってるよ。それから、ターナリーブランチングの樹を書いて(この辺昔の入門書によく出てくるんだよね)問題にしているが、今の理論ではバイナリーブランチングしかないのだよなあ。なんだかめまいがする。深層構造や表層構造をそれぞれ「文」と呼んだりしてるし、もう頭痛最大級。深層と表層のペアが文の表示なのだよ。何でこんな人がいるの?何を読めばこんなに言語学を知らないまま言語学を語る人になるの?害吉だ。生成文法が分かってないだけでは無くて、言語学の基礎が無いのだ。ロジックも支離滅裂だし、本当に頭が悪いんだなあ。一応東大出てるんだから勉強はできたのかもしれないが、研究者・教師としては完全にアウトだ。官僚にでもなれば良かったのに。
さらに10分後。もうこの人は学部一年生からやり直すしか無い。書くこと書くこと嘘と誤解。本当の馬鹿発見。受動と能動を説明したところでは、ロジカルミーニングと「意味」全体を混同してるし、表層から深層を導くなんて異常な提案をしている。80年代後半にあった、Jan KosterとChomskyの派生に関する対立を読んでいない。いったい誰に何を教わってきたんだろう。知的に貧困な学生生活を送ったんだなあ。
さらに10分後。138ページまで何とかたどり着いたのだが、嘘だらけだ。「標準理論の次の段階で投射原理が提案され」なんて書いてあるが、標準理論は60年代、投射原理は80年代のものだ。その間には拡大標準理論なんてものもあったし、その改訂版もあった。俺、なんかすごく時間無駄にしてるな。もう読むのやめようかな。やめて勉強しよう。ほとほと疲れた。Compを接続詞だと言ったり、Caceとθを混同してたり、なんだこの中途半端な理解とそれを上回る誤解は。
決めた。もう読まない。読めば頭が悪くなる。なんて言えばいいんだろう?下手の横好き、とも違うな。ど素人が解説書を読んで一冊にまとめたんだな。そしてああ、なんたること、生成文法60年の歴史において積み上げられた知見をよそに、ああ、「こうすればいいんじゃ無いでしょうか」と一気に却下できる代案まで得意げに提示している。名古屋大学にも生成文法家はいるだろうに、なんでこんなの書いたんだろう。メンタルにおかしいよ。この厚顔無恥さはちょっと例が無い。やめやめ、勉強しよう。この人とこの本に言及するのはこれで最後にする。全くもって時間の無駄だ。これ一冊読むより、スウェーデン語の単語を一つ覚えた方が遙かに有意義だ。あー、疲れた。あそうだ、俺、『町田健入門』書こうかな。どれだけしっちゃかめっちゃかになってもいいんだから楽に書けるぞ。
完読をあきらめて30分たつが、まだ頭がぼーっとしている。完読していちいち誤謬、誤解、嘘にメモや反論を書いていたらきりが無い。たぶん精神に異常を来す。生成文法が分かっていないのは理解できたし、言語学者としての基礎が無いのも分かった。この人の代案がめちゃくちゃなのも分かった。しかし何より恐るべきなのは、この人の書く地の文ってロジックが立っていないんだよね。学部学生の方で、生成文法をやっている人がいたら、ワタクシの代わりに批判を書いてください。わたしゃもうごめんだよ。馬鹿が移る。そんなことより、俺は明日バイクに乗るんだよね。10年ぶりぐらいだ。以前は限定解除していたんだけど、アル中が激しかった頃に意図的に失効してしまったのだ。明日二輪講習とかいうのに行って、750に乗るのだ。CB750.素直なバイクだな。12月になったら一発試験を受けに行く。4回もうければ受かるだろう。受かったらガンマ500を買う。これがまた高いんだ。ウォルターウルフのが150万もする。あはははは。なんだそのプレミアっぷりは。
はあ、はあ、はあ、はあ。明日バイクに乗ることと、本上まなみの昔の写真集を見て心が平静に戻った。本庄さん綺麗だなあ。この人にモニカさせている男もいるんだなあ。いいなあ。18歳の美女のことを思い出すよ。完璧な美女だったなあ。美しい体と顔。あの子のモニカは最高だった。今の彼女は幼い美女と言うより美少女だな。この子のモニカもいい。終わってからもしてくれるもんね。俺充実してるなあ。フルライフだ。もっと勉強しよう。春からはまた学生だ。二個目の修士号を目指すのだ。テーマは「被虐待児童の脳の器質的変化」だ。精神的な虐待でも、何かしら変化が起きると思うんだよね。ロンドンのタクシードライバーの海馬が大きくなっているという研究もあるし。大鬱エピソードになる人って、ただセロトニンが足りないだけじゃ無くて、足りなくなるような原因があるんだと思う。モニカ好きには何か心因的原因があるんだろうか。それとも皆が好きかな?それはそうと、女の子もモニカは好きだよね。ワタクシの経験上、最初は拒否していても慣れると別に性行為の時じゃ無いのに、「くわえてあげようか?」なんて言う女の子までいた。精神が安定するみたいだった。しなかった子は一人しかいない。過食嘔吐を繰り返す子だった。サンプル数については秘密。女の子のモニカ好きはフロイドが喜びそうな話だな。
本上さんほんとに綺麗だなあ。今でも綺麗だけど、20代半ばの彼女はいっそ神々しい。30ぐらいの時の夏川結衣さんもとんでもない美女だったな。後は檀麗さんか。
駄本中の駄本を三分の二読んでしまった心の傷が本上さんとバイクとモニカ話で癒やされてしまった。明日はどっちだ?
いやあ、参りました。二輪車講習に行ってきたんだけど、腕が落ちているのなんの。前乗っていたのが2スト500、車体も軽くて取り回しが良かったのだが、CB750、重いわ。俺の体力が落ちているのもあるんだろうけど、何より「バイク勘」が落ちている。一本橋5回渡って、2回しか成功しませんでした。来年教習に通うか。その方が早いな。一発試験なんて無謀だ、もはや。バイクもガンマやめてSRXにしよう。よし、受験が終わったら合宿免許にでも行こう。バイクって年いったら楽しめないのかな。そんなはずは無いが。もっと穏やかな機種にしようかな。でもやっぱ大型免許欲しい。天啓のようにひらめいた。2年後に取ればいいんだ。時間も金もある。今となっては免許失効したのが悔やまれる。もったいないことをしたなあ。悔しさをバネに条例娘と性行為してこよう。
この2週間ほどウェブを眺めていて、日韓関係の掲示板などを見た。有り体に言って子供たちが無知をさらけているのである。日本人も韓国人も、盛んに発言する人は幼い。認識が幼いのだ。そして何より驚くのが、自己と国家を簡単に同一化してしまっていることだ。幼稚だよな。たまたま生まれたに過ぎない場所を素晴らしいと言い、他の地域を貶める。子供だ。韓国の反日教育というのもすごいが、なに、あんなもの、子供に「あいつらは悪い」と吹き込んでおいて絵を描かせればミサイルを打ち込む絵ぐらい描くよ。それがどれほど残酷なことか理解できない年齢なんだから。問題はそれを看過して、更には奨励する大人だ。韓国の日本情報の掲示板では、日本旅行がいかに素晴らしかったかがしょっちゅう投稿されている。その反応として、「日本信者は評価しない」などに混じって、「わが韓国は民度が低くて日本にはかなわない」なんてのもある。悲しい。いちいち優劣を付けなくてもいいんじゃなかろうか。あくまで掲示板に日本について書く人たちに限った話だが、彼らは恨みと憧れが一体になった複雑な心境でいるようだ、日本に対して。翻って日本はというと、、別に自分がなしたわけでもない先人たちの努力の積み重ねである繁栄を自分の手柄のように捉え、韓国を其の高みから見下す発言が頻繁に見られる。やめようよ、お互いにね。個人で考えましょうよ。親の親の世代がなしたことを自分の美点のように思うのはあまりに危うい。子供だよ。親が金持ちで、貧乏ないじめられっ子をバカにしている嫌なガキみたいだ。韓国も韓国で、戦争犯罪はもちろん追求されるべきだし、慰安婦への実質的保証もなされるべきだとは思うが、何もかも日本のせいにするのはやめてほしい。というか、個々の現代の若い日本人に怒りの矛先を向けるのはやめていただきたい。もう10年ほど前に、関空から京都までの電車に乗り込んだら、いいガタイの若い東洋人二人が4人がけの座席に二人で座って荷物を座席においていた。英語の地図を眺めていたのと、顔つきから韓国人だと判断し、英語で席を開けてくれないかと話しかけたら、ちょっと赤面してその時の連れの女とその子供を座らせることができた。軍隊が終わってから来たのかな?と尋ねると、はい、そうです、とsirをつけて答えた。韓国に徴兵があることをご存知なのですか?と言うので、うん、あなたがたの国は強い軍隊で有名だよ、と言うと、誇らしげだった。京都ではどこを見たらいいんでしょう?と尋ねられたのだが、嵐山が一番いいよ、そして二番目と三番目も嵐山だよ、と教えた。東山もいいんだけど、今日行ったら人を見るだけだよ、と言うと笑っていた。最後に、自転車を貸してください、と紙に書いてくださいとメモ帳を渡された。下手な字で書いてあげると、大変に喜んでいた。実にいい感じの青年たちだった。ひとりひとり当たっていけばいい人なんだよな。やっぱり若い世代が行き来することが大事だと思うなあ。韓国料理好きだし、仲良くしたいもんだ。