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へらさけ雑記17





愛する女・風呂・駄犬
もうこだわらない
メーアーリーフー
余はいかにして基督教徒となりしか・そしていかにして棄教したか
ジョン・レノン
志村けんって面白いか?
音楽の表示/言語の表示・レイモンド・チャンドラー
面白くないのは罪・動物たちの愛着
今日からまた禁煙
Jackendoff・Jespersen・10コアCPU
MMが合法だった頃の話
右傾化・録画・杞憂州北部の大雨
愛する女
再びの禁煙
最新理論言語学用語辞典
幻想的恋愛
籠池夫妻の顔
今再び読む『神狩り』
『生成文法理論の哲学的意義』を読み始めた
家庭的遺伝の悪循環
ニテ君とケテ君へ
タブレットを修理に出した
新しい椅子がまだ届かない
肺炎で入院しておった
日本言語学界の会費
新しい自転車
もはや早朝覚醒ですらない
近いうちに壊れるHDD
パスポートがない・三千円のシャーペン・最低の教師・女の写真・JICC(宝島社)





愛する女・風呂・駄犬




2017/04/09

ワタクシには今愛する女がいる。こないだはチョコのお礼にクッキーを贈った。週に6回は電話で話をしている。人を助ける仕事をしている彼女だが、実に声が優しい。聞いてるだけで気持ちよくなる。愛しているとか好きだとか言う言葉に彼女は動かない。それもまた楽しからずや。
綺麗で目が星のようでスタイルも良い。どうして結婚していないのか謎だ。その事を彼女に言うと、でしょー、と答える。長距離恋愛なのでこの一年会っていない。会いたいなあ。会って抱きたい。こんな恋愛は久しぶりだ。思いが届かないのはなかなかいいもんだ。彼女を抱きしめたい。

今俺は週に二回ぐらいしか風呂に入らない。面倒で仕方が無いのだ。これは鬱の症状なのでどうしようも無い。さっき浴槽を洗ってボイラーに着火した。ここまで準備しておいて入らないことだってある。俺はだいたいが家族が同じお湯を共有するのが気持ち悪い。人の油が出ているのでは無いか。汗は間違いなく出ている。不潔だ。

風呂と言えばそろそろ暖かくなってきたので駄犬を洗ってやらなければ。今とても犬臭いのだ。なでると手が犬臭くなる。この二月ほどワタクシが体調を崩し、ヨーグルトとイチゴだけで生きているので散歩にも連れて行っていない。犬にしてみれば虐待だ。あいつ等は散歩が必須なのだ。昔住んでいた埼玉県のアパートの近くに土佐犬を飼っている家があった。その土佐犬はそいつの体の大きさしかない木で作った箱の中で飼われていた。周りには異臭がした。土佐犬の排泄物を全く処理していなかったのだ。ある朝、かなりまだ時間が早い時にワタクシはバイクのエンジンを暖めていた。RZV500のエンジンはなかなか暖まらないのだ。そしたら土建屋のオヤジみたいなおっさんが問題の土佐犬を散歩させていた。土佐犬はバイクのエンジン音が威嚇に聞こえたのか、おっさんが両手で引っ張っている縄をちぎりそうな勢いで俺の方に走り寄ろうとしていた。俺はびびった。あんなやつに襲われたら命がない。そこでおっさんは、早く行って、と俺に言った。抑えが効かないのだ。そんな犬飼うなよなあ。いつ走り出すか分からないから人気の無い朝しか散歩させられない犬。飼い主も犬も不幸では無いか。持てあましているぐらいなら最初から飼うな。

愛する女に話はよじれて戻る。彼女はワンピースをたくさん持っているらしい。似合うだろうな。まさに『夏服を着た女たち』だ。女の子の夏服ってなんて可愛いんだろう。綺麗だし。来年になったら頻繁に会える。それまでに体を絞っておこう。彼女のワンピースが楽しみだ。会いたいなあ。抱きたいなあ。ぎゅっと抱きしめたい。彼女は誰にも似ていない。オリジナルなのだ。彼女のことを考えると体が熱くなる。惚れてるんだなあ。

入浴した。全身これでもかと洗った。風呂上がりにジョン・レノンのTシャツを着る。気分はロケンロー。入浴で疲れている。以前どこかで入浴の疲労は30分ほど経たないと取れないと読んだことがある。息ぜいぜいだ。









2017/04/09

もうこだわらない・わお!・思い出して書くアル中時代





十五年ぐらい前まではPCの性能がいろいろ散らばっていて選んだり作ったりする楽しみがあったが、もうこだわらない。こだわっても意味が無いのだ。どのPCも体感速度では変わらない。でも一つだけ欲しいのがあって、それは例のぱたぱたマックだ。あのコマーシャルにはやられた。
せっかく風呂の準備をしたのだから入浴しなくては。それがだるいのだ。なんだこの鬱は。自分の心に行動が足を引っ張られる。

ゆうべPCをつけっぱなしで寝たらここ数日書いた文が消し飛んでいる。Windowsはなぜ更新の時許可を求めないのだ。勝手にリブートしてやがる。消えたよ消えた。連続体仮説の綺麗な肯定的証明を引き算だけでしたのに。もう忘れた、あはははは。

ワタシはもう14年飲んでいないが、それでもアル中だ。いったんアル中になったら一生治らないのだ。一杯飲めば元の木阿弥。連続飲酒にはまる。一滴も体に入れてはいけないのだ。いやそれにしても飲んでいたなあ。朝酒昼酒は当たり前。同時に医者がくれる薬物にもはまっていた。今はなかなか出ないと思うが、ハルシオンやリタリンを常用していた。クスリで駆動していたのだ、このポンコツボディを。良く死ななかったな。
なんであんなに飲んでいたのだろう。酒が旨かったとかはない。ただ酩酊して現実を忘れたかったのだ。だから酒の種類とかもうこだわらなかった。アルコールであれば良かったのだ。カクテル、ウォッカ、焼酎、日本酒、ビール、発泡酒、何でも飲んだ。まともに食事はしなかった。カロリーをアルコールに頼っていた。当然胃は荒れて腸も常在菌がいなくなるぐらい荒れた。苦しかった。それでも飲まずにいられなかった。治らないアル中だ。酷かったなあ。秋葉原の路上でどっかの兄ちゃんと喧嘩になり、もちろん刺す気は無いがふらふらしながらナイフを構えたりした。お兄ちゃんはお回りさーん、と叫んだ。そういうことがしょっちゅうあったのだ。ダメ人間一直線だ。やたらに街で喧嘩していた。べろべろに酔っ払って通行人に罵声を浴びせた。ただの危ない兄ちゃんだ。同時にリタリンなんかも飲んでいたのでシャブ中とかわらない。昼間からリタリンとハルシオンとアルコール。よく逮捕されなかったな。今の俺なら当時の俺を見たら通報する。逮捕して保護してやらないと何をするか分からなかったのだ。ところで、タイやラオスに行ってみたいのだが、麻薬への制約が緩い国ではまらずにいられる自信が無い。ハッパやチョコぐらいならたいしたことないが、最悪のヘロインが安く手に入るから、地獄のような目に遭いかねない。ヘロインは一回だけやったことがあるが、酔い覚めがとんでもなく悪い。ああ、こうやって中毒になっていくのだなと分かった。シャブは鼻から吸い込んだことがあるだけだ。それもごく微量。吸い込んだとたんに暗い部屋の蛍光灯の光が10倍になった。パキーンだ。映画"Leon"の中で麻薬取締官が使っているのもシャブの系統だろう。カプセルを噛み割ったとたんに全身に電流が走る芝居はあれはシャブだ(または高純度のコカインだ)。スピードなんて名前でシャブをやってる、シャブであることがよく分かっていない若者がいるが、危ないぞ。あぶりだって一緒だからな。
で、その経験から言って一番やばいドラッグはアルコールだ。お店で売ってるんだよ?飲ませる店まであるんだよ?しかもおいしいつまみと一緒に出すんだよ?いろんな種類があって、好き嫌いまであるんだよ?テレビで若い人気タレントが酒宣伝してるんだよ?潜在的アル中患者が800万人いるというのに。居酒屋に行くといるよな、おかしな呑み方をしてる人。まあこれは酒をまともに飲めない人間の過剰反応だ。上品に嗜んでいる人はいっぱいいる。たとえばワインを味わって飲み、料理のお供として使用している人は多い。また、純米大吟醸を冷やでやりながら刺身に舌鼓を打つことだって普通だ。嗜める人にはそれができるのだ。それが俺には出来ない。いや、最初は良いんだよ。コース料理と一緒にワインを楽しく飲むなんてことも出来るんだ。しかし一回酔ってしまうともうダメ。酩酊するまで飲むのだ。飲み始めはワインであれ日本酒であれバーボンであれカクテルであれ、味が分かるのだが、酔うにつれどうでも良くなる。酔うことが自己目的化するのだ。アル中時代末期はもう本当に何でも良かった。アルコールでありさえすれば。

今は飲まずにいられるし、酒が怖いし嫌いになっている。俺は今後の人生で酒を飲むことはないのだ。よし、これでいいではないか。あとは俺のアル中で迷惑をかけた人への償いだ。時間がかかる。一生かかるかも知れない。俺なんかどうせちんちんの先に穴が7つあるんだ、ゆっくりやっていこう。









2017/04/17

メーアーリーフー・『凍りついた瞳』・旅行・回転むら




今日は雨が降っている。お茶が切れたので雨の合間を縫ってスーパーマーケットに紅茶を買いに行った。ついでに駄犬の缶を買った。ああ、窓の外で雨が激しく降り出した。明日も雨の予報だ。病院に行かなければならないというのに。

さっきから『凍りついた瞳』椎名篤子さん原作ささやななえさん構成・絵の漫画を読んでいる。幼児・児童虐待について書かれた本だ。とんでもない虐待例が次々に出てくる。くるぶしの骨が露出するまで縛られた子なんてのもいる。なんで子供を叩けるのか俺には分からない。ニテ吉さんもケテ吉さんも育てやすい子供だった。夜泣きはしないし、ミルクもごくごく飲んでくれた。ミルクを吐くようなことは一回も無かった。俺の顔をすぐに覚え、写真を撮ろうとするとよじよじと這ってカメラに接近した。俺はニテケテのオムツの世話が楽しかった。いっぱい出ていると嬉しかった。それだけ大きくなるんだなと思った。ニテが一回腸重積をやってからは指で排泄物を調べ、出血が無いか確認した。綺麗なオムツに履き替えた時のニテさんの嬉しそうな笑顔は忘れない。
『凍りついた瞳』を読むと、しつけという名の暴力が当たり前だと思っている親たちが多いのにたまげる。子供は一切殴っちゃいけない。良いことをした時に褒めてやれば育つ。
ニテさんが2歳と数ヶ月の時にデスクの上にあったものを「わー」と言って落としたことがある。床に散らばったペンやライターを指さして、俺は「ニテ」と言って黙った。するとニテさんはしぶしぶ床のものを拾い上げた。そこで、「ニテ君おりこー」と言って抱きしめると、ニテさんは指をくわえたまま満面の笑みで俺に抱かれたのだ。
「子供が水をこぼしたりいたずらするから犬用の首輪をして繋いでいた」という事件があった。なんじゃそりゃ。子供は水をこぼしていたずらするもんなんだよ。子供から試行錯誤やいたずらを取ったら何が残る。首輪をした親は夜遊びしていたらしい。鞭打ち100回の刑でいい。中東風の本格的なやつ。死ぬかもな。
ニテさんとかくれんぼをするのも楽しかった。ニテさんがいる部屋からそっと出て、隣の部屋でカーテンに隠れて「にてさーん」と呼ぶとニテさんは部屋を見回しながら俺の隠れているカーテンまで歩いてきて、俺がカーテンを開けると、「いたー」と言って笑った。実に楽しかった。あんな事はもう無いんだな。寂しい。ワタシはニテ吉の発話を観察して、「ニテ吉ジェネレーター」というプログラムを作ろうと思っていたが、一緒にいるととてもプログラムが追いつかなかった。質が違ったのだ。

同棲していた女と会津若松に旅行したことをふと思い出した。博士課程の時だ。夏のクソ暑い時に行った山形はとてつもなく暑かった。気温が40度を超えていた。東山温泉の古い日本旅館に泊まった。三階建ての旅館は廊下が傾いていた。温泉に入ろうとすると、女将さんがご一緒にどうぞ、と言って女風呂に案内された。かなりガタが来ている風呂だった。興味半分で男湯を見たらお湯すらたまっていなかった。なるほど。女と風呂に入った。俺は何ともなかったのだが女が恥ずかしがった。どうせこのあとするのに。
安い旅館の食事は精一杯のものだった。などと言いつつ、今雨の中自販機でコーヒーを買いに行ったら思い切り転んだ。膝と右手の甲を痛めた。雨の中で転ぶとは修行が足りない。おおお、今見ると右膝の出血が酷い。なんとかせねば。取りあえず水道水で洗おう。精密機械を見ると水で洗いたがる「洗おうよ君」というキャラクターを開発したのはいつだったか。友達のうちに行ってテレビのリモコンを発見すると、「洗おうよ」と言い出すのだ。携帯電話を持って、「洗おうよ」だ。
で、女との旅行だが、4泊ぐらいしたかな。その頃俺は『遠き落日』を読んでいたので野口英世の生家が見たかった。で、行ってみた。すごく貧しい家だった。貧困と柱に刻んであるような様子だった。ものの本によると野口さんは研究者としての評価はあまり高くないらしい。スピロヘータのウィルスは,ウィルスだから当然だが、光学顕微鏡では見えないのに、何か勘違いして見えたこととして報告している。野口さんで驚くのは並外れた語学力だ。記憶優位の人だったのだろうな。それから片っ端から検体をプレパラートに置いて調べまくるたゆまなさ。一人でやる仕事量ではないのを一人でやった。『遠き落日』、うちにあるかな。あったらまた読んでみよう。

その女とは次の日別の旅館に泊まった。部屋に二人でいると、向かいのホテルから中学生の団体が双眼鏡でこちらを覗いていた。そういう年頃だ。カーテンを閉めて寝た。何日目かに滝壺が観光地になっているところへ行った。あれは何県だったんだろう。落ちたらまず命が無いところに柵もなく自由にいけるようになっていた。何日目かの旅館で、滝壺へは歩いたら一時間はかかりますよ、と言われたのだが、都会暮らしの人間の方が田舎の人間より歩くのに慣れている。ああ、そのぐらいだったら歩きますと言って出た。あ、村の温泉に入ったのだった。田んぼの真ん中に温泉があって、露天風呂が男と女で竹を編んだ壁で区切られていたのだった。田舎道を歩くのは楽しかった。

CDが一般的になったのは1986年だったか。あの頃から「回転むら」という言葉が意味をなさなくなった。DATなんてものもあったな。レコードやカセットテープの頃はこの回転むらが大問題だったのだ。カセットテープには「のびる」という問題もあった。回転むらとのびが一緒に来ると音楽が聴けたもんじゃ無かったのだ。最初に買ったアルバムはビートルズのサージェントペパーズだった。最初に買ったCDはゴールドベルグ変奏曲だ。ヘッドホンをして真っ暗な部屋でブランデンブルクを聴きながら一人指揮をした。レコードの頃はスタビライザーなんて重りを乗せたりしていた。ディレクトドライブなんてのもあったな。で、俺は今でもレコードの音が好きなのだ。CDは10ヘルツから2万ヘルツまでしか録音できない。低音と高音がばっさり切られているのだ。人間の耳には聞こえないから切っているわけだが、倍音が共鳴した感じ、とでも言えば良いのか、が感じられない。つまり俺はレコードとレコードプレイヤーが欲しいのだ。壁が無くなる前のポーランドのロックなんて持っていたなあ。ニーメンと言う人で、"Set me free"なんて歌うものだから収容所に入れられたなんて話もあった。あの頃の反体制の人たちは無事だろうか?イタリアのテクノバンド、テクノツインズなんてののレコードも持っていた。ヨーロッパのマイナーなロックが面白かった時期だ。ヨーロッパのフリージャズなんかも良く聴いていた。山下洋輔さんのライブにもよく行った。今行けばもっとよく分かるに違いない。新宿ピットインはもうないのか。六本木サテンドールはまだあるな。ライブでジャズを聴きたいな。人様の奏でる音の列を聴いて楽しいとは何事か。ワケわからん。

15:09。母の見舞いに行ってきた。24日が退院日だ。ゴミ屋敷と化しているうちを三日ほどかけて掃除せねばならない。
17:08。ニテ吉さんはカレーが好きだったな。上手にスプーンを使って食べていた。箸も上手に使えた。あの子は俺の天使だ。ケテさんもそうだ。
ニテさんは言うことをよく聞く子だった。穏やかで優しい子だった。足し算村の村長さんに褒められるぐらい優しかった。俺が寝ていると枕元に大小二つの麦わら帽子を置いて一人でミニカーで遊んでいた。散歩に行きたいけど、パパが起きるまで我慢する、というわけだ。なんてけなげな。わたしゃ目が覚めてその事態を悟った時泣いたね。おろろーん。かわいいかわいいかわいい。ニテさん、君のパパで良かった。ニテさんは俺との分離体験をしたのかな。俺みたいなろくでなしでもニテさんにとっては大好きなパパだったんだから悲しい思いをしたろうか。傷ついたかな。それが恐ろしい。ママがいたから大丈夫だったろうか。おなかの上に乗ってきて、何でもパパパパだったニテさん。なんて残酷なことになったのだろう。ニテさんとケテさんには償うべき事が多すぎる。俺は二人の男の子のパパだ。嬉しい。










2017/04/18

余はいかにして基督教徒となりしか・余はいかにして棄教したか、そしてデステニー




まあなんちゅうか、手近にあったカルトの中でカソリックが一番体系が整っていたからです。あと元々のバッハ好きだったことも大きいかな。教会音楽も親しんでいたし。バッハは新教だよな。あれですね、何らかの宗教教育を受けた方が危険な破壊的カルトにはまらないようですね。完全な無神論者の方がカルトにははまりやすいようだし(オウムみたいに)。高校の時英語の教師がプロテスタントで、教会に誘われて行ったことがあったです。教会っていい建築だなと思いました。なんというか、神社仏閣とは違った静謐さを感じたんですね。大学大学院と無宗教で行きました。結局今考えて引き金になったのは親友の自殺です。悲しくて悔しくて仕方が無くて、母校の教会に駆け込みました。学部時代から目をかけてくれていたカナダ人の講師が、もう私の手には負えない、との事でM神父様に私を紹介されたのです。M神父様は40年ぐらい日本にいるのに日本語がまるでだめで、それはおそらくワタクシの母校がそれを許す環境にあったのでしょうが、実にまあ細かい話まで英語でしなければならなくて少々やっかいでした。負担になっている事を話しました。恋人との別れ。それもワタシのワケわかんない爆発による別れ。親友の死。一つ一つその頃の重荷を打ち明けました。そして最終的には自分が被虐待児であった事も話しました。まっすぐ前に進もうとするたびに過去が足を引っ張る事も。父の罵詈雑言が意識を占めて発作が起きる事も。ワタシはパニック障害まで抱えていたのです。呼吸が辛くなり体温が下がるような気がしました。アパシーに取り込まれてどうでも良くなる事も。
「彼女は僕を信じていると言っていました。それは今にして思えば愛しているという意味だったのです」
「彼の電話に気づいた時にかけ直しておけば彼は死なずにすんだのでは無いかと思って苦しいです」
いろいろ、いろいろ話しました。
するとM神父様はきんきらきんの法衣に着替えて私一人のためにミサをあげてくださいました。香油をワタクシの額に塗り、なんだか始めて聴くラテン語の祈りをしながらワタクシの周りを回ります。途中で英語に切り替わり、この若者をお救いください、と言っていました。なんかワケ分からんけどそんなこんなで儀式は終わりました。M 神父様で感動したのは、独身でお寂しくないですか?と尋ねたら、あなたたちが家族ですとお答えになった時だ。信仰の力って凄い。
で、教会に通うようになりました。母校の教会や、学内にあるいろんな言語での小さな教会。行きまくりました。自分の信仰は不安定なものだったけど、祈る人たちを見て静かな気持ちになれました。それから聖書を覚えるぐらい読みまくりました。今でもちょっとした引用は出来ます。伝導の書は感動的だったなあ。

でもね、仮に神がいるのならこの世の不幸はない、と思うようになったのです。3歳の子が実の親に虐待されて死ぬ。対人地雷で子供たちが死んでいく。なんてのを考えると、神はいない、という気持ちが強くなってきました。それにキリスト教がどれだけ争いの宗教、戦争の宗教なのかと言う事にも気がつきました。イエス・キリストという人を神の子として考える事も出来ませんでした。あの人は革命家だという認識が出来てきたのです。あくまで人。客観的に考えると、彼はユダヤ人の預言者の一人です。神の子というようなものではない。で、神父様方には信頼を置きつつ棄教するということになりました。今でも連絡は取っています。彼らは力強いです。信仰が人を強くするって確かにあります。でもたかだか二千年前の革命家を神の子と認めることは出来ませんでした。そして、今のワタシは神は信じていますが、キリスト教徒ではありませんし、ワタシの神は教会にいる神ではありません。ワタシの信じる神は深夜にやってくる一片が数光年ある巨大な立方体です。電波入ってますが、神の臨済感に触れたことが何度もあるのです。それはとてもデステニー。運命のデステニー。ああ、ああ。君と走るよハイウエイ。


腰の腰痛が痛い。筋肉が落ちてますます腰の腰痛が痛くなってきた。一日五回の礼拝を止めようかと思う。王国会館に日参するのも止めた方が良い。只管打坐もいいかげんにしておこう。五体投地はも少しやろうかな。

ニテさんとケテさんを連れて神父館にM神父様に会いに行った時、90を超えて神父様がだいぶぼけておられるのに気がついて、俺は神父館の外で泣いた。するとニテさんが心配そうな顔でワタシの涙を拭いてくださった。なんてありがたい方なんだ。ニテさんはワタシを心配してくださったのだ。この俺をなあ。好きでいてくれたんだなあ。

昨日バスの中で5年生と3年生の兄弟が子供だけで乗っていた。話しかけると楽しげにいろんな話をしてくれた。3年生の子は、何々君がね、と俺の知るワケのない友達の話をして可愛かった。二人とも可愛かったなあ。ニテさんとケテさんにもああいう時期があったわけだ。見逃した。惜しいことをした。小学生のニテケテをかわいがりたかったな。バスや電車にニテケテと乗って、いろんな質問をされたかったな。





ジョン・レノン・母の退院・抗酒剤



2017/04/23

ジョンの「ダブル・ファンタジー」をヨーコの曲を削除して聴いている。名曲揃いだ。ジョンの声の良さは絶品だ。この人が殺されたなんてもったいない。生きていてくれれば更に名曲を作っていたろうに。「ミルクアンドハニー」のジョンの曲も入れてある。オノヨーコの曲はいらない。あれはなんなんだ。

2017/04/24

今日母が退院してくる。三ヶ月近く一人暮らしだったので、人がいるのが嫌になっている。今7:52か。そろそろ行くか。

帰ってきた。母がうるさい。と思ったら寝てくれた。しばらく動けないだろう。食事の準備も後片付けも当然俺がやる。

2017/04/26、4:58。5:32.一回起きてきてまた寝たようだ。ニテ介の離乳食は何をやったっけ。ニテ介はすぐに離乳食から普通の食事に発展したのだったな。

7:53。さっき書いたのを忘れていた。三度寝したのか。

13:11。母が頼りなく家の中を歩く。老けたんだなあ。

17:27。医者に行くたびに抗酒剤を貰ってくる。シアナマイド。酒を飲むはずもないのだが、自らへの戒めとしてシアナマイドを飲んでいる。うちには酒自体が無いし、買いにも行かない。とてもそんな気になれない。以前シアナマイドを飲んで酒に手を出し、とんでもない目に遭ったことがある。苦しいのなんの。動悸息切れ吐き気、血管の拡張。あれは苦しい。吐いても楽にならないのだ。水を飲んでもダメ。今毎日飲んでいるから蓄積効果も凄いと思う。
俺は酒が飲めない体なんだ。それでいい。ちっとも飲みたくないもんね、実際。ありがたいなあ。飲み会があっても飲まない。シアナマイドを飲んで行く。俺は酒を飲まない人なのだ。日々の抗酒剤。日々の断酒。あとはタバコだけだ。

2017/04/27、10:39。

母が弱っている。朝少し掃除をしたと思ったら疲れてベッドで横になっている。

ワタシはキース・ジャレットのDeath and The Fowerを聴きながら掃除だ。












志村けんって本当に面白いか?・竹林の清談・病院のスタッフさんまさによしなしごと



2017/04/27

志村けんで笑ったことが一度も無い。一度たりともだ。「アイーン」ってなにあれ?幼児向けじゃ無いか。俺はお笑いを愛する故に、ああいうちっとも面白くない芸人が嫌だ。これまた例の、質としてはどうしようもない演歌が受けるののお笑い版か?いやあ、演歌って音楽的にはひどいよね。志村の笑いもひどい。あれは子供向けなのだ。

昔「象さんのポット」というコンビがいた。大変に面白かったのだが、審査員が間抜けで(ガッツとか)評価が悪かった。ガッツのくせに自分には分からないおもしろさが腹が立ったらしく、ちっとも面白くない、とマイクを握って吐き捨てた。ガッツのくせに。東京03とか我が家がもっと見たい。お笑いのライブに行きたい.テレビで出せるのはつまらんよ。やはりライブじゃ無いと。テレビでは見せられないネタが見たい。

2017/04/28。9:56。千葉の田舎の竹林でキスした少女。名前すら覚えていないが、小さくてかわいい子だった。ベッドの上でも抱き合ったが、面倒なことはしなかった。あの子はあのとき幾つだったのか。16か17だ、制服を着た彼女と手を繋いで田舎道を散歩した。話していたら、彼女は中二の時に経験したそうだ。相手の男は大学生だったが、我ながら情けないと言っていたそうだ。淫行も良いところだもんな。俺も塾でバイトしていた時に中三の女の子に温泉に行こうよと誘われたことがある。どうなったかは覚えていない。教師という仕事はもてるんだよなあ。あの頃同棲していた女の子には、予備校講師で稼いだ最初の給料でジルコンのピアスを買ってやった。泣いて喜んでいた。職場につけていったら、同僚にすごく褒められたらしい。女と同棲しながら、俺は学生達と恋愛をしていた。別の16歳の子に、デートしてくださいと言われ、まるっきり断らずに乗った。新宿御苑でキスして抱き合った。渋谷でいいことをした。そういえばきれいどころの女の子を集めてデパートの屋上の回転レストランでお茶会をしたものだ。きれいどころと言っても、俺が集めたわけではなく、綺麗な女の子の友達はみな綺麗だったのだ。これ残酷だけどそうなんだよね。綺麗な子の友達は綺麗。

でだ。それならブサイクの友達はブサイクかというとその通りなのだ。以前ブサイクと付き合っている友人に、そのブサイクがホームパーティした時の写真を見せて貰ったことがある。いやひどかった。よくもこんなに外出禁止顔が集まったものだと慨嘆した。

先ほどまで母の入院した病院のスタッフさんが訪問して状態を見ておられた。凄いな、このアフターケア。皆さん熱心。俺にはとても出来ない。凄い人たちだ。

突然意味も無く思い出した。一人カラオケで模造刀を持ち込んでカタの練習をしていたら、おまわりさんがいっぱいやってきたことがある。没収された。

2017/04/29。8:39。実によく寝た。

8:58。遅い朝食を取る。母が動き回っている。本人に言わせればリハビリだが、見ていると動きすぎだ。

今日からまたLSLTを読む。神尾昭雄先生が半年かけても読んだ方が良いとおっしゃっていた本だ。LSLTを読んだらMinimalistを再読する。と書いてから2時間後。LSLTタイトだなあ。びっちり詰まった内容だ。更に2時間後。Chomskyはキチガイだ。なんだこの極度に圧縮された文体は。こんなの読むたびに苦労する。55年にこんな事考えていたんだ。今読んで新しいのが凄い。それにしても物凄い力業で可能性を削り落としていく。一読しただけじゃこの人には当たり前のことが分からない。バケモンだ。








音楽の表示・言語の表示・楽天的な学者・マイルズの心地よさ・ジャック・ヒギンズ・『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』




2017/05/15

久しぶりにジャケンドフの本を読んでいる。この人は知的好奇心の塊だ。いろんな分野に業績がある。音楽に関する論文も書いている。本人がサックスプレイヤーだ。CDも出しているんじゃ無かったかな。で、彼の発言で面白いのは、「音楽は音ではなく、ましてや楽譜ではない。我々が音を聴いて心的表示に現れるのが音楽だ」などと言っているあたりだ。当然ながら言語も書かれたり音でコード化されたりしている人間外のものではなく、人間の内側にあって心的表示として捉えられる。別にこれはジャケンドフだけではなく、現代の言語学者や認知心理学者なら常識だ。
ジャケンドフの言語モデルはチョムスキーのものよりもconvincingだ。チョムスキーはひたすら統語中心主義で音韻表示も意味表示も統語構造からの派生だ。これに対してジャケンドフでは統語、音韻、意味がそれぞれ独自の生成規則で派生して、それらが対応規則で結びつけられる。つまり語彙や構文が三つの表示をつなげる規則であるとしている。ここからはワタシの解釈だが、いわゆるLexiconは対応規則の集合と言うことになる。わかりやすい記法があればいいのだが今のところ提案されていない。例えば”John"の表示は、
[jon]=[+noun, animate, +human...]=[a noun denoting a man,...] where"="is to correspond.
とでもなるのかな。ジャケンドフだったら意味表示にもっと凝るんだろうが。で、ジャケンドフの書くものを読むと、明らかに楽しんでいるのだ。新しい装置を考案することが楽しくて仕方が無いという様子だ。俺もジャケンドフを読むと楽天的になる。チョムスキーの鬼のような厳密英文のあとだとなおさらだ。

今日マイルズのCDをたばこ屋の親父さんから借りた。長いつきあいなのだが最近になってジャズフリークだという事が分かったのだ。"Kind of Blue"と言うアルバム。コルトレーン、ビル・エヴァンス、キャノンボール・アダレイ、ウイントン・ケリーたちが参加している。聴き入っていたら突然『さらば愛しき女よ』が読み返したくなった。"Farewell My Lovely"で取り寄せようか。いいアルバムだ。参加している全員が楽しんでいる。演奏って楽しいだろうな。とりわけマイルズたちの境地に達したら演奏が楽しくて仕方ないだろう。話変わって、レイモンド・チャンドラーの作品はどれも渋い。ジャック・ヒギンズと同じぐらい好きだ。"A Prayer For The Dying"は持っていた。何度も読んだものだ。

今髪を伸ばしている。昨日床屋さんに行ったが、俺の髪は量が多いのですいて貰った。長さは変わらない。後ろで結べるぐらい伸ばそう。

『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を十何回目かの読み直し中。小説が堅牢な構築物となる作家は他に例えば筒井康隆さんがいるが、村上さんと筒井さんではまるでカテゴリーが違う。筒井さんは透明な文を書く。村上さんもクリアな文体だがメタファーやメトノミーが引き立っている。破綻が近いほど曲芸飛行の文体なのだが、読み手に負担を与えない。名人芸だ。筒井さんと村上さんの文を生成するシステムは作れるだろうか?どっちか片っぽなら出来るな。だが両方は駄目だ。日本語というおおざっぱなくくりの中の筒井語と村上語なのだ。一つの生成文法システムは一つの個人語しか生成できないし、それ以上のことをしてはならないのだ。大抵の論文ではいろんな発話を並べてあるが、それらが別のシステムの生成物である可能性だってある。Aspects読んでたらそういうことに行き着いてしまった。だいぶやばい。根底のところでジャッジメントが違うんじゃ無いかという可能性に行き着いた。しばらくこの疑問はワーキングメモリに置いておこう。いろんな基礎文献を読みながら半年か一年かけて解決しよう。チョムスキーはこの可能性にぶつかったことはないのかな?(LGBの中で、個人語ですら理想化が必要なぐらい乱雑だと言っていることに気がついた)

『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を何度も読むと、ハードボイルドワンダーランドより世界の終わりの方が魅力的に思える。私、の目を通した現実より僕、の見た世界の終わりの方がまとまっているのだ。そりゃまあ当然だな。世界の終わりは一人の人間が作り出した箱庭だから。今BGMにシェルタリング・スカイをかけていたら絶望的な恋愛の記憶がよみがえった。同期の修子ちゃんと必死な恋愛をしながら別個の恋愛もしていて、映画『シェルタリング・スカイ』をその子と一緒に見たのであった。同時に性欲処理用の女もいて、こいつは俺と結婚するつもりだったらしいが、馬鹿な妄想を抱かれて気持ち悪かった。つまり一度に三人相手にしていたのだが、修子ちゃんとやっていきたかった。まあいいや、太平洋岸の海辺で大きい波が来るのをハッパをキめて眺めたい。波の一つ一つ、その強弱、タイミングにいちいち意味を見いだして納得するだろうな。閉じた無限、という性質を持つ世界の終わり。一度訪れてみたいが出口は南のたまりというどうにも危険な道しかないのだ。あの世界を幻視するだけで村上さんは大したもんだ。











面白くないのは罪・動物たちの愛着・空しき日々



2017/05/19

相原コージ、ラッスンゴーレライ、小島よしお、など、全く笑えない「お笑い」の人がいる。俺は鬱持ちだからお笑いが大好きだ。心にキックするピンポイントのお笑いが無いと辛いのだ。他にも笑えない「お笑い」がいるが、特に目につくこの三つについて語りたい。
相原は絵が下手だ。上手になろうという意思が見られない。これだけ長いこと描いてきて上達しないというのは本人にやる気が無いのだ。ギャグになっていないのも痛い。それにパクリが多い。俺は相原で心の隅を刺激される「くすり」、すら感じたことがない。相原の痛いところは面白くないだけじゃない。「パラダイムシフトは起きるか」なんて隅っこに書いたりしてオリコウを見せたがるが、相原には関係ない話だ。はっきりパクリだと思ったのが、アメリカ小話集からパクっていたときだ。内容についてはいわんとこ。探せばいっぱいあるんだよ。
相原は身の程知らずにもネオ山上ギャグ、なんてのを言っていた時期がある。山上たつひこと自分のとんでもない差が分かっていなかったのだ。

ラッスンゴーレライは消えてくれて嬉しい。俺ああいうノンバーバルギャグって嫌いなんだよね。子供っぽいよ。志村けんの「アイーン」だって認めたくない。それに本人たち頭使ってないよな。まあ小学生に受けたって事で良かったね。小島よしおに至ってはバカ大学の飲み会のレベルだ。俺だったら自分が参加している飲み会でこれをやられたら不愉快になるだろう。殴りたくなるかも知れない。お笑いってほんとに高度な心の働きだから、頭の悪い奴らにいじられるのを見るとやるせなくなる。笑えないお笑い関係者は、では自分では笑いに敏感なのだろうか?相原がいがらしみきおをパクりまくったように、何が面白いかだけは分かっているのだろうか?吉田戦車、中川いさみ、中崎タツヤ、ほりのぶゆき、とがしやすたかたちがいるのに自分も漫画家として存在していいと本気で思うのだろうか?随分感性が鈍いやつだ。

つらつらおもんみるに、俺は過大評価されているものが嫌いなのだな。それと勘違いしているやつ。例えばナガブチ。ジュンコがどうしたと歌っていればいいものをいきなり忌野清志郎の歌まね。完全に勘違いしたセルフイメージだ。空手経験者だそうだが、マジにガチで殴り合いがしたい。こてんぱんにする自信がある。

2017/05/22

「愛着」を心理学の用語として使って語る。犬画像・猫画像を見ていると、犬猫が人間の赤ちゃんを外敵から守るものがあった。まずフシギなのは、どうして犬猫に赤ちゃんが守るべき存在として認識されたのかだ。飼い主が赤ちゃんを叩くまねをすると必死で腕を押さえて赤ちゃんを守る。寝てばかりいて立って歩かないから弱い存在と見做すのだろうか。猫や犬が赤ちゃんを自分の子供にするように舐めてかわいがるシーンが出てくる。愛着を持っているのだ。なんでそんなことが起きるのだろう。遺伝子を残すストラテジーとは全く関係が無い。犬や猫も社会性を持っているとしか思えないのだ。自分が飼われている家庭の中で自分自身もそのメンバーであると認識して、新参者の「小さな人」である赤ちゃんをメンバーとして認め、おそらくは他のメンバーの赤ちゃんに対する世話や態度から「大事な人」と判断するのでは無かろうか。コンラート・ローレンツの本によると、犬はオオカミの血族で社会性がある。猫はどうだ?猫が集会を開くのはよく観察されるが、アレは社会なのか?縄張りもあるようだしやはり社会を持っているのだろう。人間はもちろん社会的動物だ。人間と猫と犬は一緒にいれば社会が作れているのだろうか。この社会には遺伝子を残すためといった目的論的な理屈はつけられない。彼らは社会的動物として社会性というところで結びついているのだ、あ、今ちょっと気がついたんだけど、安定した社会を作れば遺伝子は残しやすくなるのかな?完結した社会に属する利点はありそうだ。このことは少し考えてみたい。

2017/05/23

二度目の離婚をして息子達に会えなくなったワタクシはひたすらキャバクラで酒を飲んだ。フィリピンパブではカラオケで日本語の歌を歌っている人がいると、その歌詞を同時通訳して女の子に伝え、スゴイスゴイと喜ばせた。一人でキャバに行くのだが、いろんな歌を歌って他のお客さんからリクエストを貰ったりした。ワタクシは日本人のキャバはあんまり好きではない。お世辞が見え透いているし、仕事でやっていることが明らかだ。フィリピーノとかタイとかロシアンは楽しんでやっている感じがある。特にフィリピーノ。かわいい子が多いんだよなあ。それに一緒に歌ったり踊ったりで陽気だ。あれはどこのフィリピンパブだったか、ジョン・ボンジョビは歌える?と聞かれていいや、と答えると、ハイウエイスターは知ってる?と尋ねられた。いくら何でも知っていたので歌う羽目になったのだが、店中の女の子がスクリーンの前に集まって大合唱会になったことがあった。あれ、他の客は引いてたなあ。
でももうああいうことは無いのだ。酒自体が禁忌だし、女の子とややこしくなるのも避けたい。その時はいいんだけどあとで大変だ。でもまあ起きることは起きるときに起きる。仕方が無いのだ。











今日からまた禁煙



2017/05/24

今日からまた禁煙する。つまりまだ吸っていたわけだ。で、電子タバコにして乗り切るつもりだ。昨日道を歩いていたら電子タバコを吸っている人がいて、話を聞くと普通のタバコが吸えなくなったというでは無いか。これはいい情報だ。早速今日買いに行こう。普通のタバコが据えなくなったら嬉しいな。母がタバコを止めろとうるさい。俺だって止めたいんだよ、と言うと、じゃあ止めればいい、と返される。そうじゃなくて、依存症なんだと言っても分からないらしい。好きで吸っていると思っているようだ。

2017/05/25
iQOSというタバコもどきを入手した。ニコチンは摂取するのだが、その他のワケわからん毒はない。で、吸ってみたのだが咳き込む。試しにタバコをそのあとに吸ったらすかすかでまずい。まだ19:28だがもう寝る。今朝も3時起きで勉強したのだ。ヤク飲んで寝る。



2017/05/26

昨日も今日も活字に頭が向かわない。なんかマンガも読めない。音楽をずっと聴いている。今日から完全にタバコからIQOSに乗り換える。と思ったらゆうべはクスリを飲んでいないな。慌てて飲む。効くのには数時間かかるはずだが、飲んだという安心感がある。机の上の掃除をした。タバコの灰が隅っこにたまりまくっていた。いかにも汚い。

おとといまで急いで生成文法の発達の歴史を追ってみたのだが、チョムスキーって人は本当に頭がいいな。平気で前の説をひっくり返す。以前のやり方でどれだけ成功していてもより困難な道を選ぶ。自分の理論をこれだけ捨ててくる人は滅多にいない。新しい可能性や方向性が見つかれば躊躇せずに以前のモデルを廃棄する。一モデルにしがみつかない。理論家としてゆとりがあるのだ。彼が天才なのは言うまでも無いが、同時代にいられることはラッキーかつアンラッキーだ。ラッキーなのはいいとして、アンラッキーなのは、その止まらない生産性に追いつくのが難しいからだ。今日は家中掃除した。母が毎日掃除しているところはいいのだが、パソコン部屋がひどかった。掃除機がガリガリいった。掃除機をかける前に手作業でいろんな紙とかクズを拾い集めた。600円拾った。わあ、うれしいなあ。次は本棚の整理だ。今とんでもないことになっているのだ。

あはは、また消えてる。もういいっす。

今朝もやたらに早く目が覚めたがそのあとまた寝るんだよな。これは良くない。起きるのを6時ぐらいにしなくては。12:54だ。勉強しなきゃならないのに『惑星ソラリス』が見たくなった。夜のホゲホゲタイムに見よう。今は勉強だ。PCも止めた方がいいかな。でもOEDとかシソーラスを使うからいいか。リーダーズも起動しておこう。などと言いつつ14:28。LGBを読むのに疲れた。

17:47。まだLGBを読んでいる。今日は一日がかりだな。だいぶ読み方が緩い。きっちりしなくては。

2017/05/29。9:17。
昨夜は2時ぐらいに寝たか。

あはは、また消えた。もういいっす。

今日からICOSすら使わない禁煙。大丈夫か俺。
LGBをじわじわ読む。とんでもないアイディアがさりげなく述べられているので要注意だ。

などと言いつつウェブで猫動画ばかり見ていて時間がもったいないことになっている。猫なあ。飼うと楽しいんだが。今駄犬がいるからなあ。

2017/05/30
今日は昼間眠くて仕方なかった。実際に寝ていた。だる眠い。運命のデステニーだ。六日タバコを吸っていない。なかなかやるだよ、おら。

2017/06/02
このエントリー、いつの間にか日記になっている。これはいかん。ちゃんと書こう。












右傾化・録画・九州北部の大雨




最近ウェブの掲示板をあちこちと見ていくと、びっくりするぐらい韓半島の人たちについてのヘイトスピーチが目に付く。いつの間に日本の若者はこんな事になったのか。よく読んでいくと、満たされぬ思いをヘイトスピーチで晴らしている、というのが実情のようだ。今の10代なんて生まれてこの方不景気しか知らないんだよな。
たまたまこの列島に生まれてたまたまそこで育ち、そしてたまたま半島に生まれた人たちをgivenの条件下で腐し、罵倒する。まともじゃ無い。

HDレコーダーが当たり前になってから、テレビ番組をon timeで見ることが格段に減った。録画しておいて好きなときに見る。CMは飛ばす。気になるドラマだと何度も見る。「フランケンシュタインの恋」は録画しておいてあとから見た。何ともへれもけしいドラマだった。二階堂ふみの一人勝ちだ。親がいないのにそこそこのマンションに暮らし,同じ服を二度と着ない。なんじゃそりゃ?学部生のくせに研究室に入り込みすぎだ。それに研究室に院生がほとんどいない。だいたい何を研究しているところなのかもはっきりしない。

九州北部の大雨は本当に酷かった。死者行方不明者併せて50人前後だ。鹿児島もひどかった。猛烈な雨が降り続いた。しばらくは避難所、そして仮設住宅の生活だろう。避難所ストレス溜まるだろうなあ。いらいらすることもいっぱいだろう。本当に大変な災害だ。近所の人と一緒でも知りたくない面が気に触ったりするだろう。気の毒でならない。特に子供と老人がたまらんだろう。この暑いのに避難所。倒れる人が出る。病気の年寄りだったりしたら大変だ。二次的な死者が出るだろう。復旧にどれだけの期間と金がかかるかまるで分からない。募金やってたら少しだけ入れておこう。










Jackendoff・Jespersen・10コアCPU




チョムスキーとジャケンドフのモデルでは私見だが圧倒的にジャケンドフの方が分がありそうだがチョムスキー一派の生産性は何事だろうか。UGに迫ると言うことでは両者とも良くやっていると言える。タイトさで言えばチョムスキーだろうか。視野の広さではジャケンドフに軍配が上がりそうだ。一概にそう言い切っていいのかな。アヤシイ。チョムスキーは常に異端で先端だ。ジャケンドフは統語論でどのモデルをとってもいいような構成をする。ジャケンドフの方がいじりやすい文法を作っている。そしてJespersenはもちろん時代が遡るからだが、自由でどの理論にも束縛されない記述をしている。何よりJespersenは読んでいて面白いのだ。面白い文法って形容矛盾か?言語学者にとっては矛盾では無いのだ。Jespersenは扱う範囲が広い。あきらかにソシュールなんかより上だ。でも世間様はソシュールを持ち上げ続ける。なんでだ?フランスだしカッコイイからか?それってビンボーだぞ。すごくカッコワルイぞ。現代思想の馬鹿だ。現代思想ってなんであんなに頭が悪いんだろう。何について語っているのかすらあきらかにしない浅田彰あたりが元凶か。

とうとう10コアCPUが出た。スレッド20だ。何するんだ,そんなの。ワタクシは今の4コアで十分だ。とは言え速いマシンは気持ちいいだろうな。欲しいかと言われれば欲しいが、必要かというとそんなことは無い。実際問題として、いったい何をすればそんな性能が必要なのだろうか。ワタシはhtml文書の作成、日記、映画視聴、ウェブブラウジング、prologでのプログラミング程度しかPCを使わないのでそんな図抜けた性能は必要ない。一般のユーザーであれが必要な人がいるとも思えず。動画をいじる人にはいいだろう。そのぐらいしか思いつかない。いったい何するんだろう?

では今日もJackendoffを読むか。などと言いつつハーゲンダッツ6個食べてしまったよ。Jackendoff面白い。今日は50ページは読もう。Jespersenも待っているのだ。ちんちんの先に穴がある真昼だ。暑い。

24時間後。今日もめちゃくちゃに暑い。Jackendoffを読み進めるが、2章戻った。いい加減な読みになっていた。きっちり読まねば。

などと言いつつ"Ocean's 12"を見た。すってんころりんな映画だ。なにこれ?ピンぼけしまくってるストーリー。どこが話のコアなのか。ちりぢりになった展開。これよく脚本通ったな。監督はこれで良かったのか。わからん。ブルース・ウィリスは何を考えて出演したんだろう。ドタバタコメディだ。








抗鬱剤



2017/08/23

抗鬱剤を二週間抜いたら酷い目に遭った。きついのなんの。何が書きたかったんだったっけ。そうそう、バカで嘘つきの女と付き合ってはいけない,ということだった。最初のニョボが頭が悪くてね。しかも嘘つき。新聞の受け売りはするし、うんざりだった。病的な虚言症で、毎日いらいらしていた。死んでいるといい。二番目の奥さんは嘘がつけない人だった。でも致命的な発言をする人だった。許せない言葉も幾つもあった。この人との間に息子が二人いる。会いたい。三番目の奥さんは何でも無かった。記憶から消えかけている。

さて、6:13だが、母を病院に連れて行くのだ。不眠と不安。要らぬ心配ばかりするのだ。











MMが合法だった頃の話



2017/09/02


関西はやる時はやると思ったのが京都の一角でマジックマッシュルームが自動販売機で売られているのを知った時だ。俺は行ったことが無いが,ノーパン喫茶も発祥は京都らしい。で、マジックマッシュルームだが、あれは効く。上野の大人のおもちゃ屋で売っていたので、買ったことがある。使い方を知らなかったので、店員の女の子に尋ねると、それは教えちゃ駄目なんですという。それで、女の子が二人いたので,二人で使った時のことはなしてくれない?俺は向こう向いてるから,と言って聞き出した。「ねえねえ、こないだキノコどうだった?」「食べたけどかなり飛んだよ」と彼女たちが教えてくれたので、お礼にもう一パック買った。

さっそく上野公園でビールを買って、MMを空っぽの胃に流し込んだ。アルコールに溶けたMMの成分はあっという間に脳に回った。くらくらであった。上野公園の鳩たちが実は一羽で,スローモーションで飛びながら空間にその姿を焼き付けている錯覚に陥った。せっかくの上野なので動物園に入った。Noctarnal Animals、つまり夜行動物の半地下式居住区域に行った。ここはもともと好きなのだ。いやあ、ミャーキャットやフェネックがいる場所で、小動物が好きな俺にはいい場所なのだ。オリでは無くガラス壁の向こうに彼らはいた。MMがきまった手でガラス壁を触るとぐんにゃりとガラスが形状を変えた。30分ほども見ていただろうか。喉が渇いてきたので動物園内でビールを買い足して飲んだ。酒の酔いなのかMMの酔いなのか分からなくなっていた。

効果は次の日までに及んだ。まともな文字が書けないのだ。

MMは尋常では無い知覚の変化が起きるから,見た目アヤシイ。あれはもう非合法になっているし、パクられるリスクを冒すまでのものでは無い。で、結局ハッパが一番いいのだが、国内ではやらない。ハッパを海辺でキめて風の音や波の音を聴くのは最高にいいが、あの程度のもので前科がついてはたまらない。だいたいが酒が良くて大麻が違法だというのもよく分からない話だ。俺はアル中だからよく分かるのだが、酒はやばい。大変に危険だ。内臓も脳も痛める。

2017/10/08
6:39
朝四時に目覚める.ゆうべ寝たのが多分10時前。こないだ薬を変えて貰ったら入眠が目に見えて良くなった。『入眠が目に見えて』って変か?

夕方4時になって今日まともに何も食べていないことに気がついた。一週間前は四日間で一食しかしなかった。食欲に乱れがある。ピザトーストとスープは喉を通る。

17:15、今日もミーは来なかった。俺を見切ったんだな。可愛そうなことをした。

2017/10/09
ふと目覚めると3時15分。しかし寝る前に飲んだキューピーコーワゴールドのおかげか,だるさが無い。さて、朝もはよから映画『彼岸島』でも見るか。

6:05、『彼岸島』を見終えた。原作を少し知っているから,物足りなかった。

さて、今9:56だが,今日の用事は全て終わった。自転車のパンク修理と薬局で胃腸薬、それからスーパーマーケットで食料の調達。あ、自転車はチューブ交換をしたんだった。

愛する女から着信があったのでかけ返す。服が多すぎて部屋が片づかないそうだ。あの美貌だもんな,おしゃれさんでも仕方が無い。

ここ数日米がまったく食べられない。代わりにパンを食べている。ピザソースとチーズでピザトーストを作って食べているのだ。異様にうまい。野菜が足りないのでミネストローネもどきをつくったらこれがまたうまくて三杯おかわりした。

2017/10/11
速達で母に送った手紙は今日着くだろう。

足が痛くて目が覚めた。今2:42だ。もう眠れそうに無い。まいったなあ。ずっとずきずき痛むんだ。

今9:30だが、結局痛くて眠れなかった。既に医者には行ってきた。消毒液が染みた。明日も来いとのことだ。かなわんな。これから痛む足で自転車をこいで食料を調達してこなければならない。辛い。

13:24
今日もまだ暑い。急にいろんなことがどうでも良くなる。これは鬱だな。クスリはちゃんと飲んでいるのだが。あきらかに空腹なのに食べるのが面倒だ。カロリーメイトを食べよう。まずいなと思いながらカロリーメイトをふたかけら食べた。少し胃が楽になった。もっと食べないと衰弱してしまう。さっき一時間だけ眠れた。かなり楽になった。

ピザトーストが一枚やっと腹におさまった。おいしくは無い。なんでこんなに食欲が無いんだ。なぜかいらいらそわそわしている。不安感もある。食べるのが面倒で牛乳だけで栄養を取っていたせいで腹を下している。薬を買ったはずだがどこにも見当たらない。あ、正露丸があった。倍量飲んじゃれ。今台所に何か用事があって行ったのだが,なんだったか忘れた。痴呆だ。大正漢方胃腸薬も飲んでしまえ。年を重ねるごとに胃腸が弱くなっている気がする。年は取りたくないな。俺ももはやおっさんだ。気力が無くなってきている。アルコールは断っているからいいが,ニコチンも止めたい。体を痛めるだけだ。

頑張ってもう一枚ピザトーストを食べることにした。確かに腹は減っているのだ。空腹なのに食えないというのはアル中真っ盛りの時に良く経験した。なんだって俺はアディクティブなんだ。こだわりがありすぎる。食べた。血糖値を上げるためにようかんも食べた。甘さに吐き気がした。 

しかし血糖値を無理に上げて良かった。ものが考えられるのだ。そうだ、インスタント味噌汁を飲もう。

19:48
ピザトースト二枚とブドウを一房食べられた。

2017/10/12
2:45
2時10分に目が覚めて寂しかったので愛する女に電話した。深夜に起こされても怒らないのだ。いい子なんだ。30分ほどよしなしごとを話す。かわいいなあ。本当にいい声なのだ。愛しているんだなあ。
David BowieのScarely Monstersを聴く。日本語が怖い。昼間無理矢理食べたのが良かったらしく,食欲と元気が戻っている。しかし同時に左足の痛みもぶり返していたので鎮痛剤を飲む。これが効くんだ。Bowieは今聴いても新しいな。なんてかっこいいんだ。『ラビリンス』と『戦場のメリークリスマス』では綺麗だったな。

3:33。
少し寝られればいいんだが。睡眠薬を飲むか。そうしよう。と思ったが止めた。8時まで起きていて医者に行こう。

杞憂であった。睡眠薬を飲んだらすぐに眠れて7時半に目覚めた。医者にも行ってきた。傷が深いのでまだ当分かかるそうだ。まいったなあ。

2017/10/13
3:55
朝三時に目覚める。足の痛みのせいだ。ビートルズのアビー・ロードを聴いている。名盤だなあ。昨夜は無理矢理ピザトースト三枚とトマトスープ二杯を食べた.これが良かったらしい。体が少し元気になっている。それにしてもいつまでも痛むなあ。ケガをしてから五日経つのにずきずきだ。膿むまで放置していたのがいけなかったか しあさって、次の月曜は病院だ。自分の抗鬱剤と睡眠薬、それから母の見舞い。

もう6:45だ。結局眠れなかった。痛い足を無視して風呂に入った。とはいえスーパーマーケットのビニール袋で足をくるんで輪ゴムで縛ってだが。

7:33
今日は鎮痛剤をもっと効く物に替えて貰いたい。ロキソプロフェンだからかなり効くクスリのはずだが,痛みが治まらない。




19:21
またウィンドウズのアホが勝手に保存しないまま再起動しやがって,今日書いた20行ほどの文が消えた。これなんとかならんのか?

今日はアマゾンから『山頭火句集』が届いた。好きなんだよな。山田正紀さんの『宝石泥棒2:螺旋の月』を読み終えた。無茶な小説だ。でもそこがいいのだ。読み終えた途端にバーンアウトになった。今日はこれ以上の情報の入力を精神が忌避している。 2017/10/15」 もう呆れて物も言えないのだが、Windowsがまた勝手に更新してこの二日書いたものが飛んだ。脱力だ。また書き直すか。



愛する女




2017/10/15 19:55

今日はもう愛する女と二回電話して三時間半は話をした。細やかな神経の持ち主で,とても美しい人だ。だが俺の女になることは無いだろう。彼女には好きな男がいるのだ。昔なら戦って奪い取るぐらいのことはしたのだが,もう疲れやすくなっているし傷つくのがいやだ。愛でていこう。声が甘やかで柔らかい口調。悲哀を感じるほどに愛している。いい話相手なんだが、男女にはならないだろう。性差で物事のとらえ方が違うから話が弾むのだ。俺は男性性が強い男で,彼女は女性性が強い。裸で抱きしめて全身かわいがりたいのだが,彼女は拒否するだろう。慎重な人なのだ。時間をかけて愛していこう。どう転んでもいい思い出になるだろうから。



再びの禁煙




2017/10/15 20:05


今タバコがあと三箱ある。これを吸い終えたら禁煙だ。目に染みる煙、止まらない咳、汚れる歯、出費が月四万。馬鹿なことではないか。吸い始めたのは高校二年の時の友人のすすめだ。アディクティブな俺は瞬く間にニコ中になった。今までの禁煙の最長記録は十六日だ。十七日目に高校生がタバコを吸っているのを見て、一本100円で売って貰い,吸ったらあっという間の逆落とし。確実に辞められたと分かるまで他人の喫煙を見てうらやましがってはいけないのだ。あいつら毒を吸い込んでやがる,ほどの感想を持つようじゃ無いといけない。ニコチンは体内で一時間で半分の濃度になるそうだ。だから一時間に一本ペースで吸う人が多いと言うことらしい。しかし俺はチェーンスモーキングをするのだ。身体依存では無く、心理的依存が大きいのだろう。赤ちゃんのおしゃぶりのような効果。幼児性が喫煙の形を取って表れているのだ。満たされない思いが常にあるのだろう。しかし禁煙することでバックプロパゲーション的に幼児性を排除できるのでは無いか。

かつて本気で禁煙しようとしたことがある。女のためだ。「タバコ吸う人とはキスできないわ」と言われて、本気で禁煙したのだ。いや、タバコ吸ってる時もキスしてたけどね。あの子のキスは甘かったな。胸も丁度いい大きさで柔らかかった。修士一年の時だ。心底惚れていた。それでもタバコは止められなかった。他力本願が行けなかったのだ。自分のために止めるのが正しい。いかにチェーンスモーカーだといえど、身体的依存はそんなに強くない。飛行機に八時間乗っている時にはまったく欲しくないのだから。これだけニコチンに依存しているのだから,止めた時の効果は凄いものがあるだろう。今度はあまり気負わず,何となく止めてしまおう。吉と出るか凶と出るか。なんにせよ,タバコなんかに自由を奪われた人生はいやだな。




最新理論言語学用語辞典



2017/10/15 20:30

『最新理論言語学用語辞典』という本が昨日届いた。めくってみると辞典では無く、学説の紹介に細かな索引がついている本だった。例えば語用論について俺は全くの無知だから、こういう本があるとレファレンスとして使えるのでありがたい。一つ問題があって、日本語で書かれた論文などは異様にわかりにくいのだ。英文のままの方が読みやすい。なんでなんだろう?日本語で書かれた定義などをいちいち英文に頭の中で置き換えるからかな。

それはそれとして、いい本が出たもんだ。参考にさせていただきます。









幻想的恋愛



2017/10/16 19:04


幻想的恋愛をしている。ある女性に理想を投影しているのだ。ほとんど毎日電話で話をしているのだが、今のところ友人だ。話を良く聞いてくれるのでありがたい。こんな田舎に住んでいて学生時代の友人達の連絡先も知らず、話をするのは彼女しかいないのだ。探せば見つかる友人もいるのだが何か面倒だ。一人の時間が大事なのだ。でも彼女とは話が弾む。こないだ「君を裸にして全身かわいがりたい」と言ったら引いていた。そりゃそうだな。初めて会ったのは17年前だ。一発で惚れた。その後数回しか合っていないのだがこんなに好みの女がいるなんて信じられない思いだった。。来年度関東に戻れば会うことは出来るが,男女関係にはならないだろう。そういう関係にならないまま友人でいるのも大事なことだ。
お互いに気に入った本の送りっこもしている。『この世界の片隅に』はすごく良かったと言ってくれた。こうの史代さんのファンになったようだ。音楽では遊佐未森さんが二人とも好きで共通している。
彼女は定期的に食料を送ってくれる。お母さんがいらないレトルト食品を買い込むのでそれを。
彼女は俺のことを相当の遊び人だと認識しているようだが、そんなことは無いのだ。俺は結構一途だ。浮気も出来ない。あ、いや、した事あるな。結婚している時はしなかったが。このまま友人でいるんだろうか?俺には経験の無いことだ。年を取ったと言うことかな。







籠池夫妻の顔





2017/10/16 19:32


森友学園の籠池夫妻。凄い顔をしている。どんなにうさんくさい人生を歩めばあいう造作になるのだろう。久々に見るキャラクターだ。
「詐欺師の顔」というのが一番適切な表現だろう。真実みが感じられないのだ,あの表情からは。幼稚園生に戦時中のような異様に右傾化した教育をしていたのが怖い。それは彼らはそういう信条を持っていると言うことだろう。いたんだ、まだそんな人が。ああいうタイプの詐欺師は、10代の頃に投資顧問会社で営業のバイトをしている時にたくさん見た。当時は話題になった事件を引き起こした会社だったが、被害総額400億円だったそうだ。まあ俺程度のトーク力でも電話営業で月70万ぐらい稼いでいたのだからバブルの前夜は金余りだったのだ。あほな時代だった。日本中が金に狂っていた。籠池夫妻はおそらくではあるが、個人的なバブルを経験しているはずだ。何をやっていたかは分からないが。
それにしても籠池夫妻の取り調べは大変だろうな。ああいう人間は中途半端に頭がいいから発言がころころ変わってしかもそれを大きな嘘でくるむことが出来る。調書取るのが大変だろう。俺が適齢期の子供を持った親だったら籠池夫妻の顔を見た途端に入園を取りやめるだろうな。それでも子供を入れていた親がいたってのが凄い。あのわけのわからん思想に共鳴したのだろうか。怖い怖い。




禁煙の行方




2017/10/17 5:10

朝4時に目覚める。最後のタバコを吸おうとして机の中をあさると,なんとカートン買いしたタバコの残りがあと四箱あるではないか。まいった。これを吸ってからか?捨てるのは忍びない。捨てられないのは心理的依存が強いからだ。タバコを吸わなくても今まで通り生活できるだろうか、とか、楽しみが無くなるんじゃないかなど。
しかし禁煙本によるとこれらは全て洗脳の結果だという。俺の心理を内省してみると,確かにタバコを吸わない人はおもしろみが無くて軽薄に思ってしまっている部分がある。そんなことは無いのだ。事実俺が尊敬してきた先生方は喫煙者では無かったではないか。自分がタバコを吸うものだから、同病相憐れむで親近感を持っていただけでは無いか。

昨日今日に続いて明日も母の見舞いに行く。化粧水やメガネが必要だということだ。







今再び読む『神狩り』



2017/10/24


前にもどこかで山田正紀さんの『神狩り』について書いた気がするのだが、三日続けて『論理哲学論考』を精読して思ったこと。
いやあ、山田さんだいぶウィトゲンシュタインにヤラれておられたのですね。でも論理的には読みが浅いところがある。『神狩り』の中では人間の言語には論理記号が五つあることになっているが、実のところは二つあれば残りは演繹または導出できるのだ。ウィトゲンシュタイン自身が『ロンテツ』の中でこれはちゃんと示している。ラッセルも『プリンキピア・マスマティカ』の中でそれを示しているらしい。もちろん俺は数学には素人ファンだから「語りえぬ事については沈黙せねばならない」のだが。『論理哲学論考』に出てくる数式はなんとか理解できるが、所詮素人。でもねえ、そんなことはどうでもいいぐらい面白い作品なんだよな。「神狩り」と「ロンテツ」を交互に読むと雰囲気が似ているんだよな。切羽詰まった感じとかね。24歳の時の作品だが、山田さん精神的危機を迎えておられたのやも知れず。あの一種異様な迫力はウィトゲンシュタインに背中を押されていたのでは無いか。外基地の家系に産まれ,外基地勉強をして外基地書物を残したのだな、ウィトゲンシュタインは。あれはあまりにも若くして読むと危険な本だ。頭が良ければ良いほど危険だ。16歳であれ読んでちゃんと理解できたら病院に行くことも考えた方がいい。なんか危ういんだ。あんな事考えなくてもいい人生ってあるんだよ、と著者に言ってあげたい。切ないよ,ウィトちゃん。


ラッセルが「ロンテツ」のやり方では自然数の無限が表現できないと書いているのだが、しっかりと定義されているのだが。ラッセルともあろう人がなぜ見逃したのかが分からない。俺でも分かる自然な定義があるんだよ。なんでだ?







Ziggy Stardust



2017/10/24


デヴィッド・ボウイのファンであることは既に何カ所かで書いたが、最後のアルバムは悲しかった。で、手元にあるアルバムを並べるとなんと"Ziggy Stardust"が無い。なんてこったと慌ててアマゾンに発注。明日届くらしい。ビートルズにサージェント・ペパーズがあるように,ボウイにはジギーがあるのだ。いつかフィリピンパブで"Ziggy Stardust"を歌ったら女の子たちが寄ってきてギターを弾くまねをしたなあ。なんてノリがいいんだ。俺は日本じゃなくてタイとかフィリピンに生まれるべきだったのかも知れない。日本社会はシャブいよ。みんながアッパー系のドラッグをキメたように走っている。休むと酷い目に遭う。

20:30
夕食後に何かが物足りず甘い物が欲しいのだと気がついた。スーパーに行ってくる。

20:55
ハーゲンダッツとレディボーデンを買ってきた。デザートって必要だよ。血糖値をぐんと上げて満足感に持っていくのだ。おお、もう9時か。寝る準備を始めよう。











『生成文法理論の哲学的意義』を読み始めた




2017/10/25


開拓社発行、阿倍潤さん著『生成文法理論の哲学的意義』を今日入手して少しだけ読んだ。副題が「言語の内在的・自然主義的アプローチ」だ。
生成文法を知らない人が読んだら腰を抜かすような、しかしワタクシたちにとっては当たり前の言語観が提示されている。70年代後半にチョムスキーによって提唱された、「可能な文法はたった一つである」なんて場所を読めば発狂する人だっているかも知れない。これ、生成文法家にとっては常識なんですけど、個別言語の変異度に気がついている人にとっては無茶な学説に思えるだろうなあ。P&P、つまり「原理とパラミターのアプローチ」ではどの個別言語でも原理群に変わりは無く、違うのはパラミターの設定だけだ。そしてミニマリストにおいては人間言語の計算装置(CHL=computation of human language)には、Mergeしかない。それはいいとして、この本は読者を選ぶ。少しでいいから生成文法に触れていれば勉強になるし納得も出来る。しかしいきなりこれを読むのは大変だろう。生成文法がその「読まない批判者」から嫌われるのは前提になる知識の量が膨大だという事もあると思う。英語は普通に読み書きできて、論理学や数学の基礎があって、どっちかというと文系の頭より理科系の指向性が要求されるのだ。数学者ならすぐに納得するのだが、語学自体が大好きで、数学はまったく出来なかった人にとっては憎悪の対象だろう。ブルーバックスの数論や物理学の本をセンス・オブ・ワンダーと共に読める人で無いと無理だと思う。かつての同期や同僚を見渡しても,数学が苦手だった人はいないのだ。例えば文系の王者と言うべき哲学においても、論理学に弱い人はいない。「蓄積が無いとそもそも読めない」本のトップスターはハイデガーの『存在と時間』かな?「ウーシアをめぐる巨人の戦い」なんてのが一ページ目から出てくる。何のことやら?何から読めばいいのかワタシには分からなかった。でも完読した。筒井康隆翁のハイデガー理解は甘いとすら思う。普通の言葉で語れない事ってあるのだ。その分野のその文脈のその時期の,読み方があるのだ。

この本も同じで、突然これだけ読んで理解するのは無理だ。かなりの蓄積が無いとそもそも読めない。

それにしても時代の進歩を感じる。翻訳書では無く、最初から日本語で「哲学的意義」を問う本が出版されたのだ。分野の成熟を感じる。それに何より面白い。阿倍さんという方をちょっとフォローしてみよう。

この項書き足していく予定。

2017/10/27
他の本にかかり切りになっていてなかなか読み進めていない。今日明日の二時間ずつを使って読み切ってしまおう。


2017/11/14追記:とても一日二日で読んでいい本では無い事が分かったのでしばらく時間をかけて読んでみる事にした。パットナム、クリプキ、ヴィトゲンシュタインたちの引用が凄い。阿倍さんという方はすごく勉強しておられる。三回ぐらいは読んでみよう。俺は当然ながら名詞の「指される物」が外界にあるとはまったく思わないので、ヴィトゲンシュタインとは立場が逆だ。というか、なんであんな頭のいい人がそこで引っかかったんだろう?やはり皆時代の子だという事か。この本には関係ないけど、ラッセルの"the"の定式化は凄かったよな。記号論理学で書くととんでもない事になるのだが、概念意味論なら簡単に記述できるのだ。
∃x∩if∃y then x=y
とかこんな表現だったな。今レファレンスが手元に無いので記憶に基づいているから間違っているかも。









家庭的遺伝の悪循環



2017/10/25


あなたは深夜の居酒屋で見たことが無いだろうか。チンピラジャージの男、金髪に近い茶髪の女、そして彼らが連れている幼児を。

11時や12時に子供を起きさせて自分たちは安い酒を飲んでいるわけだ。ああいう環境からはやはり親と同じ能力の子供しか育たない。だいたいがその問題の幼児がいきなり茶髪だったりするし、着ている服は無意味に高いミキハウスだ。子供にとって睡眠は食べるのと同じぐらい大事だ。起きている間ひっきりなしに得た入力刺激を睡眠と夢によってシナプス結合にまで影響させているのだ。ものの本によると、子供の頃から脳細胞がどんどん死んでいくのは、「残った回路」が個人的な個性を作るかららしい。酒を飲んでだらしない姿を子供に見せて、あげくには子供から睡眠を奪い、子供向けでは無い塩分の多いつまみを食べさせる。そして悲しいことにそうやって育った子供はやはり親と同じような家庭を作るのだろう。本当にこれって悪循環。

昔ヤクザの組長と知り合いになり、子供の写真を見せられ、「スチュワーデスか弁護士にしたいからおまえが家庭教師してくれへんか」と言われた。写真の女の子四歳の顔を見るともう癇性の現れた「わがまま顔」をしていた。だいたいなんだその職業の選ぶ基準って。弁護士とスチュワーデスでは求められるものが違いすぎるだろう。結局のところその組長が「まともでかっこいい職業」としてこの二つを並べて認識していたわけだ。俺は俺より英語ができる日本人スチュワーデスに会ったことが無いぞ。弁護士には何回か世話になったが、アホもいる。どっちかというと検察官の方が賢い人がなるみたいだ。

ところでその組長は被差別部落の出身で、高校進学自体考えてなくて、それは親も一緒で、中学生の頃からヤクザの事務所に出入りしていたそうだ。環境が悪すぎる。被差別部落への蔑視や特別視はもちろん俺には無いが、それを言い訳に好きなことをしていた組長だった。かくいう俺は士族の出身で、半ば義務的に剣道をやった。しかし父親がまだ小学生だった俺の前で「なになに君は部落だから付き合うな」と言ったので意味が分からず困惑したことがある。今になって思い返すととんでもない教育だ。生まれた場所は選びようが無いではないか。士族の誇りがあるのならなおさら平等に付き合うべきでは無いのか。ところでこれは10年以上前に知ったのだが、上野公園に俺のひいひいじいさんの名が刻まれた石碑がある。戊辰戦争に参加して死んだらしい。いやあ、俺の血はしっかり伝わったものだったのだな。ニテさんを動物園に連れて行った時に二人並んで石碑に頭を下げた。俺がすることをまねしていたニテさんは厳粛な顔を作ってヒンズースクワットのような深々とした礼をした。あの日のニテさんに俺の血は伝わっているのだ。嬉しい。












ニテ君とケテ君へ




2017/10/27


ニテ君ケテ君こんにちは。
ぼくは心に決めたことがあります。
それは、もうウェブで二人のことを書かないと言うことです。
ぼくにとって素晴らしい思い出である二人と過ごした期間は,今の二人にとってはおそらくどうでもいいことでしょう。
僕が二人を愛しているということには今後も変わりはありませんが、いつまでも3ヶ月や2才のことを書かれては迷惑だよね。
今の二人は自分の人生を生きているのだから、父親だからと言って干渉する権利は僕にはありません。すごく寂しいけど、ゆうべ寝る前に二人のことを考えていたらそういう結論が出ました。
また会える日まで、ひとまずさよならです。
僕のところへ来てくれてありがとう。
大好きなニテケテへ。














タブレットを修理に出した・シャーペンの芯・ジャケンドフの本




2017/10/27

タブレットの上をそうとは知らずに歩くという暴挙に出たワタクシは困り果てたのであった。パネルが割れている。しかし操作はできる。この状態で一月ほど使っていたのだが、これはもうダメだと思って修理に出した。集荷に来たヤマト運輸のおじさんは、タブレット専用の段ボール箱が組み立てられず、全部ワタクシがやった。平面から立体をつくって頭の中でクルクル回したりするのは得意な人にはとんでもなく簡単だが、不得意な人はまるで出来ない。これって実は小学校でやる図形の展開や、積分のイメージ力に関係あると思うんだよね。微積の式を見て一発で最短距離を見いだす能力は貴重だ。

俺はシャーペンは0.7ミリの2Bを使っている。HBでも堅いし、Hなんかとんでもない。字が書けないのだ。本当はトンボ鉛筆の2Bを何本も削っておくのがいいのだが面倒だ。どこかで椎名誠さんが書いておられたが、ボールペンを綺麗な字を書くのに使っておまけに使い切る人がいるのが不思議だ。筆記用具としては万年質も持ったことがあるが、あれは本当に字が綺麗で無いと辛い。俺の字は自慢じゃ無いが凄まじく汚い。いっそ自慢したいようなもんだ。

今更ながら"Foundations of Language"を入手した。Jackendoffの2002年の本だ。まだ本格的な読み込みに入っていないが、目次だけでワクワクする。俺は今のチョムスキーの考え方にはついて行けなくなっている。梶田先生の元でジャケンドフやピンカーを読んだのも原因だが、統語中心主義について行けないのだ。意味論と音韻論は統語論からは離れたところで発達し始めるのだと思う。ジャケンドフの言う対応規則が語彙であり言語記号だ。とは言えやはりチョムスキーの切り開いてきた世界が無かったらジャケンドフもいないだろう。チョムスキーの発見してきた言語の規則性や構文をより単純な原理群から導くやり方(例えば英語の疑問文で"do"が文頭に来ることをそういう規則としてでは無く,原理からの当然の帰結だ,と示したのがエコノミーペーパーだ)が無かったら今の言語学者の多くはいわゆるハード・サイエンスに職を選んでいただろう。俺だってエンジニアになっていただろうと思う。s

"Foundations of Language"の副題は、"Brain, Meaning, Grammar, Evolution"だ。どうです?これだけで面白そうでしょう?












新しい椅子がまだ届かない




2017/10/31


アマゾンで良さそうな椅子があったので発注した。今使っている椅子は背もたれが壊れ、座る部分も破けていて長時間座っていられない。
肘掛けがあるのも気に入らない。狭いのだよ,これでは。椅子の上であぐらかくとか出来ないのだ。で、値段的にも問題のないものがあったので発注したわけだ。今日から届けの予定日になっているのだが、今日は来ないみたいだな。いいソファを買うのは金さえあれば簡単だが,事務用の椅子では難しい。昔バランスチェアを持っていたが、あれは姿勢だけ良くなって作業が出来ない。唯単に正式の「座り」をするだけなのだ。一回腰椎圧迫骨折をしているので背骨に負担が無いと思って買ったのだがとんだ食わせ物であった。いい椅子が欲しい。一生をかけて探していくいい椅子。レイダース椅子編。何それ?
そういえば明日病院に行くのだった。睡眠薬がまるで効かないので強いのをもらいに行くのと、右肩骨折の母の見舞いだ。服を持ってきてくれと頼まれたのだがどの福か分からないのでいくつか持っていく。これじゃなくてあれだって言ったでしょう,ぐらいのことは言われるだろうが宿痾だ。なんて面倒な人たち。

明日の行動に対しての準備でサバと納豆と味噌汁で夕食にした。タンパクとエネルギーが必要なことをするのだ。

今日できることはした。あとは睡眠に入っていく努力だけだ。これがなかなかの問題なのだ。

今Stingの"Fraidat"を流している。これスペイン語でやって大成功だよな。ボウイが日本語の歌詞で歌ったのは惨敗だった。

{ク土

発熱では無い奇妙な熱感が無く無っ散る。」

上の意味不明文は体温が39度近くの時に書いたものだ。


2017/11/06
椅子を組み立てた。入院直前に届いていたのだ。組み立ては簡単。使い心地よし。自由度大。









肺炎で入院しておった

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2017/11/07
2:36
深夜に目覚めて書いている。今でも37度台の発熱があるのだが、そんなのどうって事無い。
なんと言ってもワタクシは昨日まで肺炎で入院しておったのだから。

いやあ、連日38度以上の熱が出るって苦しいですなあ。咳が止まらないのもきつかった。幸い四日の入院で済んだ。病院って行くたびに思うのだけど,とんでもない重病の人がいますなあ。ちょっと仲良くなった人に肺がんの人がいた。二度目だそうだ。10年を経て再発。

今回の入院で一番ありがたかったのは一度もタバコを吸いたいと思わなかったことだ。今も吸っていない。あんな物二度と吸うか。肺に煙を入れるんだぜ。野蛮だ。

歩いて買い物に行こうとしてくじけ,タクシーで行ってきた。なんと俺はここで反射的にタバコを買ってしまったのだ。今吸っているがうまくもまずくも無い。あんまり水に触りたくないのだが台所をきれいにし、米を炊き始めた。明日は今の時間にはバスに乗っていないといけないのだ。母が入院中の病院に行くのと自分の病院だ。

タバコなあ。なんで吸っちゃうかなあ。なくても済むのにあれば吸う。魔物だな。

今回の入院では,「まったく親切では無い看護師」というのに当たった。手紙を出してきてくれと言うと,「ここはホテルじゃ無いからそんなことは出来ません」だってさ。なにそれ?普通の病院だったら入院患者のそのぐらいの願いは聞き入れるぞ。仕方なく俺は38度の熱の中出しに行ったね。

病院から帰ってくると自転車が盗まれていた。こないだチューブ交換したばかりなのに。仕方なくもう一台を修理に出す。押していくんだよね。きついなあ。退院後二日目だぜ。

車いすのおじさんがやっている自転車屋さんに自転車を預けてきた。帰りコンビニに寄ってからタクシーで家まで。まだ37度以上の熱があるのだ。あたいが欲しくないのかい?

明日の通院および母の見舞いを来週の月曜に変えた。まだ動いていい体では無いのだ。母には手紙で断りを書こう。葉書でいいか。

一枚着れば暑いし一枚脱げば寒い。なんて過ごしにくいんだこの症状は。

そうだ、深夜に目覚めて『男たちのかいた絵』を見たんだった。トヨエツは芝居が上手いなあ。

タブレットはいつ修理から返ってくるんだろう。その時点で現金3万円持っていないといけないので,今から銀行へ行くか?クルマも自転車も無いままではどうにもならない。

なぜかタクシーが予約でいっぱいだそうで、歩いて銀行と買い物に行ってきた。帰りが大変だった。ほんとはまだ寝てなきゃいけないんだもんな。

駄犬はエサをハエに取られて腹を空かしていた。おやつを多めにやってきた。

明日は行けないことを母に手紙に書いて送った。もちろん明日には手紙は届かないのだが、来週行くことは伝えられる。そうだ、思い出した。月曜には日本言語学界の会費を払うつもりでいたのだった。もう火曜だ。ちくしょ。俺が動けない時に限って重要なことが起きる。

14:33
自転車屋さんに電話していつ頃出来るか尋ねたらあと二日かかるといわれた。丁寧な仕事をする人なのでいい。そして値段も安いのだ。

あ、またいつの間にか日記化している。切り分けなきゃ。










日本言語学界の会費




2017/11/09

日本言語学界の会費を払ってきた。会員じゃ無いと発表が出来ないのだ。来年度はデンパ度の高い論文を発表しよう。いつか日本言語学界の総会で、立方体を使って文法を書くという異常な高校の化学の先生が登場し、しっちゃかめっちゃかだった。語順が書けないのだよ。それに立方体だから8以上の要素は扱えないのだ。なんだったんだろう,あの人。おまけに次の発表者だったまともな先生の「インフルとアマルガム」という演題を馬鹿にして、「今時インフルなど」と発言し、けなされた先生はご自分の発表時間を費やしてこの半基地外の正体探しに集中してしまわれたのだ。結果、彼が高校の化学の先生で、とどめに「チョムスキーなど目では無い」と言い切って会場がひやりとしたのだった。俺は不幸なことにこの人の理論のレポーターをゼミでヤラされたのだが、理論になっていないから大変だった。

あんなになることはまさか無いが、自説の発表の時にはロジックの立ったものを発表したい。今考えているのは辞書の構造だ。Bloomfieldが言ったように、「辞書は規則に合わない要素の集合だ」とは俺にはとても同意できない。辞書はその名の通り"Mental Lexicon"なのだから、豊かな内容を包含しているはずだ。規則があり要素は多様な手段でストアされているはずだ。











自転車・デヴィッド・ボウイ・吾妻vsいしかわ・驚愕夢・タモリ・『小さい言語学者の冒険』




2017/11/12
昨日新しい自転車が届いた。折りたたみで20インチだがなかなか乗り心地がいい。欲を言えばもう少し重いギアが欲しかった。下の方はこんなの必要か?と思うぐらい軽いギアがあるのだが。これに乗って走っていると気分は南仏の港町なのだ。それはそれとして、なんだったけな。さっき何かを思いついて書いておかなくちゃと思った事は。学問寄りの話だった気がする。アイディアはいちいちメモらないともったいないのだな。一日生きていればそれだけ発見があるものなのだ。単なるフラグメントで記憶の彼方に押しやるには惜しすぎる思いつきがいっぱいあった。なるべくメモ取るようにしよう。

18:45
デヴィッド・ボウイの昔の歌を聞いている。こんなに歌が上手くてセンスのあるロッカーはもう出てこないだろう。Prettiest Starの音圧は高くないまま軽く歌いつつそれでいて響く情感がこもった歌い方は何事か。声帯って筋肉だから体力と歌い続けている事が必要なのだ。カラオケでも何でもいいから喉を鍛えた方がうまく歌える。最近歌ってないなあ。近くに綺麗なお姉さんのいるお店があれば通うのだが。というか、そういうところでは酒を飲む羽目になるから行けないのか,俺は。アル中だし。リーガルドラッグだけど医者がくれるクスリの依存だし。俺が医者から貰っているクスリは全部向精神薬だ。こないだ肺炎で入院した時担当の医師が俺の投薬量をお薬手帳から知って凄いな,と言っていた。医者も驚く驚異的鬱。しかも原因が虐待。言っても詮ない事だが。なぜ子供を虐められるのかな?それがまず分からない。俺は自分の二人の息子達をかわいがるので精一杯だったが。遺伝子の戦略なのかなんなのか知らんが,自分の子供のかわいさって犯罪的、麻薬的だと思った。

19:11。
今日は取りあえず一食した。明日は早くから医者だ。今晩の分の抗鬱剤が無くなっていたので明日は必ず行かなくては。まだ7時半にもならないが睡眠薬を飲んだ。朝5時ぐらいに目覚めればよし。

もちろん吾妻ひでおさんは天才だが、その訌争相手のいしかわじゅんさんも天才に近い。いま『吉祥寺キャットウォーク』の三巻目に取りかかったのだが、いや面白い。あの街の感じが出ている。吉祥寺のヤクザってのがリアリティがある。Look at here, I'm in heaven. デヴィッド・ボウイの声でこれを言われるとまいる。人間国宝にしてしまえば良かったのだ。日本がか?なんだそれ?

さっき不安発作が起きて愛する女に電話して対処法を聞いた。下半身を温めて上半身、特に手首の周りを冷やすといいというのでやってみた。ヒゲも剃っていなかったからもう一回風呂に入ろうかな。

19:30、風呂上がり。首の周りをほぐした。不安発作のある人にはこれがいいらしい。俺は驚愕夢をみて夜中に叫び出す子供だった。なにがと問われると答えに窮するのだが何かが怖い夢を見ていたのだ。「この子はいやだ」と目の前でいわれた5才の記憶か?俺は今思い出しても5才の子供がかわいそうで泣きたくなるよ。いかん。思考がネガティブになっている。明るい事を考えよう。最近のお笑いって知らないなあ。テレビ見ないし。録画してある「ブラタモリ」か「タモリ倶楽部」でも見てみるか?タモリ番組って心がシビアな時でもタイトな状況にいても楽に見られるんだよな。ダウンタウン松本が「酔拳のような」と評していたなあ。流石に表現が豊かだ。だいたいお笑いでは20年に一人凄いのが出てくるのだが、ダウンタウン以降では誰がいるかな?

さっき飲んだ睡眠薬二日分が少し効いてきた。『吉祥寺キャットウォーク』を読みながら眠くなるのを待とうか。あ、Bowieが"Space Oddity"を歌い始めた。しばらくは聴き入るだろう。

『ちいさい言語学者の冒険』を読み始めた。実に面白い。そうなんだよな。生まれてくる子供達は一次データをもとに仮説を構築するのだ。読み終わったら感想を書こう。面白いに決まっているのだが。

2017/11/13
5:20
『勇者が死んだ』の新刊が届いた。いやはや面白い。それはそうと今日は医者に行くのだ。抗鬱剤と睡眠薬なしでは何も出来ない哀れなワタクシ。わざわざ通販で取り寄せているコーヒー豆がいいので大変においしいコーヒーがいただける。やっぱり中毒性があるな。

かつて言語学を「文系の数学」だと言った人がいた。俺はそうは思わない。言語学は言語学で、社会科学は社会科学なのだ。筒井康隆翁が『文学部唯野教授』のなかで、文芸評論について語っている時に、また言語学なんだよな、と主人公に言わせているが、これは当然だ。なんと言っても文学は言語を介した表現形式なのだから。ただし、だ、だたしがつくのだ。文芸評論系で言語学の用語が使われる時は99パーセントがばったもんだと思った方がいい。その正確な意味での「差異」とか「記号」とか「深層構造」が使われているのを俺は見た事がない。だいたいが文学に理論なんか必要か?読んで面白い,それでいいではないか。いかんのか?

数学を極めたければ数学をやればいい。数学評論というのがあり得ないように言語評論もあり得ない。ましてや文芸評論なんて意味が分からない。ノースロップ・フライぐらいものをたくさん知っている人が文学について語るのはそれ自体が芸になっているからいい。さて、5時半になった。飯でも食うか。

6:34だ。寒くなってきたなあ。駄犬の様子を見に行こう。6:37。駄犬はこの寒さの中平気で寝ていた。今やっているおやつがお気に入りのようだ。カンのエサよりも食いつきがいい。あと30分で俺は医者へ行くバスに乗る。冬っていつもこんなに寒かったっけ?四季の巡りのたびに思うな。夏ってこんなに暑かったっけとか、春ってこんなにほんわかしてたっけとか。今日は病院から帰ってきたら髪を染めよう。昔やったみたいにグリーンにするのもいいが、この田舎では目立ちすぎるので白髪染めだ。10代から白髪があった俺だ。そりゃ白髪も目立つよ。

豊川悦司主演の『命』を最初の5分だけ見た。豊川さん芝居が上手いわ。4時半に目が覚めて眠れなかったくせに今になってアクビが出やがる。よし、この状態でPCを閉じてしまおう。きりが無く書き続けるのが目に見えてきたのだ。

13:44
宅急便が来るので家から出られない。米が炊けたようだ。なんか食べなくちゃ。食欲がねー。ゼリーしか入らねー。それではいかん。なんか食わなきゃ。食べたいものがない。なんにもおいしそうに思えない。そばなら食えるかな。野菜をたくさん入れた焼きそばはどうだろう?

電気ジャー、電子ポットはないが電子ジャー、電気ポットはあるのだ。なんでだ?多分これは言語の問題では無い。商品名という固有名詞が一般化したのだろう。ジョンレノンやデヴィッドボウイぐらいいい声を持って生まれてくるってそれだけで才能だよな。なんて脈絡のない文だ。

俺は今まったく飲まないがアル中である事に変わりはない。一回なっちゃえばもう不治の病なのだ,アル中は。適度に酔っ払って気持ちよくなる事が出来ないのだ。最初から酩酊を求める。これは他のドラッグについても一緒で、初めて大麻をやった時もこんなもんなのか?とその「軽さ」に驚いたぐらいだ。あんなのを禁じておいて様々な事件事故の原因になるアルコールを許すってひどい話だ。

ボイラーに着火しようとしたら灯油が切れていた。石油販売所に電話したらすぐ来てくれるそうだ。ありがたいなあ。こういう社会的分業制を見て一個の有機体のごとく扱う分野もあるようだが,馬鹿な。分散処理してるんだよ。俺は遙か昔受験勉強をしていた時「言語がすなわち集合無意識じゃないか」と、今思えば愚かな妄想をしていた事がある。それには以下のようなロジックがあった。人は言語によって認識や思考を限定されている。よっておのおのの個別言語使用者によっては世界の認識が違う。だから例えば英語を真に身につけるには思考まで変える必要がある。と言うような事。素朴なサピアウォーフ仮説だ。今ではまったく逆の立場だけど、素朴理論にはこれに類した言語論が多い気がする。子供だったんだなあ,俺。思考を言語そのものだとする因果で難儀な主張をする人がまだいるのだ。

お。アマゾンから本が二冊と革の筆入れが届いたぞ。こういうステーショナリーには気を遣いたい。定規は方眼紙で使えるやつ、シャーペンは2種類。消しゴムはMono。これは外せない。

14:51。まだ食べていないのだ。なんか食わなきゃ。かつてのフィレ肉ステーキ大好きだった俺はどこへ行った?これ拒食だよ。ビョーキだよ。俺はなんでこんなにメンタル面が弱いのだろう。あきらかに勝てる議論でも相手を叩き潰すのが忍びなくて譲ってしまったりする事もあった。

15:03。ボイラーに火が入った。無理矢理カレー食べた。四分の一は残したが。今の俺としてはグッジョブでしょう。夜また食べなきゃならないか。何作ろうかな。野菜を摂取するべきだと思うのだがどう料理していいかが分からない。俺はなにが食べたいんだ?

ボク、劇団員なんです、ダブルキャストですねん。


なんでこんなことを言い出したかというと、豊川悦司さんの『命』での劇団演出家というあり方があまりにかっこよかったからだ。芝居の世界にも入り込んでみたかったな。17才で舞台デビューした女の子が俺の彼女だった頃もあったんだよな。日舞とバレエとジャズダンス習っていて歌も最高に上手かった。俺の誕生日に一人暮らしの3LDKにやってきてろうそく一本ともした中で歌ってくれた。あの思い出があれば生きていける。俺のような連続快楽殺人鬼でも一人の女に愛され得るのだ。

いやあ、『命』いいわあ。食道癌から転移した肝臓と肺とリンパ節の癌。リーチじゃん。これ生きていけるわけがない。ブラックジャックでも諦める。全ての癌細胞を取ろうとすると一挙に体力が落ちるだろう。生きていけない。そういえば白血病ってのもやっかいだなあ。全身を巡る血液が癌になっちゃうんだからどうしようも無い。薬物で低空飛行は出来るらしいけどそういう生き方はしたくない。死ぬなら短期間に悪化する病気で一気に死にたい。気がつかないうちに癌にかかっていたなんてのがいいか。

「風邪を引いた」とは言えるけど「癌を引いた」はない。ぜんそくを引いた,もない。悪い風邪を引いた、もちょっと苦しい。「引く」は罹患する場合「風邪」でしか使えない動詞なんだな。あ、外は雨だ。しとしとと降れ。氷雨になって気温を下げろ。俺は寒いのは平気だ。

何か食べなきゃ。自分を追い込んでいるな。空腹が気持ちいいのだ。これは依存だぞ。またやっかいな依存が始まっている。さっきは無くて困ったライターが今は机の上に三個並んでいる。何があったんだ?俺記憶が飛ぶのか?実存に訴えかける病気か?そういうんじゃなくて単にたくさん食べれば終わる話かも知れないな。

今四時半。五時に食べよう。と思ってソーセージをゆで始めた。5分で出来ちゃうな。なんの関係も無く思った。ピーター・フランクルって数学者としてはどうなんだ?

16:49。ソーセージを10本ほど食べた。吐きたい。久々に動物の肉が体に入ってそのあまりの臭さに驚いている。肉って臭いんだ。南蛮の奴らが胡椒を求めてきたのが今得心できた。スパイスが世界を回したんだ。今ふと疑問に思ったのだが、「家畜」ってどのくらいの歴史のある概念なのだろう。猫は家畜にはなり得ないが,古代エジプトにもペットとして飼われていたらしい。かわいいもんね。あんな綺麗な動物は他には無い。犬は労働動物かな。子犬の頃から飼い慣らせば強力な仲間になってくれる。俺には今犬しかいないが、また猫が飼いたい。でも多分もう一生無理だ。猫は家に着くから生涯一箇所に済むつもりがさらさら無い俺には飼えないのだ。子供の頃猫がいて良かった。今睡眠薬を三日分飲んだ。気持ちがすとんと楽になった。最近のAERAでハリソン・フォードが表紙になっていた。スターウォーズやレイダースがやはり代表作だが、ハノーバーストリートという切ない映画もある。あれは隠れた名作だと思う。

アマゾンで服を買って失敗した。ベルベットが欲しかったのでジャケットを注文した。するととんでもないデザインの物が届いた。マオカラー(!)で要らんところに革をあしらってある。飾りボタンが大仰で恥ずかしい。即座に送り返した。あんなの躁病の王子様しか着られないよ。あんなデザイン誰が思いつくんだ?ついでに書いておくと、Made in Koreaだった。ありゃ無いぜ。韓国の人はあれでいいのか?俺には分からない方向に趣味が突っ走っていた。タケオキクチで買い直した。いいの来い。もう少し予算があればポール・スミスで買うのだが。お、頭に霞がかかり始めた。生あくびも出る。睡眠薬のやつが効き始めたか?

「命」、CTスキャンのシーンで豊川さん上半身裸なのだが見事に痩せて癌患者らしい。大変な仕事だな。

2017/11/14
4:59
早朝覚醒といっても5時前だからかわいいものだ。1時とか2時だと実にやる気をなくすのだが。そうだ、朝風呂の準備をしよう。ボイラーを見てきた。まだまだだ。寒くなるとボイラーの暖まり方がやはり違う。今日は完全に冬と読んでもいい日付だよな。

6:10、風呂上がり。気持ちいいねえ、もちいねえ。たったかいねー。夜がまだ明けない。6:16だというのに。今の俺はただの早寝早起きだが,鬱の早朝覚醒はきついぜえ。全然眠った気がしないまま目覚めると2時とか3時。

7:50,寝直しに成功。朝カレーなんか食べてやがんの。レトルト食品をもっと買っておく必要があるな。カレーやシチューは簡単においしいのが作れるのだが、一人の食事の量では無いのが仕上がってくる。さて、朝風呂にまた入るか。

風呂上がりに果汁を凍らせたものを食べよう。そして風呂上がり。DOLEのアイスバーグレープを食っている。

駄犬にエサをやってきた。最近はすっかり当たり前だと思っているようで,ご飯だよー、と呼んでも低木の茂みから出てこない。挽きひもを引っ張って出てきたのでカンフーズをやろうとするが最近は飽きてしまったらしく食いつきが悪い。

「悲しみ病」というのはどうかな。国民全てが悲しみにとりつかれてあげくに死んでいく話。

8:22。あと30分したらスーパーマーケットとディスカウントショップに行って買い物をしよう。今日はシチューを作りたいので肉とジャガイモを買ってこなくては。にんじんはある。マッシュルームもコーンも昨日買っておいた。そうだ、体温計が壊れたので買っておかなくては。

9:56。あああああ。体温計を買いに行ってジャガイモを買ってきている。また行かなきゃ。メモメモ。でも今は宅急便が届く時間帯なので11時になってから買いに行こう。今は9:59なのだ。


「命」、いい映画だった。江角マキコさんがあんなに芝居が上手とは思わなかった。豊川さんはもう上手いなんてもんじゃ無い。乗り移っているとしか思えない。主人公の霊が憑依しているのだ。

で、また関係ない話を書く。マイケル・ジャクソンの"Thrillar"ってボウイの"Scary Monsters"のコンセプトパクリだよな。ボウイの後追いはいっぱいいたけど,成功した人はいなかったな。

10:45。どうやら今日は宅急便が届かないようだ。体温計を買ってくる。

11:28、宅急便が来ないなと思って自転車で出ようとするときっちりそのタイミングで宅急便が届いた。ジョン・レノンのパーカーだ。

おったまげた。Windowsのインポ野郎また更新を始めた。五日連続だぞ。何それ?こんな危なっかしい商品を出してMSは恥ずかしくないのか。格文法が生成文法の一種だって?笑わせるなよ。(池田信夫)ぐらい恥ずかしいぞ。

師匠に捧げるために拡張する音韻論の論文を一本書く必要がある。それにはChomsky&Halleをもう一度読む必要がある。山が高い。

17:32
日が暮れる。なのでもう夕食を終えて睡眠薬二日分を飲んだ。どうせ深夜に目覚めてまた飲むのだ。睡眠が内発的にコントロールできないのは辛い。

23:10
寝て起きたらまだ今日のうちだった睡眠薬を足すか。それぐらいしか出来ないのよねえ;頑張って寝よう。











外在的言語・スキャナー・レーザー

2017/11/15
3:14
2時まで眠れたのでよしとしよう。社会系の人が言う「言語の外在性」というのがどうしても分からない。発話はあくまで個人のものではないか。個人の言語能力は個人の中にしかない。社会学的言語観というのはばったもんだ。食事は個人の行動だが、これに「社会的食事」というのがナンセンスなのと同じなのだ。

たかが十日前には自分は肺炎で死ぬんだと思っていたくせに今は食欲も戻り、生きていく事が面白くてならない。今日は自分の肺炎の病院と母の骨折の病院へ行くので,交通が面倒だ。3時間半後のバスで出かける。それまではウェブで遊ぶか勉強していよう。あ、今おととい届いた筆入れを見ていたらコンパスが欲しくなった。文房具欲。ディバイダもマイクロメーターも欲しくなるから止めておこう。

そうだ、今日はスキャナーを買おう。2年前まで使っていたやつは電源ケーブルが根元から折れて使えなくなったのだ。今はだいぶ安いのがあるだろう。ついでに電気屋さんにレーザーがあったら買ってこよう。あれいろいろと便利なんだよな。キーホルダーにぶら下げるもよし。対向車線のドライバーの目を狙うのもよし(うそだよん)。黒板を指すのに使えるし。最後にレーザーを買ったのはユダヤ娘からだな。彼女とは仲良くなって,最初「しん」と呼んでいたのが「しょーん」になっていた。10日ぶりぐらいに会った時の台詞が良かった。"Allow me a hug"、なんてかわいらしい。

本棚の整理をしなくてはなるまいと思って30分後、専門書は揃えた。しかしその他の本も大量にある。ここに更に辞書が三冊と専門書が五冊加わるのだ,今週中に。

昨日ドライバーを入れるために工具箱がいるなと思って買った。そしたら工具箱がワタクシにささやきかける、もっと工具っていろいろありますよ。そこでワタクシは六角レンチとかラジオペンチとかニッパーとかハンマーとかいろいろ揃えてしまった。こんなのどうすんだ?と胸に去来する物があるが、これは男の子のおもちゃの延長線上にあるな。

子供の頃は電子工作が好きだった。少し大人になるとバイクが好きだった。今はクルマにはなんの興味も無い。あれはものを運べるから良いんであって,それ自体が面白くなるためには数千万の出費が必要だ。おや、もう6:12だ。あと一時間でバスだな。そして行き先のバス停からタクシーだ。不便だなあ。











もはや早朝覚醒ですらない



2017/11/19


目覚めると2時。深夜である。そして今7時。朝だ。こうなるともう頑張って夜10時ぐらいまで起きているしかないのだ。昨日から睡眠薬が切れているのだ。なんでこの体と脳は休んでくれないんだろう。

チョムスキーの論敵、パットナムの本が昨日届いて読み始めている。どうもロジックが弱い。チョムスキーのおったまげるような構造化された文体を読み慣れていると、少しでも「ぶれ」がある文体にうさんくささを感じるのだ。一人の研究者が半世紀以上分野を引っ張り続けるなんて他の世界では考えにくい。チョムスキーはたまたま言語学をやっているだけで、どの分野に進んでもいい研究をしただろう。彼がやっていなければ俺もやっていない。多分貿易関係のビジネスマンになっていただろう。英語を勉強し始めたのはそれがあったからだが、やっているうちに素朴なサピア・ウォーフ仮説もどきを思いつき、あらあらと思うまもなく言語学へ。最初っから心理学に近い言語学をやろうと思っていたので、チョムスキーの内在的言語観にはすなおに入っていけた。テクニカルな事で苦労したのは学部の3,4年の頃だ。木はすぐに書けるようになった。RadfordやLasnikの本でだいたいのところがつかめたが、やはりChomskyその人の書いたものには苦労した。と言うか、今にして思えば解説書は山ほど出ているけど、最初から本人の書いたものを読むべきだったのだ。そうしないと例の別冊宝島的な孫引きだらけになってしまう。あれ書いてるライターたちって恥知らずだよなあ。まあ俺には関係ないけどさ。

恥知らずの大物と言えばやはり山本ベンダサン七平(この字だっけ?)だが、浅見定雄先生に完全に論駁された今でもあのばかげた本が売れているのだ。愚民と言う言葉が頭をよぎる。浅見先生の『ニセユダヤ人と日本人』をご一読あれ。

朝から母がうるさい。よかれと思って家の中にいろいろ設置した物が気に入らないという。しばらくいなかったんだから違和感はあるのが当たり前だ。俺はやっぱり家族構造の中で一番下に見られているんだな。全ての問題が俺に結びつけられる。ああ面倒だ。心理的に追い込まれる。フラッシュバックが起きる。こうしていて脈がおかしい事が分かる。呼吸が浅くなっている。なんて環境だ。子供の頃からこうだったんだ。しばらく前に失声症になったが,あれは予兆だったのだろうか。声帯がまったく使えなくなったのだ。声が出ないのはきつい。二日間声が出なくて、三日目にやっとかすれ声で喋れた。本当にあれはなんだったんだろう?

しばらく一人暮らしで自分のペースが出来ていたところだったので母が重たい。それはもちろん退院して帰ってきたのは良い事なんだが、他者の存在感が重いのだ。

17:57
ホイコーローを作って母と食べた。同居している限り母の健康に一番責任があるのが俺だ。ちゃんと食べられるものを作らなければ。明日の朝用に味噌汁を作っておこう。豆腐とわかめだ。

2017/11/20
2:17

布団をたたんだ。

3:04

今日はガラスの修理屋さんが来る。小中と同学年だった林君が跡継ぎになったガラス屋さんだ。それにしても寒くなってきた。
3:37。ボイラーに火を入れようか。明け方近くはもう冬の寒さだ。朝のコーヒーが旨い。既に三杯飲んでいる。3:55。更にコーヒーを淹れた。朝一のキックが欲しい。

目は完全に覚めきった。朝食もシリアル二杯食べた。四時になった。今日は予約なしで病院に行くので帰りが少し遅い。

4:12、ボイラーに着火した。バーナーがごうごういっている。一発で薪に着火すれば楽ちんだ。と思って見に行くと薪燃えてない。と言うか、たきぎって「薪」と書くんだ。知らなかったよ。仕方なくアマゾンの大げさな段ボールを燃やす。どうしてアマゾンはあんなに大きい箱で送ってくるのだろう?二時間四十五分後のバスに乗る。田舎は実に不便だ。4:46、ボイラーを見てきたら木材に着火していない。この俺にどうしろというのか。4:52、着火していた。コーヒーを淹れてからひとっ風呂浴びよう。

5:01。俺は今ニコ中で困っているわけだが、タバコより止めにくい酒は止められたのだ。じゃあタバコも止めれば良いじゃん,と言われるかも知れないが、タバコの場合はアルコールと違って「酔う」ということが無いので急性の症状が出ないのだ。ここで風呂。5:16、風呂上がり。烏の行水である。入浴よりその準備の方が時間がかかっている。タバコを吸っては咳き込むものだから腹筋が痛い。さっき飲んだジュースを吐いた。吐くほど咳き込みながら吸うタバコってどうよ?うまいわけがないのだ。早く医者に行ってクスリを貰わなくては。ジアゼパムも出してもらおう。

記憶にないがワタクシは2時から起きているのか?この記録を見るとそうなるんだが、何事もしていない。ボイラーに着火して風呂に入っただけだ。あそうか、パットナムの本を少し読んだのだった。

5:53、コンビニに行ってきた。アイスとジェリーを買った。食欲が無い時には重宝する。血糖値を上げて脳にキックをかますのだ。おお、もう5:55だ。起床して4時間か。もっと勉強に時間を割り当てなければ。

バナナ味のジェリーを流し込む。これには「バナナ二本分のエネルギー」と記されているが、つまりカロリーって事だよね。食品業界もコピーに気を遣うんだなあ。俺がかすかに覚えているのでは、チキンラーメンの袋に「カロリーたっぷり」と書かれていた。「戦後」という感じがする。

もう6時半だ。そろそろ出かける潤部をしなくては。それはそうと、今おもちゃにしている女と切れなければならない。かなり面倒な事を言い出しかねない様子がある。避妊しなくてもいいというのも怖い。何を考えているか明かではないか。こっちから電話しなければいいはずだ。ああ、いらんことした。

7時になったら出かけよう。まだ6:39だ。6:47。6:50。6:51。そろそろ出かけるか。












近いうちに壊れるHDD




2017/11/20

最近の事だが、PC起動時にハードディスクが異音を発する。うぃいいいいいいいん、とこすれる音がしてしばらくすると音が消える。これはHDD故障の前兆では無かろうか。困るのだ。持っているDVDは面倒なのですべてHDDに入れてあるし、CドライブのバックアップもHDDだ。これが飛んだら大変だ。今のうちに4テラほどの外付けを買ってバックアップしておくべきではないか。一昔前はHDDのクラッシュというのは珍しくは無かった。十数年前にはだいたいがHDDの容量が1ギガとかだったのだ。メモリじゃないよ、HDDだよ。そんなので満足していたのだ。

さっき病院から帰ってきたのだが、今日は薬代が一万二千円もした。一週間分紛失したので自費なのだ。それに帰りのバスが一時間半待ちだったのでタクシーで帰ってきた。このくそ寒い中そんなに待ってはいられない。仕方なくタクシーだ。さて、暖房も入れたし勉強しよう。










パスポートがない・三千円のシャーペン・最低の教師・女の写真・JICC(宝島社)の臭さ





2017/11/21

身分証明に使おうと思ってパスポートを探すもない。旧姓でちゃんとした文書はあれしかないのだ。引き出しにも机の下にもどのバッグの中にもない。

2017/11/30、まだパスポートが見つからない。どうしたんだ?

2017/11/30 9:53
昨日アマゾンから三千円のシャーペンが届いた。いや使いやすいわ。流石だ。芯の出方がノック式では無くて,書きながらくるりとペンを回すと出るという方式。他のものは節約しても、本とCDと文房具には金を惜しまない。酒をまったく飲まなくなったのも大きいし、これでタバコを止めれば完璧だ。一日千円分のタバコを吸うので、月三万円だ。なんて無駄だ。洋書が4,5冊買えるでは無いか。すぐに読まなくても、タイトルにぴんとくる物があるか、評価が一定の基準を超したものを揃えておくのは大事だ。

あ、思い出したので書いておく。小六の時の担任が最低の野郎で、タイプの女の子を触るは、IQハイアップチャイルドとしての俺を類型的に見るはで、嫌な思いをさんざんしたのだ。俺が飼い猫が死んでしばらく沈んでいるのを知って、「そんな心があるとは思わなかった」と言ったバカだ。算数の授業で俺がそいつの間違いを指摘するので「他のみんなと平等だから,決を採ろう」と言ったバカだった。算数に多数決が通じてたまるか。

今日はStroikの本を4回目の読みをしよう。完全に理解しきるにはあと数回読まなければならない。で、そのバカ教師が気に入っていた女の子は確かに今の大人としての俺から見ると乳房が発達しかけていてロリータ的だ。あのバカ教師はロリコンだったのだ。今は幼稚園の園長をしているようだ。最悪だな。さて勉強を始めよう。

さっきパン屋さんに買い物に行った時、ふとなんで千円札がパンと交換できるのかが不思議に思えてきた。凄いシステムだ。いつの間に俺はこんなシステムを受け入れるようになったのだろう。

なぜか明日アル中女と会う事になっている。ナニユエか?俺はもちろん飲まないのだが、相手は飲まないと頭が痛いという。バイブを買っておいたので試してみよう。もう肉欲だけの関係だ。

と思っていたら彼女は俺を大事な人だという。あらら。認識が変わってしまったか。

16:23
明日は女の裸体を写真に撮りまくろう。Stroikの本、今日は二章までしか読めていない。精読するとこうなる。あと三回は読む。リハビリにこの本を選んだのは我ながら慧眼だった。MoveやAttractとは違ったアプローチだ。Survive一つでやっていける。この方が生き残れるし自然だ。規則は単純な方がいい。単純でいながら潤沢な出力が得られれば最高だ。シンプルで余剰がなくてエレガントな原理群が雑多な現象を記述する。本当に最高のゴールだ。

JICCの頃からの宝島、気持ち悪いんだよなあ。バカかなんの専門もないただのオリコウが書いていた。中でも飛び抜けて馬鹿な本が『現代思想・入門』だ。どのコラムどの章どの文を読んでも原典に当たっていないとしか思えないひどさだった。あれを読む人たちってよっぽど奇特な人かケナゲな人かただのバカかどれかだ。フロイドについてもユングについてもアレントやアードラーについてもひどかった。チョムスキーについては、「コギトの復権につながる危険がある」とか書いてあったが、なにそれ?意味が分からないまま書いている。ああいうのを書くライターたちって恥ずかしくは無いんだろうな。ま、食わなきゃならんしね。勝手に俺に関係の無いところで頑張ってくれ。虚言をまき散らせ。俺たちには関係が無いからいいよ。臭いから迷惑だけどね。














吉田戦車は賢い・業田良家も賢い




2017/12/04

「他人の子供がしゃべろうが歩こうが・・・どうでもいいっすよ!」と思われる方もいるだろう。「かわいい、りこうだ」だけでは漫画としてダメだということは承知しているが、あまりにかわいく,そしておりこうさんな「言語の発達ぶり」について描かずにいられない。(吉田戦車、「まんが親」第一巻119ページ)

これ本当にそうなんだよなあ。はいはいやたっちが出来るようになった時も嬉しいが、初めて自分の子供が俺を「パパ」と呼んだ時はそれはそれは嬉しかった。保育園に迎えに行ったら、俺の姿を見て「パパ!」と叫んでくださったのだ。「あっこあっこ」のあとにだっこしてやると、「あっこでいいのよ」と文を発話なさった。5才ぐらいまでの言語発達の個人史を見ておきたかった。次男とは2才差なのでどういうインターラクションがあるかも見たかった。俺が特に興味があったのが、次男が喃語の段階や二語文で「文法ミス」をやった時に長男がそれを修正したかどうかだ。
言語獲得の文献が示すところによると、大人は子供の発話ミスに訂正はしないし、仮に訂正したところで子供は受け付けないらしい。それはそうだ。自分のシステムにまだ入っていない構造を受け入れる事は出来ないのだ。「しない」のでは無くて「できない」というところが大事だ。

2017/12/17
い21:33。M よく寝た。夕方4時頃寝て今レアq。