と書いてから更に調べると,池田先生はこんな事もやっておられるようです。大人げないというか,言葉が見つかりません。いや、やはり池田先生のことですから,「社会に出たらこんな嫌がらせもあるぞ」ということを遠回しにご教授くださったのかもしれません。有り難くて涙が出ます。こんなお方と同時代人である事はなんたる奇跡でしょうか。生まれてきてよかったです。ありがとうございます。言語学から経済まで縦横無尽に語り尽くす天才、池田先生は本当に電波学者で有らせられます。有り難いことです。こんな天才を地方の私立大学に置いているなんてもったいないです。
今すぐにでも電波学者らしく常葉学園大学に副島隆彦の後釜として勤務していただきたいものです。 最近PCのディスクが狭くなってきたので改造した。SSD256,HDD4テラとカードスロットを取り付けたのだ。CPUは4コアのまま。十分に速いのでこれでいい。今の構成は、SSD128プラス256,HDD2テラプラス4テラ、加えて最高の音源ボード、グラフィックカード、カードスロットだ。この分では俺が生きている間にペタの時代が来るな。しかし今のところ、動画や映画、いろんな文章を入れていてもディスクは余りまくっている。64ビットCPUが出たらそれに乗り換えよう。MBと一緒に換える必要があるな。素晴らしきかなIT革命。近い将来にOEDを入れる予定だ。世界最大の英語辞書だ。時々、何で少数民族の言語を調べないで英語を調べるのか、という問いをいただくことがあるが、答えは簡単。研究が一番進んでいる言語である英語で、新しい現象や定理が見つかればすごいことだからだ。本多勝一さんあたりだったら、アイヌ語やその他少数民族の言語をやれと言われるだろうが、こういう理由があるのだ。64ビットCPUで8コアなんてのが出たら凄いことになるんだろうなあ。ますます楽しみである。 とうとうOEDが2万円台で買える日が来たので買うことにした。CD-ROM版である。どの単語がいつ最初に使われたか、歴史とともにどのような変化を遂げてきたかなどが例文検索機能とともに使える辞書である。紙版だと20巻もあってとても使い勝手がいいとはいえないが、やるもんだデジタル、HDDに入れて使えるのだ。うれしくてついLakoffの"Women, fire, and dangerous things"も発注してしまったよ。前持ってたんだけどいざこざでなくしてしまったものだ。今読めばまた新しい発見があるだろう。嬉しいなあ。届いたら早速いろんな複合語を検索してみよう。まずはgoerからだ。いや、ほんとに楽しみ。
ワタクシは京都に二回住んだことがある。一回目は二度目の結婚をした直後、二回目は二度目の結婚が破綻したときである。その頃のワタクシはアルコール依存が激しくて、聴覚過敏になってしまって、クルマの「バックします」という音声にまで切れていたものである。第一京都時代はアルコール依存の始まったころで、当時の妻に無理を言って嵐山に引っ越した。渡月橋まで歩いて7,8分である。静かな環境で勉強したいと思って引っ越したのだが、すぐに昼酒を食らうようになり、γ-GTPが1900というすさまじい数値をたたき出した。当時の妻の心労は計り知れないものがあっただろう。今は素直に謝りたい。ごめんね、Cさん。思えばワタクシの長男は、第一京都時代に着床しているのだ。今は関東で暮らしているが。
京都の飲み屋では楽しいこともいやなこともあった。嫌なことの中には、東京弁を喋っているだけで飲み屋の他のお客に絡まれたりしたことも含まれる。「この東京弁が!」などと理不尽な因縁をつけられたのも一度や二度ではない。
京都で驚くのは、昔の道路の広さしかないところを、自転車が逆走してくることだ。それにクルマがやたらとクラクションを鳴らすのも神経に障った。第一京都時代は半年ほどで終わり、関東に戻った。とたんに子供が出来た。生まれたてのニテ君の顔を見てワタクシともあろうものがにこにこしていたらしい。自分の子供って本当に可愛いもんだと実感した。長男のあだ名は、まだ腹に入っているときから決まっていた。最初はデステ、次第にニーテと変わっていったが。ニテさんはかわいかった。何をしても可愛かった。2年9ヶ月しか一緒にいられなかったが、生きる希望をもらった。毎日少しずつ大きくなっていくニテの姿は、ワタクシの一番の楽しみになっていった。2年後、次男ケテが生まれた。最初は自分以外のかわいいちゃんがいることに不満げだったニテも、すぐに慣れて、ベビーベッドで寝ているケテの手を撫でたりするようになった。これは仲のいい兄弟になるぞ、と思ったものだ。しかしそんな幸せもつかの間だった。ワタクシのアルコール依存症は悪化の一途をたどり、ついには劇症肝炎という命取りの状態で8日間昏睡してしまったのだ。
致死率が大変に高い病気ではあったが、ワタクシはなんとか生き返った。当時の妻の献身的なバックアップがなければ死んでいたのは確実だ。
なんと言っても、肝性昏睡5度という、一番深刻な事態だったのだ。メスで胸を刺激しても、両手の指がかすかに動くだけになっていたのだ。
そんな病気から立ち直っても、しばらくするとまた飲み始めた。まさにアル中である。今、まったく飲酒欲求がないが、どうして当時あんなに飲んでいたのか分からない。父親の無理強いによる博士課程中退と親友の自殺と、13才年下の恋人と別れたことがいっぺんに来たのが第一京都時代だったが、その後結婚してからもアルコールは欠かせなかった。
ニテ吉が2才9ヶ月のある夜、当時の妻とケンカになり、ワタクシは卑怯なことをした。暴力をふるったのだ。次の朝目覚めると、長男も次男もいなくなっていた。千葉地検で審判があり、2週間の住居立ち入り禁止と半年間の当時の妻への面会禁止が下された。ワタクシは希望を失い、室蘭のチキウ岬に出かけた。死ぬためだ。しかし、インターネット上の友人たちから励まされ、死ぬのをやめた。その足で新潟へ向かった。シベリア鉄道でヨーロッパへ渡り、人生をやり直すつもりだったのだ。
ところが新潟港についてみると、北朝鮮の船が入っていて、ウラジオストックへ渡る道が閉ざされた。そこで、半年間とはいえ土地勘のある京都に逃げた。うちにいてもニテが好きだったおもちゃや、小さな小さな靴下を見るのが辛くて悲しくて仕方がないので逃げ出したのだ。
そして第2京都時代。ここではAAというアルコール依存者の自助グループに参加して、綺麗だったり可愛かったりする女の子と一年で3人深い関係を持つことになった。最初はFという芸術家だった。知り合って1週間で彼女の部屋にやっかいになることになった。彼女との生活は楽しかった。毎日笑って暮らした。ニテやケテに会えない痛みが少しだけ和らいだ。彼女には婚約して3年になる恋人がいたが、ワタクシが住み着いて1週間で婚約解消になった。芸術品はワタクシを選んでくれたのだ。
しかしその生活もわずか3ヶ月で終わりを告げた。彼女が借りてくれた部屋に入ったその日から酒を飲んで、スナックへ繰り出し、常連客と殴り合いになって二人の前歯を折ってしまったのだ。傷害、前科一犯である。警察には2泊3日で、すぐに京都拘置所に移された。肝臓が悪いので、医者がいる拘置所に送られたのだ。拘置所の中から二人の息子に手紙を毎日書いた。へたくそなアンパンマンの絵も描いた。そして四が月が過ぎて、懲役一年、執行猶予5年の判決を受けて出所した。
出所した時には芸術家はいなくなっていた。出身地の堺市に戻ったらしかった。その方が娘さんにも会えるし良かったと思う。
2012/05/08
久しぶりに自分のサイトを読んでいたらこんな書きかけのファイルがあることに気がついた。で、続き。
京都でもアルコール依存症は治らず、AAに参加しながら飲む日が続いた。今飲まずにいるのが奇跡のようだ。そのうちAAメンバーのRという人妻と不倫関係に陥った。信州、東京、函館と旅をして飲みっぱなしだった。Rは小1の息子さんにさえ背を向けてワタクシと北へ逃げたのだ。函館から京都に帰ると、すぐさま事件を起こし国家の運営する病院に2年間入ることになった。シャブ中や殺人者との生活は常に神経がささくれ立つようなものだった。これが決定打となってアルコール依存症から脱却できたのだ。今思えば必要な二年間だったのだろう。あれがなければまだ飲み続けて、もしかしたらもう死んでいたかもしれない。一度ぶっ壊れた肝臓は二度目の肝不全に耐えきれるとは思えないのだ。劇症肝炎を起こして8日間昏睡したときのことはどこかにちゃんと書いておきたいと思う。あれは本当にひどい状態だったからなあ。死に直面したのだ。多分死んでしまうし、命があっても廃人だとまで言われたらしい。よく持ったよ、この体。
いろんなものを失ったなあ。中でも一番大きいのは二人の息子に会えなくなったことだ。ニテとケテ。元気にしてるかなあ。パパがいなくて困っていないかなあ。ニテ君は僕のことが本当に好きでいてくれたから、さびしい思いをしたんじゃないかなあ。ケテ君もパパがいなくて困ったりしてないかなあ。すごく気になります。ニテ君がバス停で「ばしゅしゃーん」とバスを呼んでいたのを思い出します。ニテ介君、ケテ介君、本当にごめんね。
最後に京都に立ち寄ったのは二年間の入院生活が終わってすぐだ。
「自虐史観」という言葉に最初に触れたのはいつだったろうか。「反省史観」でも「現実史観」でもなくよりによって「自虐」である。
「自虐史観」という物言いには、国家と自己を同一視する貧しいメンタリティが感じられる。「自」ではないのだ、もはや。国家と自己を同一視する詭弁である。私のような個人主義者から言わせれば、あの戦争について反省することが自虐なら、国内で起きている他人による殺人事件や猟奇事件も「自虐的」に捉えなくてはなるまい。日本は韓半島でいいこともした、という意見もあるが、軍隊が他国に駐留している段階で侵略だよ。沖縄を考えれば分かることだ。知的な人だと思っていた藤原政彦さんまで「自虐史観」というタームを使っているのを読んでがっかりした。「若き数学者のアメリカ」は傑作だっただけに、人間いろいろだなと思う。あの頃の藤原さんのほうがずっと好きだな。
ばかばかしいの一言だ。もし経済学者の学説が逮捕の原因になるなら、本多勝一や小田実なんかはとっくに投獄されていなければおかしい。特に本多勝一なんかはでっち上げの罪名で無期懲役物だろう。森村誠一も「悪魔の飽食」を書いた時点で逮捕だ。自分の異常な性行を糊塗するために国策逮捕なんて新しい語彙を作っても、まず自分が知っているでしょうが。やったってことは。女子高生なら俺も好きだが、ちゃんと付き合ってもそのうち卒業されてしまうんだよね。成長が早い時期だし、心はころころ変わるからね。条例が気になって眠れない、だよ。
第三世代3.4ギガヘルツにSSDを乗っけたPCが届くよん。嬉しいよん。集団結婚式ぐらい愉快だよん。白装束集団ぐらいいい気持ちだよん。メモリ16ギガだよん。HDD2テラだよん。SSD120ギガだよん。(∩´∀`)∩ワーイ、(∩´∀`)∩ワーイ。64ビットOSだからメモリ32ギガまで増やせるよん。クアッドコアのベンチマークが楽しみだよん。OSもアプリも起動終了が、驚異的に速くなるよん。嬉しいなりーだよん。音楽の取り込みが速くなるのが嬉しいよん。あっという間なんだろうなあ。ワンセグで録画も出来るよん。嬉しいなりー。
久しぶりにバイクに乗りたいぞ。アル中時代にバイクの免許は失効し、後不便なのでクルマの免許だけは取り直したが、やはりバイクのおもしろさにはかなわない。今までは2ストロークとビッグスクーターに乗ってきたので、今度は単気筒のSRX600に乗ってみたい。最高速はせいぜい150キロといったところかな。400には乗ったことがあるが、良く寝るバイクだった。もう生産中止になっているから中古を買うしか無いが、そうそう無理をかけるオーナーが多いとも思えないので市場は比較的安定しているだろう。教習所には行かない。一発試験で3回までに受かりたい。バイクなら乗れるんだから20万近い金を払って教習所に行く意味は無いのだ。コースを覚えるために練習場に通う必要はあるな。ヘルメットとグラブ、そしてブーツは新しく買わなくては。予定では来年の夏だな。冬は寒くていかんよ。いい中古車を選んで大事に大事に乗ろう。実を言うと本当はΓ500かRZV500が欲しいのだが、まあまともな車体は残っていないだろうな。保守や整備も大変だろうな。しかしあの加速感は捨てがたい。SRXやめてハヤブサ1300でも買おうか。あれだったら2ストローク以上の加速が得られるだろう。浮気しちゃおっかなあ。
最近ウェブをみると、「明日も生きたい」という広告がでる。YouTubeに多い。視聴の邪魔になるからけすたびに罪悪感にとらわれる。そうなんだよなあ。南北問題は解決からまだほど遠いんだよなあ。子供たちが食えないなんてなんて悲しいんだろう。ワクチンの接種も受けられないなんてなんて切ない現実なんだろう。俺は郵便局の利子が100パーセントアフリカの子供たちのためのワクチンに回るように設定しているが、足りないんだよなあ。事態は深刻だ。国連の力だけではどうしようも無いのだ。飽食の日本やアメリカの余った食料を送ってあげたい。悲しいなあ。
「Dolls」「菊次郎の夏」、「Hana-bi]を撮った同じ監督の作品とはとても思えないただの暴力映画である。カタルシスも無い。「Brother」も暴力映画だったが、そこにはリリシズムがあった。これには無い。また色の綺麗な映画を撮ってくれい。頼むよ。
2014/02/07付記。「Dolls」菅野美穂さんが特別よかったなあ。キャリアに傷がつきかねない役だと思うが、よくやってくれた。偉いよ、菅野さん。
」
マンハッタンとグラッパが好きだ。カクテルの女王マンハッタンと、食後酒のグラッパ。マンハッタンだったら10杯はいける。グラッパを食後に飲むと、コース料理が120パーセントになる。で、結局アル中になっちゃったわけだが。イタリアンリストランテでミモザを食前に飲んで、コースを堪能し、仕上げにグラッパ。最高だったな。ちんちんの先に穴があるぐらい最高だった。食後酒のグラッパを5杯は飲んでいたもんなあ。そりゃアル中にもなるよ。それにしてもグラッパの香しかったことよ。さすがにワインの絞りかすを蒸留するだけ会って、葡萄の香りが口腔に満ちるのは快感だった。とりわけうまい飲み方は、コーヒー豆を指で潰してグラッパに浮かべ、マッチで火を付けてコーヒーエキスをグラスに満たす飲み方だった。あれははまりますよ。
2014/02/07付記。フランス料理に出てくる食後酒、マールもうまいなあ。でももう一生酒は飲まないんだ。決めちゃったんだから仕方がない。俺は普通の飲み方ができない人間なんだ。アレルギーと一緒で、その人にだけ毒になるのだ。仕方ないなあ。穏やかに飲む方法ってないのかなあ。
生きてきた中でいろんな変わり者に会ったが、この土山君ほどの変わり者はいなかっただろう。彼は大学の入学式に下半身裸で現れた。しかもイチモツは見事に屹立していたのだった。あちこちで起きる悲鳴、怒号。同じクラスになったときには本当に驚いた。自己紹介をするのだが、土山君は「はーい、みんな、僕つっちんのちんちん、だからつっちんちんって呼んでね!」とドヘタな腹話術で自分のいきり立ったものに喋らせたのだ。さいわいにして俺は前日に不思議な訪問者を迎えていたので、ああ、このことだったか、と他のクラスメートよりはショックは少なかった。前夜の客というのが、土山君こと田中彰君のお母さんで、「息子のヘンタイでご迷惑をおかけしますが、どうぞこれで彰をよろしくお願いします」と言って、現金100万円とスタンガンとムチを渡されていたのだ。息子が暴れ出したら,このスタンガンで喜悦させてムチでちんちんをたたき切ってください。そう言うと土山君のお母さんは泣きながら帰って行った。それで、すぐさまスタンガンを背骨に押し当てて動けなくなったところでムチで叩きまくった。尻なんか叩きすぎて骨が見えていた。土山君はそれでもまったく動じることなくちんちんを勃起させていた。そこでちんちんを集中的にムチで叩くと,だんだんちんちんが体から離れてきた。いいムチだ。いいムチというのは,標的に当たるときには先端が音速を超えるのだ。激痛が走るわけである。土山君こと田中彰君は、取れたちんちんをおいしそうに食べていた。これが大学には行って一コマ目の出来事である。登校拒否者が出たが,当然だ。この稿続く。
あれほど失敗を重ねた禁煙に今成功中である。嬉しい。たとえば土山君こと田中彰君が下半身裸ではなく,ちゃんとズボンを穿いているのを見るぐらいのうれしさだ。
今日で16日目の禁煙である。たいして難しくはなかった。やっぱり「禁煙セラピー」と「リセット」という二冊の本が効いたようだ。今は口の中が気持ち悪くないのが嬉しい。歴代の彼女たちは良くこんなヤニ臭い男とキスしてくれたものだなあ。偉いよ,女の子は。タバコ吸う女が一人しかいなかったのも奇跡だな。
とにかくタバコとの戦いは終わった。あとは健康体に戻るために自転車を買って町中はクルマを使わないことだ。
さっきアマゾンでCD-ROM版のOEDが届いた。インストールに少し手間取った。インストールディスクとデータディスクが付いてくるのだが、インストール後に認証のためにインストールディスクをまた入れるのだが、ここで認証トラブル発生。ま、二回リトライしたら難なくインストールに成功しちゃったけどね。早速goerを調べてみた。あった。この語彙は生成文法の論文で、誰のだったか忘れたけど、「可能な語彙」として、現実にはない扱いをされていたのだが、"goer and comer"なんて用法があったんだね。"theater-goer"と"church-goer"を比較してみたら、後者は日曜ごとにレギュラーに教会へ行く人で、これに対して前者は「頻繁に劇場へ行く人」ではなくて、いい役者のことを言うようだ、ここであれれと思って更に調べると、よく観劇に行く人の意もあるらしい。いやあ、凄いなあ。長いこと不思議に思っていたことが数秒で解決された。例文検索だけで一日遊んでいられそうだ。偉大なるデジタル。これは安い買い物だったなあ。
大好きな山田正紀さんの実質的デビュー作「神狩り」について書きたい。まず言っておきたいのは、「古代文字」からは何の情報も得られないという事だ。論理記号や関係代名詞が見つかったことになっているが、そういう要素は「訳」が出来て初めて見つかるものだ。果たして言語かどうか定かではない文様から論理記号や関係節が見つかるなんてあり得ないのだ。
「情報工学者のカンがあれは文字だと言っている」との工夫がされている小説だが、無理。たとえばロシア語が出来ない人が、ロシア語の文の列を見て、もちろん辞書なしで、論理記号や関係節を取り出せるだろうか?無理なのだ。論理レベルが同じ人間の言語であっても。
ラッセルの論理の階梯理論を貫く一つの理論が出来れば、論理学は生物学がDNAを発見したのと同じような変化を遂げるだろう、という記述もあるが、無理である。記号論理学では包含関係は絶対に同じ条件で貫かれたりしないのだ。前提がめちゃくちゃになる。
「人間の脳」が言語の制約になっているというのは正しいとしか言えない。主人公は情報工学者という事になっているが、まるっきりやることが言語学者である。これは山田さんの作品には頻出する手法だ。非専門家に語らせることで、幾許かの曖昧さや不適切さをまるでクッションでくるんだように提示する手法である。「変形規則」などという語彙も出てくるし、どうして多義語がないと「古代文字」が木構造をなしていることになるのかまるで分からないのだが、山田さん、言語学者になりたかったのかなと思えるほどそのにおいがする。多義語がないと語彙数が莫大になる。たとえば、
John is a boy.
John is happy.
の"is"が違う語彙で表されねばならないのだ。これは大変だ。語彙が爆発的に増える。しかし「神」の記憶力は人間を超えているからいいのだろう。
それにしても気になるのが、神にも言語が必要なのかという事だ。思考し、記憶し、言語にマップし、他の神と意見のやりとりをする。人間じゃん。もしワタクシがこういうヒトを超えた存在の言語を書くとしたら、まず10項述語の動詞とか、形態素単位でスクランブリングが出来る言語を考えるな。更にそれが額に付いたレーザーか赤外線で通信するようになっていたらもっといい。あ、それだと一度に一人しか話せないか。訂正。レーザーだと一人だが、赤外線だと複数の相手と話せるね。
断っておくが、この項は「神狩り」批判ではない。山田さん24歳の時の作品が未だワタクシを惹きつけるので書いている次第である。
山田さんはうまい。本当に小説がうまい。たった一つ失敗だと思うのが、「幻象機械」だ。あれは当時ですらもう破綻を来していた「角田説」(例の、日本人の脳は日本語の影響で英語話者とは違う部位で物事を処理している、と言う奴)を適用したとしか思えなかった。あれはこけたな。「宝石泥棒」があんなにリアルに面白かったのに、「宝石泥棒2」では、、、、、、未読の方の為に書くまい。矮小化されている、とだけ書いておこう。最近「アフロディーテ」をアマゾンで買って読んだ。青春だねえ。俺もいいときのアフロディーテに住みたいよ。いかんいかん。Chomsky, 1955(1975) The Logical Structure of Linguistic Theoryが待ってるんだ。これは55年に書かれたけど出版する勇気のあるところが見つからず、75年になってやっと本になった曰く付きの超難解本であります。
また、機械翻訳について、ルールの数が人間より機械の方が少ないとなっているが、人間という「連想コンピュータ」には機械は勝てっこない。
また、言語は短期記憶で使用されるという記述もあるが、これは間違いである。語彙や文法知識は無論長期記憶に入っていて、それが短期記憶に呼び出されて使われるのが正しい。こういう基本的な誤りがあちこちに見受けられる。しかし作品の質を落とすものではない。
ChomskyのLSLTは、遊佐未森で言えば「ハルモニオデオン」ぐらいの位置の本です。もう4回読んでるのにまだ理解しきっていないワタクシ。さすがはモンスターチョムスキーだ。でもね、これを読み切って、The Minimalist Programmを再再度読んだらもうチョムスキー離れをするつもりなんだよね。機能主義に走るかもしれない。しかしそれにしても人間の子供って凄いな。いい年して頭もいい大人が何年やっても外語がうまくならないのに、子供はたった7年で習得してしまう。0歳から7歳までの知性で、である。しかも「習う」という事がない。Pinkerの”The language instinct"はやはり「言語本能」と訳されるべきだった。「言語を生み出す本能」ではまるで「言語」が「本能」と別のものに読めるではないか。LADもUGも言語の初期状態なのだから、やはり「言語本能」で行って欲しかった。
山田作品に話を戻す。一番好きなのはやはり「最後の敵」かなあ。「アグニを盗め」や「チョウたちの時間」や「ツングース特命隊」も捨てがたい。結局全部好きだな。あのシリーズは何だっけ?統合失調症の探偵が出てくる奴。凄いことを考えつくなあ。やっぱり山田さんはすごいよ。「ミステリ・オペラ」もえらいことになってたし、やっぱり山田さんは天才だ。あ、一つ中学の時にはまった「謀殺のチェスゲーム」を忘れてた。あれには興奮したなあ。身の程知らずにもFBIの師範になりたいと思ったもんなあ。「24時間の男」などの軽めの作品には無理を感じたけどね。友人のさいたう君と「山田先生無茶をなさる!」と言っては次々読んだもんだ。この項続くといいな。
2014/02/07追記。
山田正紀さんも今60歳代に入っちゃったんだな。早いなあ、時間が過ぎるのって。また「宝石泥棒」みたいな作品を書いて欲しいです。お願いします。
本当にOEDがCD-ROM版になってよかったなあ。例文検索が出来るのが偉い。
50万語を超えるエントリー、250万を超える例文。これが奇跡でなくてなんじゃらぼい。ワタクシは当分この辞書で遊ぶよ。リーダーズも来たことだし、おもちゃが増えた。言語について明示的に語ることについて更に明示的に語る事がすなわちUGなのだが、この辞書があれば出来る気がしてきた。素晴らしいよ。ウェブ辞書も使って辞書遊びの日々を過ごそう。
それにしても、"within"が名詞として使われていた過去があるのには驚いた。次は研究社の大和英辞書が欲しいな。これも大英和と併せてCD-ROM版で出して欲しい。イェスペルセンもCD-ROM版が欲しいなあ。
ところで、今チョムスキーの進化言語学の論文を読んでいるんだが、悲観的だなあ、チョムスキー。仕方ないか、観察可能な宇宙の領域に知的生命体はどうやらいないらしいし。
いやあ、長年苦しんできた鬱が終わった。今後は躁転したんじゃないかと思うぐらい気分が軽い。なんか朝から気持ちがいい。朝から放火魔になって近所を全滅したい。嘘です。でもいい気分だなあ。仕事も勉強もやる気がある。わあーい、である。4年飲んだ抗鬱剤がやっと効き始めたか。そんなわけ無いよな。俺の内部が変わったんだと思おう。勉強ははじめからやり直しだ。間違いの無いように読んでいくのだ。文中の指示関係に気をつけてじっくり読もう。
2014/02/07付記。三環性抗鬱剤に加えてSSRIが出るようになってからますます快調だ。病院の喫煙所で二人の女の子から付き合ってくださいと持ちかけられるし、飛ばしてやるぜ、ベイベー!春夏に備えて体を絞っておかなくちゃな。体重を10キロ落とそう。簡単だ。自転車で走り回ればあっという間だよ。あとは禁煙だけだな。これも成功させてやる。くぅちゃん、待っててくれ。日本だったら信州、海外だったらバリ島にログハウスを建てたい。のんびりして過ごすのだ。翻訳の締め切りに追われることもなく、バリだったらそこの言葉を学べる。 やっぱりバリがいいか。朝からオムレツのLを頼んだりして、それはそれはサイケデリックな日が過ごせそうだ。3ヶ月現地の人とふれあって過ごせば言葉も何とかなるだろう。半年いればもう流暢になるだろう。 夢、だな。夢のために今日もがんばろう。あ、そんなこと書いているうちにもう3時20分だ。飯の支度をしておかねば。今日は翻訳40ページ完了。よしよし。このペースで稼ぐぞ。
大好きな映画である。デヴィッド・ボウイと坂本龍一とビートたけしだ。いい作品じゃないわけがない。はっきり言ってこれはホモ映画なのだが、それに気がつかないまま見る人も多いだろう。
前にも書いたが、デヴィッド・ボウイのファンである。あんなにかっこよくて歌がうまい人は他にはいない。俺はボウイの真似をして片目だけ青いカラコンをしていたことがある。死んでしまった親友によると、俺の声はボウイにそっくりだと言うことだ。特に英語で話すとそのまんまだとのこと。こないだも友人の信二君の家で歌ったら、低音とハスキーボイスがいいとほめられた。帰国子女に間違われたこともある。母音も子音も綺麗に出ているらしい。そんな俺だが、筋肉少女帯も好きで歌うのだ。大槻さんははじめからうまいんじゃなくて、歌っている間にうまくなった感がある。「僕の歌を総てやる」なんて涙ものだ。「新興宗教オレ教」で女の子を落としたこともある。外国人パブで、China Girlを歌って大喜びされたりした。あの時期は人生最大のモテ期だったんだろうな。イスラエルのハギット、ロシアのナターシャ、中国の紅、イタリアのヴェネッサ、もてまくった。中でもナターシャは最高に綺麗だった。体も素晴らしかった。何度してもお互い飽きることが無く、繰り返し抱き合ったものだ。今どうしてるかなあ、フォンやナターシャやハギット。幸せになっているといいなあ。
戦場のメリークリスマスは坂本龍一の音楽とたけしの笑顔がなかったらとんだ外れ映画になっていただろうな。デヴィッド・ボウイのセリアズは綺麗だったが、それだけじゃだめだっただろう。何でカンヌのグランプリが取れなかったのか不思議だよ。「楢山節考」ってそんなにいい映画か?
飯食ってるときに俺がnon-argumentは派生の途中で入れられるんじゃないかな、と言ったら、目を輝かして、一週間ぐらいしたら「あれ、書いてる?」と尋ねてきた。「いや、書いてないよ」と応えると、、やったぁという表情で、いつの間にか俺のアイディアを盗んで梶田先生に提出してやがんの。講義中に梶田先生が、「秋山君の新しいアイディアが・・・」と話されたときに俺を見て「やばい」という顔をしたよな。講義が終わって俺が「油断も隙もないな」と言うと「いいじゃん」と応えたよな。俺だったら恥ずかしくて首をつるね。泥棒の秋山、今アイディアは出てこないだろう?それがお前なんだよ。恥じて死ね。俺の目から見たらお前は完全な泥棒だからな。絶対に研究者としてやってはいけないことをしたんだからな。本当に恥ずかしくはないのかね?
特に母親の藤桂子が非業の死を遂げたということだけでなく、宇多田ヒカルはもうだめなんじゃないかと思う。天才にありがちな、10代に才能を発揮してあとはただの人になるのではないか。もうずいぶん前に宇多田ヒカルに関した文を書いたことがあるが、その後の宇多田ヒカルはいい意味でワタクシの予想を裏切り続けてくれた。
Stay GoldやPrisoner of loveは名曲だ。まあ、ゆっくり心身とも養生して戻ってきてください。普段はクラシックかジャズかブリティッシュロックしか聴かないワタクシが宇多田さんのアルバムは3枚も持ってるんだもんね。宇多田さんの歌を聴いていると、基本的なメロディラインは彼女が作るのだろうが、編曲がものすごくいいことに気がつく。もっとも宇多田さんの歌唱法とか声自体が良いんだけどね。それに宇多田さんで好きなのは、桑田佳祐のような馬鹿と違って、日本語を日本語の発音で歌うところだ。ワタクシは桑田を全く評価していない。あんなつまらない曲のどこが良いのかさっぱりだ。いつだったか、ビートたけしのオールナイト日本で読まれた葉書「曲はいいが妻の顔」だ。俺は曲もいいとは思わないけどね。いやそれにしても宇多田さんのバックで演奏している人たちの腕の確かなことよ。みんなうまいなあ。売れっ子になるってこういうことなんだね。プラスのスパイラルでどんどん曲がよくなっていくんだ。今「嵐の女神」という曲を聴いているのだが、いいなあ。「こんなに青い空は見たことがない」か。いいじゃん。くぅちゃんに会いたいなあ。ニテケテにも会いたいしね。くぅちゃんは統合失調症と躁鬱とパニック障害を持っている。これに俺の躁鬱が加わればすごい子供が生まれそうだな。俺は何を書いているのか。意味が分からんよ。宇多田ヒカルに話を戻そう。宇多田ヒカルさんは一時的な現象だったのだろうか?そうじゃないと思いたい。何なら5年でも10年でも休養してから戻ってきてくれれば良い。天才の特権だよ。宇多田さん、今は休んで、手足を伸ばして楽になってください。今までしなかったことをしているうちにまた天から音が降ってくるようになるよ。そうそう誰にでもできる経験じゃないよ。なんだったら俺と再婚してさんざんな目に遭わせてあげよう。ネタが増えるよ。俺は今小説で自分の抱え込んでいるネタを解放しつつあります。心が軽くなるね、言語化すると。関西弁は空き間変化?だめだな。あきまへんか、ぐらいは変換して欲しいものだ。と、さっきインストールしたばかりのATOK2014に文句をつけてみる。ところでさっき書類棚を探っていたら、「ACはジェットコースターライフを走る」という印刷済みの原稿が出てきた。去年の秋に書いたものらしい。自分が書いたのに忘れているこの恐怖よ。眠れない夜に書いたんだな、きっと。これが我ながらおもしろい。書き直してエピソードを増やして出版社に送ってみよう。
本当にもうやめよう。「ソシュールはね」とか言ってお利口さんごっこをするのは。みっともないよ。ついでにラカンとか言って恥ずかしい真似をするのもやめよう。現代思想をやる前に、基礎となる実存哲学をやろうね。四則演算もできずに相対論に手を出すようなものだよ。本当にやめようね。