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りんく 投稿者:キリン  投稿日: 8月26日(火)02時20分52秒

池田氏は何で「半可通」呼ばわりのリンク消しちゃったんでしょうかね。
私はいくら彼でもそれはしないだろうと思っていたのですが。
リンクしたのを外したら間違っていたことを認めたのと同じことで、
本職の学者さんに対して専門分野での「半可通」呼ばわりは
相当にヤバイことだって気がつかなかったのかしら?


私たちはわらってられるからいい 投稿者:  投稿日: 8月26日(火)01時25分32秒

のですが、ふと、かの池田氏にも部下たる人がいて、その滅茶苦茶な発言に振り回されて
おられるのではないだろうかと想像して眩暈がしました。

かわいそうだかわいそうだかわいそうだ。俺なら年俸一億でもいやだ。脳が腐る。


考えたんですがね 投稿者:  投稿日: 8月25日(月)19時30分04秒

すぐに嘘だと分かるデマゴギーを連発する方々って、見方によっては逆説的にちょむさん
の発言を強化、補強していることになりませんかね。

あんなのに引っかかるのはまあアレな人だろうし、次から次へと言うそばから嘘だって
ばれるってワケで、これはもうどう見ても「嘘吐きが反対する意見」としての価値を
高めているとしか思えない。なんだかケナゲな方がおられるものです。


ちょっと思い出した 投稿者:  投稿日: 8月25日(月)14時35分03秒

>>事実関係と論理以外が入り込むのを忌避する人間ではないでしょうかね。
>>だから、彼が何らかの政党や政府に肩入れするってことがそもそも考えにくい。

>いや、「考えにくい」どころではなく、「考えられない」でしょう。
>これは、彼を聖人に奉ることでも何でもありません。

そういえばサイードが「知識人とは何か」のなかで「亡命者としての知識人」の例として
チョムスキーの名を挙げていたのではなかったかな。

事実と論理、そして何らかの倫理によって意思を決定する以上、本質的に「亡命者」に
ならざるを得ないという論旨。

サイードが言うから正しい、なんてまさに党派的な解釈をする気はさらさらありませんが。
一応こういう言わずもがなのことを付け加えないと誤解を招く文脈もこの世にはあるようなので。


ありゃ 投稿者:  投稿日: 8月25日(月)14時16分36秒

昨夜ものすごく久しぶりにニョボとビール飲んでいい加減酔っ払ってから書いた下の
文章、微妙につながりがおかしなことになってますね。

しかしワタシは本当に酒が飲めなくなったんだなあ。ビール二リットルで二日酔いです。
これでいいのだ。


勉強になります 投稿者:  投稿日: 8月24日(日)23時20分51秒

実は私、その認知科学における影響の大きさから、あまりにインボルブされるのを感覚的に
忌避し、チョムスキーの政治的発言は意図的に目にしないようにしています。

サイエンティストとしての発言、業績だけ、それだけで見ないと危険な状態に陥ることを
恐れているからです。

つまりそれは、過去の、同時代の研究者となるべく同じ地平で彼を見ようとつとめていると言うことです。

ですから、みなさんがその専門外の活動についてインフォームしてくださるのは、研究を
離れたところとはいえ、彼の誠実さや信用について情報を得ることになるのです。

こういう人が、仮に何らかの時代的錯誤に陥ることはあっても、意図的な嘘をつくこと、
プロパガンダを趣旨として発言することは無いだろうという確度が増すばかりです。

それでも彼が事実と論理で発言する以上、こちらも至らないまでも確認した上で一意見として
耳を傾けようと思います。

誰の発言であれ、それを忘れたとたんに騙される無知層に転落することは池田氏の発言を
見るとおり。

自分は見苦しい嘘吐きの人生を送った、と死ぬ前に思いたくはないですから。


クメール・ルージュ 投稿者:キリン  投稿日: 8月24日(日)16時49分42秒

"After the Cataclysm"が書かれた78年〜79年当時のチョムスキーは
確かにポルポトの残酷さについての認識が甘かったようです。
しかし、それはポルポトを擁護しようとしていたからわけではないと思う。
"After the Cataclysm"でも虐殺が事実であるのは認め、事実と確認できた範囲内で、
具体例も伝えているわけです。
むしろ、この本のなかでチョムスキーが強調しているのは、69年から73年までの
アメリカによるカンボジア空爆が多くのカンボジア人を殺し、農地の破壊が飢餓の原因
になり、70年に親米反ベトナム政権を樹立するため、アメリカが画策したクーデターが
その後の内戦とさらなる荒廃を招いたことを、アメリカのメディアがほとんど報じない
ままで、ポルポト派による虐殺だけは大きく報じていることです。
そういうチョムスキーを、アメリカには厳しくポルポトには甘いと批判する人達も
いますが、自国への批判を優先するチョムスキーの態度は間違って無いと思う。
「チョムスキーはポルポトを擁護した」と批判する人に限って、
アメリカによるカンボジア空爆についてや、ポルポトが政権から滑り落ちたあとに
アメリカが中国を通じてポルポトを支援していたことについては触れたがらないのですから。


非人称 投稿者:やぎ  投稿日: 8月24日(日)08時15分29秒

下の方の続きです。

>スペイン語にはonに当たる言葉がありますか?

フランス語の 'on' に相当する語は(たぶん)ないですが、そういう場合は、
1)ずばり、主語を言わない
 これは、天気なんかの場合。 'Hace buen tiempo.(いい天気)'
2)再帰動詞になる
 'Se habla espan~ol.(スペイン語がはなされている)' se が3人称の再帰代名詞で espan~ol が文法上の主語。

本当に文法的な意味での受け身は英語なんかとおんなじ be動詞+過去分詞なんですが
普通の動詞を再帰動詞みたいに使うことで、意味上の受け身になるので、すごくよく使われます。


主語概念 投稿者:C  投稿日: 8月23日(土)21時29分50秒

話題を戻してしまいますが、再び「主語なし」について。
緋殿も下で述べられているように、概念としての「主語」がない言語はまず考えられない。
いわゆる動詞がない言語は私にはちょっと考えられないのですが、動詞があれば必ず

動作動詞−誰(何)が動作を行っているか
状態動詞−誰(何)がその状態にあるか

が問題になるはず。音としての主語が抜ける現象は多々あり、主語代名詞が
発音されない時の規則がsyntaxレベルか談話レベルかとか、どういう場合には
抜かせてどういう場合は抜かせないかの記述は面白い課題だと思います。ただ、
そこから民族による概念構造(文法概念じゃなく社会についての概念)はできない。
SOV言語話者は議論のとき結論を最後まで明らかにしない傾向がある、というのと
同じくらい幼稚な観点では?

ところで、この数日の書き込みにもかなり、「主語抜き」がありましたが、私は
「ポルポトよく知りませんが」という表題の下の

>事実関係と論理以外が入り込むのを忌避する人間ではないでしょうかね。

を読んで、一瞬この文の主語はポルポトなのか?と驚きました。無論そんなことは
事実レベルでありえず、

>だから、彼が何らかの政党や政府に肩入れするってことがそもそも考えにくい。

の彼はチョムスキーであることは明確なのですが。

「私はポルポトについてはよく知りませんが、彼は・・・」と続けたとき、
その「彼」が直前の節で示されている3人称の人物ではなく、談話全体でトピックに
なっている人物である、という現象は英語ではあるかなあ。


チョムスキーと諸国の政府 投稿者:moronian linguist  投稿日: 8月23日(土)00時52分46秒

>事実関係と論理以外が入り込むのを忌避する人間ではないでしょうかね。
>だから、彼が何らかの政党や政府に肩入れするってことがそもそも考えにくい。

いや、「考えにくい」どころではなく、「考えられない」でしょう。
これは、彼を聖人に奉ることでも何でもありません。

なんてーか、チョムさんの政治的文章をあげつらう人って、彼の言語学を理解できないのは
しかたないとしも、彼の政治活動との前後関係すら知らない人が多いんだよね。
どちらの世界でもがんばってきた、悪く言っても、とにかく先人でしょうに。


レイコフ覚え書き 投稿者:moronian linguist  投稿日: 8月23日(土)00時27分23秒

>チョムスキー自身もあまり外国語との対比はやっていないように見えるけど、例えば
>「universal grammer」とか「principle and parameter」というタームの意味するところ
>を理解していれば、「自民族中心」などという発想が出てくるはずがない。

ええと何ていうかな。無論レイコフたち自身はちゃんとわかっているわけです。ですから、
「自民族中心」などと言ってない。「西欧的思考の産物(product of the Western thoght)」
だといっているだけです。「自民族中心」などを引き出すのは完全に池田の誤読です。

だけど、読むほうとしてはそれだけではすまない議論の組み立てになっています:

@このようなあたりまえのことを言っているのに、なぜかインパクトがあります。なぜか?
Aレイコフたちの論法は、結局心的機能の諸領域の間の同型性に注目している。
 でも、同型性というのは、無限に考えられるのに、なぜ特定の同型性だけが認知の機構として
 実現しているのか?これについて、彼らは結局、歴史的な説明に訴えてしまっています。
 ということはつまり、説明になっていない・・・。


またまちがえた。 投稿者:moronian linguist  投稿日: 8月22日(金)23時37分48秒

誤 specifisity
正 specificity


Fodorについて 投稿者:moronian linguist  投稿日: 8月22日(金)23時35分09秒

心理学サイドからのFodorの評価について述べておくと、彼のencapsulation概念は
いまだに「課題の領域固有性(task domain specifisity)」の文脈で捉えられていますね。
Fodor本人や、その反対者からは矮小化にしか見えないでしょうが。

それにしても確かにひーさんが言うように、彼の所説に日本のヒョーロンカ諸氏が
注目しないのは不思議だ。モジュール性の本は翻訳されているし、「サイエンス」に
載ったやつもあるのにねえ。


ポルポトよく知らないですが 投稿者:  投稿日: 8月22日(金)11時42分25秒

文化大革命でもルイセンコ支配下のソビエト生物学会でもどうように、
事実関係と論理以外が入り込むのを忌避する人間ではないでしょうかね。

だから、彼が何らかの政党や政府に肩入れするってことがそもそも考えにくい。


核心 投稿者:moronian linguist  投稿日: 8月21日(木)23時22分05秒

これは、気にしているひとがここには多いと思うし、はっきりさせられるものなら
させといたほうがいい(とはいうものの、韜晦するのも自由だとおもう)のであえて話題に
乗せるんですが、チョムさんの「ポルポト擁護」、実際のところ、みなさまどうおもいます?

つまり「激変のあとで」と関連の文書を書いた際に彼に「擁護」の「意図」がいささかでも
あったかどうか、ということです。
「おまえらは本人と連絡できるんだから、さっさと訊いたらいいじゃないか」という声が
ちらほらあるんですが、そりゃご無体というものだ。たしかに本人に訊くのは簡単だけど、
まさかそれで得られる反応を鵜呑みにできません。なにしろ30年前の話です。

みなさんはどうおもいますか?忌憚のないところ、印象でいいからご意見をききたいです。
どうも、これがけっこうひっかかって認知論全体の普及に災いしているような気がする。
私の見解を述べておくと、「擁護の意図」はない。
そもそもチョム先生にとっては、現存のいかなる政体も奇形的な代物なんであって、
擁護する意図は生じようがないと思う。(これはしかも、根源からアメリカ的ですね)。
しかし、虐殺の有無については半信半疑か、「でっちあげ」説にかなり傾いているという
印象です。


うに 投稿者:あー  投稿日: 8月21日(木)23時01分41秒

アナキズムの定義に遡るのであれば、それを計画するのが誰か?
力を持つのは誰か?得をするのは誰か?損をするのは誰か?と
いったことが、かならず問題になります。

共産主義の行く末を案じ、赤色官僚の問題を論じ、スターリン
の出現を予見し、ソビエトの崩壊をはやくから推測していたのは
すぐれたアナキストたちでした。

ただし、将来のヴィジョンについては若干夢想的な傾向があると
言われても仕方ないかもしれません。たとえばチョムスキーは
かつてキブツを理想的に語っていたことがありますが、ジェイン
ジェイコブズの「市場の倫理・統治の倫理」によると、キブツで
成功しているところは、極めて禁欲的・献身的な家族企業のよう
なもので、それは市場倫理に基づくものだといいます。

しかし、権力の存在や移動には敏感にならざるを得ません。

池田氏の御託を拝見するにミソもクソもいっしょくたの妄言。

小さな政府を目指すかどうかは、人によります。
「自由主義」という言葉もあやしいものです。(たとえば自由市場至上主義)

以下参考になりそうなものを:
http://okumedia.cc.osaka-kyoiku.ac.jp/~shakai/seiyosi/whatisanach.htm
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1356/kuru/yoiko/yoiMarx7.html
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/faq/faqa1.html

さらにちょむすきの発言も:
http://rootless.org/chomsky/anarchism-qa.html
http://rootless.org/chomsky/anarchism_marxism_hope.html

Said, Chomsky, Hoodbhoy, Shiva らの盟友 Eqbal Ahmad が
自身の政治姿勢を問われて曰く
「社会主義と民主主義です。これがわたしがつねにコミットしてきた
ふたつの姿勢です。民主主義ということで、わたしがいわんとしている
のは、平等の実現と、結社の自由の実現、批判的思考の駆使、そして
為政者による市民への説明義務の実施に、わたしが積極的に取り組んで
きたということです。社会主義ということで、わたしがいわんとして
いるのは、国家や企業ではなく、人々による富のコントロールという
ことです。」 ISBN4-87233-719-0, 太田出版 イクバール・アフマド
デイヴィッド・バーサミアンによるインタビュー集「帝国との対決」p.168

亡くなってしまったことが惜しまれる現代史の生き字引のような人で、
このインタビュー集は誰にでもお勧めできる名著です。是非ご一読を。

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/?aid=p-akubi0034&bibid=02277438&volno=0000


ところで 投稿者:  投稿日: 8月21日(木)18時23分49秒

私は経済はまるっきり疎いんで恥ずかしい質問かもしれませんが、
アナーキズムと計画的社会・経済っていうのは不可分の物なのでしょうか?
池田氏の論旨だとそうとしか読めないのですが。

むしろアナーキズムは極度に小さな政府を目指し、自由主義の行き着くところという
印象を持っているんですが。


何語だったか 投稿者:  投稿日: 8月21日(木)18時14分31秒

>英語だと「人」に話者が含まれるか否かでweだったりtheyだったりするからややこしい

アルゴンキン諸語だったと思いますが、そこにいる「我々」とそこにいない人も含む
「われわれ」で違う言語があったんじゃなかったかな。今視界にある「それ」と見えない
「それ」も違ったという記憶が。これらにそれぞれの活用・屈折があったりして、とんでもない
構造になっていたともうろ覚えしてます。


まさに標準理論の頃 投稿者:  投稿日: 8月21日(木)18時08分17秒

基本的な考え方や理念ではなくて、英語の分析に使われているまんまのやり方で
無理矢理日本語を書こうとしてけちが付いた人は本当に多いみたいですね。

しかしちゃんとした方はやはりおられるもので、S-Y, Kuroda先生はその時代に
日本語を素材として、そして単に日本語に当てはめただけではなく、言語理論として
意味のある
研究をなさっています。

その後もたとえば80年代にS=IPの構造を明らかにするのに日本語のデータが大きく寄与、
英語その他のゲルマン、ロマンスはもちろん、「言語」自体の記述に影響を与えています。

まだいるみたいですね、英語しか扱えないっていう人。


訂正 投稿者:C  投稿日: 8月21日(木)11時08分26秒

↓で、

fais→fait

です。恥ずかしいことに初歩スペルミス。


職場はまだ半分お盆 投稿者:C  投稿日: 8月21日(木)11時02分44秒

私はレイコフもフォダーも知りませんが、池田氏のチョムスキー理解について、「自民族中心」はどこから出てきたのか?確かに生成文法のテキストでは例文は圧倒的に英語で、
チョムスキー自身もあまり外国語との対比はやっていないように見えるけど、例えば
「universal grammer」とか「principle and parameter」というタームの意味するところ
を理解していれば、「自民族中心」などという発想が出てくるはずがない。

もしかして池田氏は「チョムスキーは英語がUGに近いと考えている」とでも思ったので
しょうか?今時学部生だってそんな発想はしないでしょう。まして国際的な業績を挙げて
いる研究者がこんなことを言い出したら、黄色いキューキューシャが飛んできます。

標準理論のころ、テキストの手順どおりに日本語の分析をやろうとしてうまく行かず、「こ
れは英語向きの方法だ」といって勉強をあきらめた方々がいたことは私も知っております
が、これはテクニカルな問題で、研究者の思想とは関係がない。

チョムスキーと対比させられているバンヴェニストは、語学的才能があって多言語比較の分野で非常に優れた論文を書いていますが、だから彼が「非西欧中心主義」というのも乱暴です。だいたいscienceの分野では「○○主義」というような個人あるいは特定の集団の性向を示す言い方をしないはずだ。その「○○」が読者の好みであるかないかを問わず、言語分析というような作業に「主義」は現れようがない。バンヴェニストの時代、そのあたりの意識はまだ一般的ではなかったかもしれませんが、私が読んだかぎり、彼はまともな研究者であったから、論文の中で自らの「主義」を露呈するようなことはしていない。

ところで、フランス語についていえば、主語の省略はほとんどなく、会話では英語と同じ。
Lateniteもフランス語まで来ると、規則動詞の人称変化が音で区別できるのは一人称複数
と二人称複数だけになります。
考えてみれば、Lateniteは「主語なし」というのは変な言い方ですね。動詞の人称変化が
きっちりしているゆえに発話レベルで主語が現れないだけで、人称変化自体に主語概念が
含まれているから音として外に出す必要がない、と考えねば。
フランス語で面白いのは、強調形というのがあって、イタリア語やスペイン語で主語を出すような場合、文頭につきます。例えば、「私がそれをした」と事実だけを述べるときは、

J’en ai fais.

だけど、「(ほかならぬこの)私がそれをした」という文脈だと、

Moi, j’en ai fais.

になるとか。フランス語の人称ではまた非人称(活用は3人称)のonという非常に便利な
ものがあって、日本語で特に主語をつけず、「(一般的に人が)○○する」という文脈で使えます。英語だと「人」に話者が含まれるか否かでweだったりtheyだったりするからややこしい。スペイン語にはonに当たる言葉がありますか?


Fodor 投稿者:  投稿日: 8月21日(木)10時34分49秒

Fodorが出てくると本当にうれしい。議論に深みが出るもんなあ。
JackendoffとFodorの語彙意味論の議論なんか出てくるとまさに生きてるって感じが
するだろうに。
んでもって、そこからJackendoffの言語モデルの妥当性、守備範囲の広さをタテに
チョムスキー批判が展開されたりした日には読んでる方もゾクゾクできるのになあ。

ところで、ファイルにするときですが、ちょっと考えれば想像できるある理由から、
「名誉毀損に相当する表現があるため、法的措置の準備として文書を記録し、公開する」
という文言を付けようと思います。

そんなしょーもないことは、まあどうにもならない馬鹿相手にしかしたことはないですし、
やる気もありませんが「容易に想像できる理由から」そうしときます。


どうして 投稿者:  投稿日: 8月21日(木)09時09分27秒

Fodorが出てこないのかワケがわからん、と一応定石の発言ですが、ワケは明らか。

何のことか。Fodorという長年チョムスキーに懐疑的な意見を出し続けている哲学者が
いるではないかい。なんでその名前が出てこないかというと、単に知らないからとしか
思えないのだよね。

Fodor (2000) "The Mind Doesn't Work That Way" MIT Press(だったかな)
のタイトルなんかなあ、"that way"って何のことかというと今の認知主義、生成学派の
考え方のことですぜ。こういうのを出してきてくれないとハクリョクが生まれません。
もしこの本や著者の名前が出ていたら「おおっ?」って思うところだよ、こちらも。

もちろん出てたら出てたで内容に突っ込むわけですが。


ソシュール、フッサール、バンヴェニスト、レイコフ、チョムスキー 投稿者:  投稿日: 8月21日(木)08時08分15秒

を認識論的に把握してるんでしょう?池田さんというお方は。
だははははははははは!
是非学史的著作を一冊頼みたい!読んでみてえよ!

脅迫君の場合だと、これにヴィトゲンシュタインが入ってたんですがね。あはは。
やはり脅迫君が終身名誉一位か?


奇遇というか何というか 投稿者:  投稿日: 8月21日(木)08時01分30秒

昨日から電車の中で読んでいる本が『平気で嘘をつく人』です。
やはりそのシステムが気になってしまったんでしょうね。
理解できないもんね。


一気に目が覚める 投稿者:  投稿日: 8月21日(木)07時58分15秒

寝起きの悪い私ですが、爆笑でカツが入りました。
今日もそれなりに一人のアラブ人として、そしてユダヤの民として生きるぞ!


平気で嘘をつく人 投稿者:キリン  投稿日: 8月21日(木)01時56分38秒

"Iraq under Siege"なんて本のタイトルを知っている池田氏は
相当なチョムスキー・フリークです。
しかし、タイトルを知っているくらいなら、この本がAnthony Arnoveという人が
編著したオムニバスの論文集であることも当然知っていたでしょうに。
なんで編著者が他にいることを隠したんでしょうかね。
なんの得があるんでしょうか?

なお、一昨日の私の書き込みでは「25,000人」と書くべきところを
「2.5000人」と妙な点の打ち方をしてしまいました。
もちろん2万5千のことです。


correction 投稿者:moronian linguist  投稿日: 8月21日(木)00時09分03秒

(誤)"By the way, I'm gonna go to shopping."
(正)"By the way, I'm gonna go shopping."

はずかしはずかし。


言わずもがなだが 投稿者:moronian linguist  投稿日: 8月20日(水)23時49分02秒

みっともない自己矛盾を一つ指摘しておく。もちろん池田さん、あなたのことだよ。

>チョムスキーのような(ソシュールやバンヴェニストによって否定された)西欧中心主義が
>いまだに主流である米国の言語学界の後進性も問題だ(3月30日)

すげー。

>言語学の理論としても、チョムスキーはもはや主流ではない。(8月19日(木)

たった5ヶ月足らずですごいことになるんですな言語学界の主流ってのはカッコわら、ト。

#ナメてんのかてめえは。

「言論爆撃」は方針として決定され、準備は予定通り進行し、泣こうがわめこうが必ず
遂行される。あなたは複数のオプションがある恵まれた状況にあるわけだが、
もともとあなたの方がちょっかいを出してきたことゆえ、選択の結果生じる事態については、
責任は全面的にあなたにある。


Ego cogito ergo ego sum. 投稿者:moronian linguist  投稿日: 8月20日(水)22時57分35秒

"Where is dad?"
"In the yard."
"Doing what?"
"Weeding, I guess. By the way, I'm gonna go to shopping.
How will you kill your time?"
"Just my homework."

英語も「主語無し言語」のようで。

ところで池田氏関連。遅くとも5月29日(木)以降、彼は「チョムスキーが」「米国ローカルの
現象にすぎな」かったり、西欧の『自民族中心主義』の典型」だったりすることの根拠として
レイコフの「Philosophy in the Flesh」を持ち出しつづけています。
私の「粘着性」は(誰かさんと違って)そんなに「病的」ではないつもりなんですが、
レイコフの一連の認知意味論的労作はむしろ心理学的に興味があるので、この本も入手して
読んでいます。
なにぶん大部な本でして、まだざっとしか見ていないですが、チョムスキーとの関連で
言えば、この本を読むと、次の主張は端的に誤りであることが小学生にでもはっきり
わかります;

1. レイコフはチョムスキー(の学説)を "Philosophy in the Flesh" のなかで批判している。
(「言及」はしている。しかし、批判はしていない。)
2. "Philosophy in the Flesh" のなかのレイコフによるチョムスキー批判は正しい。
(そのような批判は存在せず、したがって正しくもない。)
3. レイコフはチョムスキーが西欧の「自民族中心主義」であると述べている。
(この命題はカテゴリー錯誤であり無意味だが、このような命題で誰かさんが述べようと
しているらしいことは偽である。)
4. レイコフはチョムスキーが西欧の「自民族中心主義」であると含意している。
(端的に偽である。)
5. レイコフはチョムスキーが西欧の「自民族中心主義」の典型であると述べている。
(同上。)
6. レイコフはチョムスキーが西欧の「自民族中心主義」の典型であると含意している。
(同上。)
7. レイコフはチョムスキーの考えが西欧の「自民族中心主義」であると述べている。
(レイコフはチョムスキーの考えが西欧思想の産物であると述べているか、または含意している。
しかし「自民族中心主義」であるとは述べていない。)
8. レイコフはチョムスキーの考えが西欧(または/およびアメリカ)の「自民族中心主義」で
あると含意している。
9. レイコフはチョムスキーの考えが西欧(または/およびアメリカ)の「自民族中心主義」の
典型であると述べている。
10. レイコフはチョムスキーの考えが西欧(または/およびアメリカ)の「自民族中心主義」の
典型であると含意している。
11. レイコフはチョムスキーの考えが西欧(または/およびアメリカ)の「自民族中心主義」の
典型であると含意している。
(疲れた。8-11はすべて病的な命題である。どう好意的に解釈しなおしても偽命題。)

#読んでるに決まっている池田さんへ。
#ご自分の文章を改変して徹底的に笑殺されるか、改変せずに放置して刻々と増大する
#惑星規模の嘲笑に身をゆだねるか、どちらでもお好きなほうをどうぞ。


以上は、新着順61番目から90番目までの記事です。


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