さて、「睡眠の科学」に戻ろう。知らないことがあるっていい事だ。楽しみが増えるからね。
3時半。ストレッチング終了。体がかつて無いほど硬くなっている。これはいかんよ。早くまた割まで出来るようにならないと空手どころじゃない。ボクシングもやりたいのだが、近所にジムがないのだ。ああ、田舎だなあ。足の痛みがもう少し癒えたら走り込みに専念しよう。プールもいいな。そういえば20年ぐらい前に足立区区立の市民プールに行って,逆セクハラを受けたことがあった。 今よりはるかに痩せていたのだが、おばちゃんの軍団に「あらー、綺麗な体ねええ」と聞こえるように言われたのだ。そういえば逆セクハラの本場関西でも、通りすがりのおばちゃんに肩をたたかれて、「あらあんた、ええ男やねえ」となんの脈絡も無く言われ、胸をぽんとたたかれたもんだ。俺の中では、ヒョウ柄の服を着たおばちゃんは恐怖の対象になってしまった。と、ここでワタクシがカフェオレとプレーンスパゲッティを一人して飲み食いしたことにあなたはお気づきだろうか?ふふふ、分かるまい。愚かなる愚民共よ,山に登りて我が垂訓を聞くが良い。一応カトリックのワタクシだが,仏教に興味が出てきてね,困っております。イエスは革命運動家だと思うけど、シッダールタは哲学者だと思う。仏教の方が深みがありそうだと考える月曜の朝であった
たった今(朝5時55分)駄犬ビーにエサをやってきた。この寒中、脂肪をつけて欲しいのだ。そして寒いのにもへっちゃらになって欲しい。あと3年は生きていろよ。今の俺にはペットロスが激しいだろうからな。子供の頃、猫が大好きで(これは今でも変わりが無い)、飼っていた親猫が子猫を産んだので喜んでいたら、台所で母が子猫の頭を踏んでしまい、殺してしまったことがある。あれには泣いた。子猫は体を痙攣させた後に息絶えた。わんわん泣いた。あんなに可愛かったのが一瞬で死んでしまったのだ。まだ8歳ぐらいの俺は泣くしかなかった。その母猫マリも庭にあった古井戸に落ちて溺れ死んだ。15歳だった。猫年齢としては100歳を超えていただろう。井戸の内壁は360度に苔を爪で引っ掻いた跡が残っていた。俺がいたら飛び込んで助けてやれたのになあ。苦しかったろうなあ。怖かったろうなあ。生涯で50匹前後の子猫を産んだおりこうさんの母猫だった。道路を横切る時も左右確認して渡るかしこい猫だった。その猫がどうして古井戸なんかに落ちてしまったのだろう?
その数年後、姉が「ふうちゃん」という猫を飼い始めた。この子がまた素直で賢かったのだが、ある日うちから出たまま帰らなくなった。姉は手書きでふうちゃんの絵の入ったポスターを作って家の壁に貼っておいたのだが、よその家で別の名前で飼われていることが分かった。そこの小学生の男の子がふうちゃんを離さなかったので諦めた。動物がいる生活はいい。今は馬が欲しい。やったらやってでいやんなるぐらい大変だろうなぁ。猫が一番いいが、一泊でも外泊すると家中ティッシュペーパーだらけになっているんだろうな。マングースやフェレットも飼ってみたい。どちらも人に良くなつくらしい。
ところで、朝風呂に入るときにニテ君のことを思い出していた。頭が良くて優しいニテ君。もう10年も会っていないけど,会ったらすぐにニテケテの二人だと分かる自信がある。一緒に朝風呂に入りたいなあ。
7時にならんとするところだ。
体重は順調におちている。10日ほどで5キロ落ちている。やるなあ、俺。この調子で後10キロ落とそう。できるとも。以前から食は細かったし、好き嫌いも多い。今はパスタとキャベツの千切り、それからトマトジュースで生きている。体重を落とすために運動もしたいのだが、なんせ右足の指の骨を三本折っているので縄跳びもいかんそうだ(空手の先生談)。なんでも、上り下りをゆっくりと歩くのがいいらしい。おお、任せんかい。トレッキングは得意だぜ。山上の垂訓でもやろうかな。すぐに救急車が飛んでくるな。
話は急に変わるのだが、テ―マは一緒だ。ワタクシは一日に7回半したことがあるが、途中で女の子を変えた(二人とも素人ですよ)。一人相手には興奮しなかったのだ。で、7回半の「半」って何よ?とお思いの方もおられようが、つまりそれは、その、いわゆる中折れである。19歳の時の記録だ。もうあんなにすることはないんだろうな。最近じゃ性欲自体に衰えを感じているしなあ。まさに「永久も半ばを過ぎて」だなあ。
「永久も半ばを過ぎて」というと、思い出すのが映画版である。タイトルは「Lie,Lie,Lie 」だったかな。トヨエツはいつも通りうまかった。あの人はどんな役でもこなすね。鈴木保奈美の大根ぶりがぶり大根だった。そして佐藤浩市、あの人が蹴らずに出ていたら「青い鳥」というテレビシリーズもいいものに、いや、もっといいものになっていだだろうな。佐野史郎さんももちろんよかったのだが、佐藤さんがやっていれば、一段とシリアスさが増したであろう。実直な男が女に振り回されてあれやこれや。夏川結衣さんは綺麗でよかった。悲しみに満ちた役が似合う役者さんだ。今も綺麗だもんなあ。俺は若いときのトヨエツに筒井康隆さんの「旅のラゴス」の主人公をやってもらって映画化したらどんなに面白いものが出来るかまで夢想したよ。あ、今シチュ―煮込んでるんだった。ミルクを足してさらに煮込まねば。
減量中のため、キャベツの千切りにノンオイルのドレッシングをかけて、それからやっとシチュ―を軽く一杯だけ食べた。体が温まっている。ここ数日キャベツの千切りを大量に食べているからか、排泄の量がすごい。トイレを出ようとするとまたしたくなって入り、の繰り返しだ。これは確かに効くな。
ところで眠剤なのだが、と話はころころ変わるのだが、どうせ誰も読んでいないだろうから好きなことを書く、で、眠剤、今日からヒルナミン2錠を1錠にかえる。あれは日中眠くなって仕方がないよ。夕べなんか危うく失禁しそうになったのだ。まずいよ、この年で寝しょんべんなんて。
やっと8時を回った。9時まで仕事してそれから眠剤を飲もう。SSRIも非常によく効いている。おや?足下に置いてあるウ―ハ―がうなりだしたぞ。接触が悪いのだ。CREATIVEの品なんだが、なかなかいい音がする。これで聴くバッハやモ―ツァルトはなかなかいい感じだ。などといいつつ今は宇多田ヒカルをかけているんだけどね。宇多田さんっていいなあ。お母さんが残念なことになったのが悔やまれよう。今辛いだろうなあ。5年でも10年でも休んで帰ってきてくれたらうれしいな。山下洋輔さんがオフコ―スを評価したように、誰か、そう、矢野顕子さんあたりが「あのこいいわね」と言ってくれないかな。言っちゃあ何だが、近田春夫さんが褒めてもさほど公的な評価は上がらないんだよね。
それはそうと、今日昼過ぎに何の原因も前触れもなく不安感がつのり、内科に電話してジアゼパムの筋肉注射をを頼んで出かけていったら、なんとまあこの段階に来て医師が言うにはうちじゃ出来ません、である。そして810円取りやがった。なんて商売だ。腹式呼吸と犬の散歩で不安は消えたけどね。いやそれにしてもひどいもんだなあ。連絡が全く取れていないまま今日来てくださいとまで言っておいてこれだ。あんな病院二度と行くか。それにしてもこの俺が躁鬱とはなあ。人生分からないもんだ。小学生の頃は明るい子供だったが、図書館に入り浸りだったな。あれは逃避だったんだろうな。中学でもやたらに本を読んでいたな。公立の中学なので中には馬鹿がいて、俺に向かって、「おまえ、何で女の前でかっこつけるんだよ」などと絡まれたな。そんな意識はなかったんだけどねえ。そして俺を殴りやがった。二対一で勝ち目はなかった。その二人、緒方と今泉を俺は許していない。昔話にする気もない。あれは「いじめ」ではなくて、「暴力」だったのだ。嫉妬心丸見えの見苦しい行いだ。緒方はIQが120あるのが自慢だったらしいが、俺の数値を聞いて悔しかったんだろうな。何かの間違いじゃないかと何度測っても190前後の俺はPTAの話題となり、友達のうちに遊びに行くと、「一日何時間勉強するの?」なんて友人の母親に尋ねられたものだ。してねえよ、勉強なんか。授業聞いてれば覚えちゃうじゃん。ノ―トはどんなふうに取ってるの?と聞かれたので落書きだらけの役立たずノ―トを見せて呆れられたもんだ。しっぺ返しは大学院でやってきた。いかに飲み込みがよくとも、努力する才能がないと伸びないのだ。俺は不幸にして努力の仕方が分からなかったので、身につけるのに時間がかかった。師匠がそれを早くから見越して、努力は一日一枚ずつ紙を重ねるようなもんですよ、と俺個人に話してくれたことがある。今になって耳が痛い。
まあそんな話はどうでもいい。問題は今のところ減量だ。痩せたいのではなくて、締まって隙のない体にしたいのだ。駄犬ビ―がいてくれてよかったなあ。散歩の友だもんな。あ、窓から俺を見ている。寒いんだから犬小屋に入ってろよ。
やっぱり動物のいる生活っていいな。いつも馬を見せてもらう牧場の人たちはみんないい顔してるもんなあ。ああいう職業で気持ちのよくない人に会ったことがない。人だけじゃなく動物に触れる職業っていいなあ。そろそろ仕事を始めよう。12時に寝ればいい。お休みなさい、読んでくれている奇特な方。
学部学生時代に、友人の別荘へ行ったことがある。「南軽井沢」というそれってどこやねん!的な場所にあったのだが、ワタクシはバイクで一人遅れて到着した。途中道に迷い、駅前で「ここはどこですか?」などと尋ねると、通行人が「軽井沢ですよ」と教えてくれた。確かに軽井沢駅だったから大変な間抜けぶりである。そこから友人の別荘まで1時間かかった。もう軽井沢じゃないじゃん、と思いながら友人の別荘に入ると、ジョルジュとバ―バラが「ほんとに一人で来たんだねぇ」と言って迎えてくれた。別荘の持ち主の息子、土山君は、「もうどこへも逃げられないね」などと言っていた。次の日から二日間だけ逗留した。ワタクシは塾の講師のアルバイトをやっていたので、すぐに帰らねばならなかったのだ。二日間ワタクシは上半身裸で過ごした。土山君が、ワタクシの体を見て、「うらやましいおなか」などと言っていたのだが、当時のワタクシの腹は仮面ライダー的に割れていたので、小太りの土山君は単にうらやましいだけだと思っていた。その10年後、電話で土山君と話をしていると、「あのね、僕、ホモセクシュアルなんだ」とカムアウトされてしまった。では、10年前のワタクシの体を見たときに、単に羨ましいだけではなく、ネタにされていたのではないかという疑問が起きてきた。おお、怖い。
で、ダイエットなのだが、今日は昨日よりさらに1キロ減っていた。何だ、ダイエットなんてその気になれば簡単じゃん。遺伝子に太るような情報が入っている人は別だが。やり方は簡単。朝は普通に食べる。昼と夜はキャベツの千切りを大量に食べてから主食に移る。ワタシはさっきの夕食でおにぎり一個と野菜炒めとキャベツの千切り、ドレッシングはもちろんノンオイル、だけで満腹になりました。
たった今眠剤を飲んだので、1時間で寝てしまうだろう。ヒルナミンを二錠から一錠に代えた。あれは効きすぎるよ。昔は全く効かなかったのになあ。耐性が出来ていたんだろうな。向精神薬は怖いよ。ヒルナミン2錠だと、飲酒運転より危険だ。これで子供でもはねちゃった日には確実に懲役刑だ。おお、怖い怖い。あ、どうやらヒルナミンが効いてきたようだ。頭に霞がかかったようだ。寝てしまえ。
現代科学を、何の疑問もなく、もちろん何の理解も無いままに、妄信している人は多い。専門外の人間にとっては、それが難解で、理解不能であればあるほど、その妄信の度合いが激しくなるようだ。ところがこれは、なにも専門外の人間、一市民である人々に限られたことではなく、専門家を自称する学者達のあいだでも多く見られる傾向なのだ。
私は、独学で科学のおおよその分野を学んだ自負を持つ人間として、彼ら「学者」達がどれほど思い込みや妄信に目をふさがれ、現代科学の真の進歩に害を及ぼしているかを、ここで論じてみたいと思う。
なお、この稿は専門知識のない読者を想定しているため、いたずらに混乱を招くことを避けるために、参考文献は一切挙げないことにした。
また、この稿に異論がある「専門家」がいることは容易に想像できるが、もう一度勉強しなさい、とだけ言い、議論は一切拒否する。
アインシュタインを盲信する頑迷な物理学者達は一向に認めようとしないが(実は彼ら自身それが分かっていて、認めることが即座に大学のポストを追われることを意味するために恐れて異論を唱えないのだと私は見ている)、そもそも、エイゼンシュタインの超ひも理論の前提となっている、「光速一定」という「きまりごと」が間違っているのである。
なぜこれが「きまりごと」となっているのかは、マイケルジャクソン・モーレーの実験たった一つを拠り所としているに過ぎないことは斯界の常識である。モーレーは、後になって少年への性的イタズラで訴えられるような人物である。
「光速一定」が事実に反することは、ブルガリアの優れた古代フェミニズム学者、ノーム・アブラム・ロバチェフスキーによる、健康にもいいマイナスイオン化した電界内での光速が、「きまりごと」であるはずの速度を超えているという観測結果があり、それは、"Aspects of the theory of Syntax and the beautiful flower you gave me at the night we first met and danced to the walz all through the night, which I wonder if you still remember, I hope you do, darlin'"(邦題『本当のあなたを見つけてたった一週間で一トン痩せて彼の心をとらえて放さない腕ひしぎ十字固めヒーリングダイエットと前世療法の諸相』)という、権威ある科学誌『モー』掲載論文によって、はっきりと示されている。
いまだこのマヤコフスキーによる論文を認めないチャイコフスキーがいるが、それはロボロフスキー・ハムスターな事であると言えよう。
なお、この論文を「アスペクツ」と呼ぶ人たちがいるが、前記したように著者はアゼルバイジャン人であり、当然ケチュア語で書かれているので、「まつりだいこだどどんがどん」が正しい。
こんな基本的なことも間違う先生方が「光速一定」を教えているというのが物理学会の現状である。これには、ユーベルシュタインがユダヤ系であり、ユダヤの議定書に基づき、ロックフェラー家などのアメリカ大資本を陰で操った人物であったこと、そしてその影響下にあるフリーメーソンの主導者たちとナチスの残党によるUFOをめぐる戦いをアウフヘーベンしようとしたケネディ暗殺とが関係していることは断言できる。
光速が一定でないことは、我々の日常でも簡単に観察できる。
例えば、太陽が放つ光であるが、あれは実は光ではない。その実体は、プルトニウムがγ崩壊してカルシウムになる際に放出される万物への愛を伴った「波動」であり、我々の家庭で使われる蛍光灯が放つ光とは、全く性質、つまり波動が違うことは誰の目にも明らかだ。
蛍光灯の光は、完全真空になった蛍光管の中を、発電所から送られてきた電気が真空中に放り出され、行き場を失っておろおろした後正確に0.00000000000023π-1.41421356秒後に乙女のように恥じらいながらマクローリン展開する際の最後の命のともし火である。
この時間は、神代文字によって予言されている数値と寸分たがわず一致する。同様に、その電気が、原発によるものか、水力発電によるものか、風力発電によるものかによって、波動もまた違うのである。
太陽光発電による電気の場合であっても、途中でコンデンサーという半導体が速度を半減するので、太陽光が蛍光灯から得られないのである。このことからも、地球温暖化が避けられないことがわかる。と同時に、論理的帰結として、地球温暖化がデマであることも分かるのである。
蛍光灯よりも、昔ながらの竹製フィラメント式照明や、暖炉の火のほうが、より家庭的な「波動」をもたらし、なごやかな雰囲気を作り出すことや、キャンプファイヤーの火を見つめながら語るうちに、なんとなく苦手だった異性が急に好ましく思えてきて、その夜のうちに深い仲となるも、キャンプ旅行から帰ってきたら何のことはない、あれはひと夏の情熱に過ぎなかったんだなあと思うことが多々あることも、光源によって光の「波動」が違う、すなわち速度が異なることの確固たる証明になることは一目瞭然である。
青色発光ダイオードの場合は、ダイオードという名が暗示するように、ダイオキシンを発生するので、その波動(2Hz、タモリにしか聞こえない超音波)を浴びないためには、光速で逃げなければならない。この場合の光速は、当然音速と一致する(気圧一気圧、気温4℃、晴れのち曇りの条件下での観測)。つまりマッハ4パーセクである。
また、「電気が送られる」という表現に如実に現れるように、電気は「送る」側の力によってその速度を変えるのだ。
人力で送った電気は、せいぜい全力疾走するカール・ルイスか、ドーピングしたベン・ジョンソンほどの(しかも追い風による参考記録の)速度しか持ち得ないし、切手を貼った電気は、速達でも離島の場合届くまでに一週間かかることがある。最近では、E-Mailに電気を添付することが出来るので、この場合は一瞬で、つまり速度無限大で伝わる(しかしながら、昔ながらの切手を貼った電気のほうが目上の方へのお願いやお礼、盆暮れの挨拶などの場合には礼儀にかなうこともまた事実である)。
水力発電による電気は、川のせせらぎの速度から、とつぜん大滝となって流れ落ちるイグアナの滝の速度にまで、変化する。これを場所エネルギー保存の法則という。ボイル・シャルル二世によって正典とされたものである。
原発の場合は、それがプルトニウムによるものか、それともフランスで再処理されたものであるか、高速増殖炉で再生産されたか、茨城の畑で無農薬で作られ、生産者の顔写真と名前入りで泥つきのまま自然食品店に並ぶものであるかによって、それぞれ波動が異なるため、幾何級数的に(簡単に言えば鶴亀算、正式には記号ζで表される)異なる。これをローレンツ変換と言う。動物行動学者によって発見されたものである。物理学者達はいったい何をやっていたのであろうか?
それがフランスで再処理されたゲルマニウムやチタンであった場合は、自然保護団体(主にドゴン族の呪術医達からなるグリーンピースを常食する団体)の波動が影響するために、スピリチュアルかつエスプリに満ち、どことなくアンニュイでいながら尊大な電気が流れ込み、大いなる気づきとケリーバッグを与えてくれる。
ソウル・メイトが見つかるケースも頻繁に報告されている。何をかくそう、詳しくは後述するが、私の幼い娘もこういった契機で私の娘としてこの世に現れたのである。ウィ、マドモワゼル、そしてカップン・カップかつコムスタ・カであることすなわちダスビダーニャであることは簡単にナマステされようというものだ、アマカネ。
インドでサイババによって手中から生み出された聖灰(死の灰である)の反応から作られた電気であった場合は、ドライヤーに使うと、ステキなヘアスタイルになれる。現に、行列の出来るヘアデザイナーの店には、サイババの聖灰専用の核反応炉(七輪と呼ばれる)が備えられていることはファッション界の常識となっている。
私の幼い娘も、行列となって並んでいる姿が町のあちこちで同時に散見され、何度も何度も斜めに掛け算をしてやらなければ解が得られないといって家へ帰ろうとしない程である(娘は時々こうやって私に研究のヒントを与えてくれる)。
また、ホノルルに落とされた爆弾発言と、ロズウェルに落とされたロケット花火は、前者が重金属の核融合によるものであること、後者がいちばん軽い元素であるベリリウムによる減数分裂を利用したものであるという違いがあること、よって後者にはGLAYのメンバー全員の死体が隠されている事は研究書に明らかにされているが(最近GLAYをあまり見なくなったこともその証拠である。たまにテレビで歌っているGLAYはクレイ・アニメーションである)、これら民間人の上に無残にも実験の側面を持って落とされた爆弾が放つ光と、初夏の小川で薄闇中にぽわぽわと瞬くかわいらしい蛍の放つ光が、同じ波動、すなわち同じ速度を持つと主張するなどとは、もはや戦死者に対する冒涜でさえある。
戦時下のニューオリンズが舞台となった『タルホの墓』を見れば、違いに気づかないほうがおかしい。私の幼い娘さえ、『タルホの墓』を見るたびに涙するのに、である。物理学者には血も涙も無い上に、少年愛が理解できないのであろうか。
この稿は前提知識のない貴様ら愚民共を対象に書いてやっているので、皆様にもお分かりになりやすいように「電気」「光」「電流」「音波」などを同じものとして扱っているざます。しかし実は、この中で同じであるものは「電流」と「音波」だけなんだぜ、ベイベー。両者とも「流」「波」が示すように、サンズイから出来ているからであることは私ごとき身分の卑しい者がご説明差し上げるまでも御座いませんでしょう、この腐れ愚民共めが!
「電気屋」はあっても、「電流屋」は無いし、「光屋」という屋号は、特に山口県光市におけるラーメン屋や旅館の場合に考えられへんこともないけども、「音波屋」となると、これは「おとわや」であって、屋号ではなかとよ。
このことからも、「音波」「電流」だけが強い力によって説明されるのよ。ねえってば、聞いてよ!意気地なし!逃げるの!?またそうやって逃げるの?こっち向いてよ!こないに好きにさせといて、いまさら逃げる気なん?もうええ、うちがまちごうてたわ!
なお、物理学者達は、「弱い力と強い力の統合」に腐心しているようであるが、これは実に簡単に解決できるんよ。ほうよ、ほんまじゃけえみときんさい。弱い力であるならば、頑張って毎日20キロ程も走り込み、体にいいものを沢山食べて、よく眠ればそのうち強い力になるっとたい。
要は本人のやる気の問題です、お母さん。息子さんは本当は賢い子なのですが、いまひとつ欲がないというか、真剣に勉強と向き合うという姿勢に欠けるのではないかと思うのです。もちろん息子さんはクラスのみんなとも上手くやっていますし、信頼もされています。ただ、今の自分に安住しているのではないかという気がするのです。この高校受験といういい機会に、私は息子さんに「本気で何かを成し遂げる」体験をして欲しいと思っています。結果は必ず付いてきます。私も全力で息子さんを応援します。お母さんは、あまりご本人を焦らせず、とにかく少しでも褒めてあげてください。
それはそうとお母さん、少し疲れましたね。おや、こんなところに休める場所があるじゃありませんか。少し寄っていってみませんか。いけませんわ先生、私は良雄の母であり、一人の妻なのです。いいじゃありませんかお母さん。いや、お母さんなんて呼ばないで。今は知子と呼んでください。じゃあいいんですね、おか、いや、知子さん。先生がどうしてもとおっしゃるんでしたら・・・。わかりました知子さん、いや、知子。あら、こんなところへ入るのは初めてで勝手がわかりませんのよ、私。いや僕もそんなに来たことがある訳じゃないので、あ、タオルとかバスローブなんかあるのかな。先生、ここですよ。知子、いやに詳しいじゃないか。何度も来たことがあるんじゃないか。いやですわ先生、何となくそう思っただけよ。それより、バスタブにお湯張っとくわね。でもここ、バブルのパックが揃ってるわ。先生先に入ってらして。あら、もう上がったの、早いのね。じゃあわたしも、あ、いけないわ、せめてシャワーだけでも・・・うんもう、仕方のない人。あ、いけないわ。いや、いやよ。でもいいわ。いいわ。知子知子知子。先生先生先生。ああ、そんなに強く。知子知子。あ、そこは弱いの。優しくして、先生。知子知子知子。ああ、先生、こんなに激しくされるの久しぶりよ、ああ、もっと激しく。知子知子知子。先生先生先生。ああ、もうだめ。僕もだよ、知子。あああああああああああああああ。だめだめだめだめだめ。僕ももうだめだ。良雄君の努力は必ずーーーーーーーーーーーーー!せんせいせんせんせいーーーーーいいいいいいいいいいいいーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!
逆に、強い力を二週間ほど絶食させて、睡眠もとらせず、なおかつ租庸調を収めさせ、仕上げに血液を半分ほど抜いて差し上げれば、どげん強か力じゃってん、必ず弱くなるざますのよおほほほほ。
何故このような簡単なことに学者先生たちはお気づきになりはらしまへんのか、貴様ら最低の愚民共でも容易にご理解なさることで御座いましょうでごんす。どすこーい!土俵の下には金が埋まってるでごんす!さいざんしょ、お武家様。あれ、なにをなさいます、ご無体なお武家様!やだもう、髪も服もくしゃくしゃになっちゃったじゃない、もう。あー!、こんなとこにキスマークつけて!もう!でも・・・・・おこんないであげる・・・・・ねえ、次はいつあえる?・・・・・えっ?これっきりにしようだなんてひどうございます、お武家様ったらお武家様のドグサレ愚民が!おととい来やがれ!ね、さいごにキスして。ねえ、おねがい・・・だめなの。わかったわ。ほんとに行っちゃうのね、このドグラマグラのカーストにも入らんスードラ愚民なあなたを忘れないわ。でも、この鍵、返さないからね、あたし。ふふ。心配?安心して、想い出に持っとくだけ。なんて言っといて一週間後には街で男と腕組んでけらけら笑いながら歩いてたお前は何だ!息子さんの努力は報われるけえのう!どすこーーーーーーーーーーーーーーい!
このように、光速一定の「原理」は様々な実例によって論破されているのが実情である。
もう一つ、フランケンシュタインの超ムヒ理論を支える柱が「等価原理」である。
これは、上昇するエレベーターに乗った人間が体感する痒みと、地球の重力による痒みを区別する方法は無いとする「原理」である。 実に不思議でならないのは、偉い物理学者の先生方が、エレベーターに乗ったことは無いのか、ということだ。
エレベーターに乗れば、自分がエレベーターに乗っていることぐらいは必ず分かる。地上に静止していないことは、エレベーターの階数表示を見れば明らかである。それが高層ビルであった場合、耳がつーんとする確かな傍証もある。地上に座って、地球の潮汐力9.8Gを受け、まさに座学しかこなさなかった結果が物理学者たちのこの始末である。
そもそもが、エレベーターはグレゴリオ暦254年8月14日にグァテマラの大工、レオナル・ド・ダヴィンチよって発明されるまでこの世に存在していない。それでは、皇紀245年14月8日以前と以後では、この「等価原理」とやらは違うというのだろうか?これこそがその時その時の学会の風潮におもねる「権威ある」学者たちの姿をいみじくも現したものである。
私の幼い娘も、一緒にデパートに出かけるときは、自分の判断でシースルーエレベーターを選ぶ。下の景色を見て「わー」というのだが、この、「わー」すらも物理学者達は経験したことがないのだ。一度でいい、デパートに行ってシースルーファッションに身を包み、「わー」と言いながら、大原麗子婦(Lakoff, O)の本を読みさえすれば、「等価原理」が間違いであることが体感されるであろう。
現代物理学者達の罪は、シュタイナーを妄信していることだけではない。生命現象まで最終的には物理現象として捉えようとする試みがあるのだ。これは大きな心得違いと言うものである。
なぜならば、生命現象は、一連の複雑系研究(タオ思想とバカラの秘術−定評ある確率論の研究者ハマコーがラスベガスで発見した−に基づく研究である)が示したように、基本的に虚数、すなわちeの電荷と二日酔いでちょっとだけふらつき気味のスピンを持つタキオンが波動としてこの世の生命に姿を変えてある意味大都会の孤独かつ別の意味では過疎の町の青年団長四十八歳素人童貞として現れたものであるからだ。
ワトソンとホームズのDNA発見が明らかにしたことは、遺伝子とはすなわち螺旋であり、螺旋とはこの場合虚数Ψを底とするメルセンヌ素数MOD(簡単に言うと並木算)から導き出されるコペンハーゲン解釈のことに他ならないから、頭上に黄色いパラソルを広げ、満面の笑みを浮かべふふんふんと鼻歌を歌いつつ螺旋階段を軽やかな足取りで昇り降りしない限り、現代の硬直した物理理論を持って説明しようなどとは、戦死者に対する冒涜である。
私の幼い娘も、黄色いパラソルを前提としないストックホルム解釈は理解できないと言っている。このように、幼子にすら理解できる理屈が学者先生たちには分からないのだ。
このアムステルダム解釈によると、タキオンを浴びた生命は情報量が上昇し、サイケデリックかつブッダスティックかつバングラッシーな人生が過ごせるという帰結が得られる。これこそがモーツァルトの音楽を聴いてサボテンが反応を示すというタキオン効果に他ならないのだ。実はこれはローマン・ゾロアスター東方教会立川真言流の最終解脱経典『目覚めよ!』すなわち『竹内モン・ジュ・マ・メ・トン・タ・テ』―――これは門外不出の経典であるので、私はたいへんな苦労をして、すなわち近所の24時間開いている図書館 (この図書館の本は、ガラス張りの外壁に面して並べられ、熱心な若い研究者たちが深夜まで図版入りの文献を立ったまま読んでいる。また、コピー機やファックスがあるのは当然にしても、配慮の行き届いたことに、図書館の中にはスナック類やインスタント食品を中心とした食料品やアルコール飲料、タバコ、化粧品、洗剤から簡単な食器類、封筒、文房具、ガムテープ、蝋燭、マッチ、割り箸、じゃがまる君などなど、研究者に欠かせない品々が準備されている。また、図書館司書には昼間は主婦と思われる女性たちが多いが、深夜帯には髪を金髪にしてピアスなどした若者の司書を配置しているなど、ともすれば自分の世界にこもりがちな研究者の気持ちを明るくする工夫がなされている) の書架の入り口からいちばん離れ、仕切りで囲まれた一角で入手した (『本当にあったけど実はなかったあんまり怖くない話』や『微かな笑み』誌などの経典に挟まれていた) ―――に記されていることであるが、モーツァルトはサリ・エリ・エリ・サバクタニからインチキマージャンで騙し取った先祖伝来のタキオン入り紅茶キノコを作曲の際に常食していたとその生涯を支えた妻マリア・テレジアが最後の告解の時、永平寺の神主レノン・マッカートニーに信仰告白としての還俗宣言の中で語っているのだ。マリア・テレジアは現在ドバイの八ヶ岳でアトホームな、手作りブルーベリージャムと取れたて野菜サラダがご自慢のペンションを経営している。
余談だが、私も実生活において、居酒屋は「養老のタキオン」しか行かないことにしている。また、台所においてある、物入れとして使っていた白い大きな箱にピラミッド型タキオン発生装置を取り付け、ついでになぜか白い箱に付いていたコンセントをつないだところ、水が冷える、氷ができる、ビールが冷たくておいしい、入れておいた肉が腐らない、タバコの味がまろやかになる、カミソリが切れるようになる、近所の可愛い猫を入れたらあくる朝安らかな寝顔のまま天国へと旅立っていた、などの顕著な効果が現れた。
上記の最後の効果を、私は「パトラッシュ効果」と名づけ、同名論文("Piramiddo no Takion to Patorassyu Efekuto")を"Nature"誌に投稿したが、頑迷で保守的な「権威ある」論文審査員に掲載を拒否された。それならと今度は"Science"誌に投稿したが、原稿を入れた封筒が開封もされず送り返されてきた。彼らはいったい何を恐れているというのだろうか?私の『パトラッシュ効果』は、どうやら物理学者たちのあいだでは焚書扱いされているらしい。
そこで、先に挙げた日本の権威ある科学誌『モー』に投稿したところ、「大変興味深い内容です。一気に拝読させていただきました。しかし残念ながら、現在の私たちの編集方針は超古代文明と火星の遺跡と日本の古代遺跡・東京都庁との関係を論じた論文に集中しております。出来ましたら、『パトラッシュ効果』が火星の超古代文明からもたらされたという方向で再度御推敲いただけませんでしょうか」という丁寧な返答を頂いた。確かに私にはその観点が欠けていたようなので、現在新宿中央公園で寝泊まりしながら都庁を観察しつつ、鋭意草稿をこねくり回しているところである。やはり真の科学を希求する『モー』の編集者は鋭いものであると感じ入ったしだいである。
ところで私の娘は、その子猫の幸せそうななきがらを、ヨハネの黙示録のドイツ観念論的実現であるといい、銀河鉄道666の数字を子猫の額に記し、戦死者への冒涜であると言って泣き喚き、レースのカーテンを引き裂いてドレスのごとく身にまといひらひらと風になびかせながら黄色いパラソルをぐるぐる回しつつ螺旋階段を昇り降りした。このように幼子にも分かることなのだ。
これほどまでに生命現象が他の物理現象と隔絶したものであることが明らかにされている今日、なお「科学的」方法によって生命の謎を解いたかのように錯覚している生物学者や物理学者の哀れさをなんと表現したものか、私には分からないほどである。
これからの科学は、特に生命領域にかかわる科学は、誰にでも分かるような言葉で書かれなければならない。さもなければ、生命は人民のものではなくなってしまうからである。
最後に、私の娘の名をここで紹介することを許していただきたい。
娘の名はエルバッキー。レティクル座の五連白色矮星のお気に入りのランジェリー・ポイント3に悩ましく浮かび気味のタウ・ケティから来たロゼッタさんといつものように週一で金星で会ったときにやや私の娘として授けられた大江戸からくり必殺仕事人である。
現在自分のフォルダをバックアップ中である。遅い臨時用のマシンでやっているからか、非常に書き込みがとろい。この遅さはどこから来ているんだろう?CPUかOSか、ドライブの遅さか、どれかだろうが、520メガをバックアップ取るのに1時間以上かかるのだ。
腹が立つので終了まで山の温泉に行ってただ風呂しようかな。ところで、以前使っていた2テラの外付けHDDが見当たらない。仕方なく1テラの外付けをつないだのだが、OSが認識しないときたもんだ。これからはバックアップはSDカ―ドかメモリスティックでやることにしよう。今入院中のPCには32ギガのメモリにしてもらうことにした。当然普通の使用では余るので、キャッシュとブラウザはメモリ上に置くことにする。更にRAMディスクを作って、そこでたいていの作業を済ませるつもりだ。カ―ネルをメモリから外に出さないようにして、出来ればシステム自体が起動時にRAMディスクに入るように設定したい(これは無理だと気づいた。システムが起きてきて初めてRAMディスクが作られるのだから、全体を入れるのは不能だ)。お、もう10時だ。仕事に戻ろう。昼飯までに20枚は書こう。翻訳ってやっかいだなあ。PCがやたらに遅いバックアップをしているので、仕事中断だ。バックアップの問題には、残り時間の表示が全く当てにならないと言うことがある。さっきまで10時間かかるといっていたのが、もう2時間になった。と思ったらその5分後にバックアップ終了。あっけないなあ。この表示のいいかげんさをどうにかしてほしい。時間が読めないと困るのだ。マッキントッシュではどうなんだろう?今のマックOSはLinuxをベ―スにしているから、性能はWindowsよりいいはずだ。安定もしているだろう。マック一度買ってみようかな。
さて、今音楽を聴きながら書いているのだが、宇多田ヒカルさんである。Prisoner of Loveなんか名曲だ。今使っているスピ―カセットはちょっと低音が出すぎるので、PCが退院してきたらもう一つのCreativeのセットに変えるつもりだ。聴いていると、編曲や演奏の良さが印象的だ。かつてDavid BowieにIggy Popがいたように、チ―ムがいるんだろうな。そういうバックアップを持たない歌い手っているのかな?自分では絶対に買わないだろう浜崎あゆみや安室奈美恵の場合は明らかにプロデューサーがいるのが分かる。
まだ12時前だが、もう昼飯が終わった。どんぶりいっぱいのキャベツの千切りをノンオイルドレッシングで食べ、そののちにおにぎりを一個だけだ。体がこのダイエット方になれてきている。後は駄犬との散歩だな。今日は午後晴れるらしいので近所の泉まで出かけよう。
今ボイラ―の温度を見てきたら90度になっていたので浴槽にため始めた。このところ温泉続きで、髪を洗っていなかったので大変にかゆい。なぜ温泉で髪を洗わないかというと、毛をいためるからだ。なんせ入っただけで全身の垢が落ちる温泉だ。髪の毛には強すぎるのだ。
などと言いつつ昼風呂に入ってきた。ああ、全身洗っていい気持ちだ。ヒゲもこれ以上はないほどに完璧に剃った。12時25分、世間の勤め人の方々に申し訳ないほどの生活だな。でも徹夜仕事もやってるんだよ。
フリ―ランスってきついなあ。今更普通の勤め人にはなれないしなあ。まあそういった話は今度お会いしたときにあなたに直接届けたいので、ここではこれ以上触れないことにする。しかし何ですな。パソコンとインタ―ネットの普及というのは実にグ―テンベルグ以来の大変化ですな。最近例の「ビッグデ―タ」に関する本を読んだのですが、なんかこの社会は群居性の昆虫の社会みたいになっていきそうで怖かったです。時代が時代だったために高校へ行かなかったワタクシの母は、通信制の高校に去年の春から通うようになったのだけど、日曜日ごとにスク―リングがある。教科書を見て驚いた。「情報と社会」という科目があるのだ。これ、一般社会人でも勉強になりますぜ。DNSからファイアウォール、メルアドは本物を使うな、など、いろいろ示唆に富んでいる。必要だもんね。
で、一人の千葉真一として考えたのだが、体を使いたくなっている。今右足指の骨が折れてずれたままくっついた状態なので縄跳びもするなと極真の道場主に言われているのだが、腕立て伏せは一日500回やっている。これを1000回にまで引き上げたい。ここまで来ると、腹筋も使うので、なかなかいい運動なのだ。それに、道場主さんに直接「来なさい」と言われるとは嬉しいじゃないか。
話はまた変わるのだが、百恵の名に免じて許せ。最近くだらないソフト商法がはやってますなあ。ウィルスが見つかりました、2分で診断、などと言って何の働きもしない(しているような挙動を示すが、信じちゃだめだ)信じていいのは百恵山口だけだ。別の言い方をするならば、オレオレ詐欺のウェブヴァ―ジョンだと思えばいい。あんたのマシンに不具合があるから、俺を使って修復しなさい、金くれ、である。どうせヤクザのところへ流れていく金だ、絶対に払っちゃだめだぜ。淳子桜田としてもそう思うドクタ―中松な日暮れ時でした。
10分後です。キャベツの千切りをどんぶりいっぱい食べてきました。これで満腹感があるのだ。カロリ―はほとんどない。ついさっき腕立て500回完了。実にいい感じだ。
眠剤を飲んでしまったのでしからばじゃ。愉快愉快。
今朝は2時半に目が覚めた。仕事を始めるのにちょうどいい時間だ。しかしなんですな、ヒルナミンにすぐに耐性が出来てしまって、きっちり6時間眠れるようになった。夜が明けたら、牧場に馬に乗せてもらいに行こう。一人の武豊として乗れば上手に乗れるに違いない。
もう2月も終わりだなあ。4日後には「マタイ受難曲」のCDが届く予定で、待ちきれない(訂正。発売は4月7日でした)。カラヤン指揮の抜粋版だ。以前は完全版を持っていたのに、無くしてしまったのが実に悔やまれる。では仕事を始めます。3時20分です。
昨夜DVDで映画版「カイジ」を見た。原作の漫画には10年ほど前にはまったことがあり、映画版が成功しているかが気になったのだが、大成功だった。藤原竜也いいなあ。彼は年を取ってもいい役者でいつづけるだろう。タナトスとリビド―にみちあふれたいい映画になっていた。
さて、私事で申し訳ないのだが、ワタクシはタナトスもリビド―も多く抱えている。生き生きと生きたいし、死への憧れもある。・タイトルのデステニ―とは、やはり10年ほど前にウェブで当時の友人たちと遊んだ言葉だ。ああ、君にデステニ―、運命のデステニ―、ああ、ああ、などと隠れ掲示板に書いては笑ったものだ。当時の妻が妊娠中に、胎児を「デステ」なんて呼んでいた。そののちに生まれてからはデスニ―テとか、ニ―テと呼ぶようになり、今のニテさんに落ち着いたのだ。ニテさんの弟はケテさんと呼ばれるようになった。ニテケテとはワタクシは非常に仲がよかった。二人とも可愛かったもんなあ。今でもきっと可愛い子に違いない。ここでちょっと中断。
10分後である。キャベツの千切りをどんぶりいっぱい食べてきました。非常に体調がよくなる。脂肪も落ちる。ワタクシはここ2週間で6キロ落としたのだ。まだまだである。歩きまくって足腰を鍛え直さねば。そして放火魔になるのだ。全部燃えてしまえ。嘘です。あ―、葉っぱやりてぇ。ヘロインもあの離脱症状さえなければやりたい。両方とも経験があるワタクシだが(フィクションです)、今ほしいのはジョイントだな。トップのジョイント、朝キめたら一日効いてるもんなあ(フィクションですよ)。ヘロインは一発で依存性が出来るのが分かって、それ以来やったことがない(フィクションですってば)。葉っぱは70年代に「害がない」とされる研究があったのだが、最近では不可逆性の害のあるものだと言われている。それはそうだろう。あれほど精神に影響するものが、脳の回路をいじらないわけがない。タバコですら脳に回路を作ってしまうのだ、葉っぱが作らないわけがないのだ。ワタクシは葉っぱで友人を二人失っている。一人は南米で、一人は日本で。前者はオ―バ―ド―プでこの世からいなくなった。もう一人は精神に破綻をきたし、友人であるワタクシのことまで怖がるようになってしまったのだ。もう戻ってこれないだろうな。死んだも同じだ。これは時効だし、当時は合法だったので書くのだが、マジックマッシュル―ムもやったことがある。あれは効くよ。べろんべろんに酔っ払ったみたいになって、上野公園から出られなくなり、一夜だけホ―ムレスを経験した。
なととよしなしごとを書いているうちに起動ドライブのバックアップが77%まで進んでいる。昨日つながらなかった外付けHDDを根性で生き返らせたのだ。Cドライブ丸ごとバックアップが外付けに二カ所、文書はCD―Rに、三重のバックアップ態勢だ。
話はここでまるで変わる。それもまた一つのデステニ―だから許せ。たった今朝の抗鬱薬を飲んだのだが、残りが少なくなっている。これはまずい。次の診察まであと3日もあるのだ。危険なので今日行く。クスリなしでは眠れないし、気分も沈むのだ。俺生きるのに必死だな。と言うことで、朝の抗鬱剤と抗不安剤をカフェオレで飲んだ。ところで小和田雅子さんだが(この名前で呼んであげたい)、彼女は今おそらく適応不全と反応性の鬱病だな。治すには離婚しかなかろう。あんな優秀な人を人身御供にするとはなんて人権侵害なんだろう。小和田さんはまだお后候補だった頃に、テレビの取材で「行きません」と怒りの表情を明らかにしていた。どこかのテレビ局にはその映像が残っているはずだ。何かいい方法はないものだろうか?
おや、窓の下で駄犬ビーが寝言を言っているよ。処遇に不満でもあるのかな?水もエサも十分にやっているから、遊び足りないんだろうな。ごめんな、ビ―。足が腫れて今日は散歩に行けなかったんだよ。明日少しだけ遊んであげるから勘弁な。ご飯もいいものをやるからね。。
さて、今日の午後だが、カラオケ屋さんに行った。演歌地獄の中ろけんろ〜!するのは楽しいぜ。母と友達の図師さんが先に来ていて、俺が現れたのに驚いていた。「日本印度化計画」を最初に歌ったら、皆さん凍り付いていました。パスポ―トが切れる前に印度に行っておきたくなったよ。でも衛生面が怖いな。今の俺は免疫が高まっているからたいていの病気にはかからないだろうが、アメ―バ赤痢とかが怖い。西原理恵子さんはインドで太ったそうだが、俺は確実に痩せるね。
今またマイクロ睡眠に入っていたのだが、その時間に今書いている小説の一場面のいい台詞が決まった。よしよし、実体験が結晶化されて物語になりつつある。ちゃんと一編の小説にして文学雑誌に投稿してみよう。
まずい。今日はもう寝よう。意識が朦朧としてきている。薬飲んで寝ます。お休みなさい。
梅の花が綺麗だ。京都で最初につきあった芸術家の女の子Fが、桜より梅が好きやねん、と語っていたことがある。桜の花吹雪はトリップ感覚に満ちているが、梅の花は可愛らしい。繊細だ。
昨夜睡眠不足を補おうと睡眠薬を規定量飲んだら、朝9時半まで起きられなかった。いやあ、ヒルナミン2錠は効くわ。昨夜11時前に寝て、今朝9時半。10時間も寝てしまったのである。全身に熟睡感を感じる。躁鬱になっちゃう前はこのぐらいは当たり前で寝ていたものだ。
ところで、恐れていた免停が来た。60日の免停である。そして免停を短くするためにまた講習会を二日に渡って受けなければならない。金もとりやがんの。めっちゃデステニ―だなあ。
やらねばならないことが多すぎる。勉強と読書と音楽と仕事とPCいじりと瞑想。これに普通の生活が加わる。灯台守になりたいなあ。あそうだ、禁煙も始めなくては。ストレッチングとウォ―キングもだ。
お昼の1時にならんとするところだ。パスタを一束ゆでて、オリ―ブオイルとパルメザンチーズだけで済ませた。オリ―ブオイルは「脂肪を押し出す」働きをするらしいので、ダイエットに使うオイルとしては最高だ。オリ―ブオイルを取った後に運動すると体が締まる。さて、お仕事再開だ。
なんてことを言っているうちに、もう3時前だ。温泉の画像をリンクし直したのでよかったらご覧になってください。ついでに、馬にかじられるワタクシ、犬にかじられるワタクシ。
家のチャイムが鳴ったのでPCが届いたかと思ってドアを開けると創価学会。うすぎたねえ馬鹿が来たのだ。池田のような馬鹿を信じているあんたたちはもっと馬鹿だぜ。日蓮聖人があの世で泣いているぞ。それにしても不思議だ。池田大作の顔を見て一目で悪人だと分からないとは片腹痛いぜ。俺は与党に公明党が入っている限り共産党に投票し続けるよ。ほんとにこの世は馬鹿ばかりだな。あんな馬鹿な宗教信じること自体がおかしい。他の宗教を邪教と呼び、信者を凡夫と呼ぶ段階でもうオウムと一緒だ。カトリックには「信仰を持たないことを軽蔑の理由にしてはならない」という言葉がある。
とか言っていたらさっきの創価学会員がまたやってきた。今度は返事をしないで居留守を使った。思想の押し売りは一番困る。「あんたの考えは間違っているから、私の言う思想を鵜呑みにしなさい」というわけだ。俺はカトリックのくせに無神論者だという無茶苦茶な存在だが、押しつけたりはしないぞ。イスラム教徒の物理学者やニュ―トンやデカルトが神の存在証明をしているが、矛盾無く科学者であった。一人の篠田三郎としてもそう思うよ。やや三田明気味ではあるが。
ところで、創価学会員が選挙のたびに投票を頼みに来るって法的にはどうなの?明らかな政教一致ではないか。
神は残念ながらいるよ。この宇宙自体が神だ。物理法則が経典。そう考えればいいのだ。牧場に行って犬たちと遊びたくなってきたな。馬にも乗りたいが、昨日聞いたところでは今は乗馬はやっていないそうだ。残念。小淵沢に行って馬に乗せてもらおうかな。楽しいよなぁ、乗馬。このとっちらかりぐあいがワタクシの心を反映しています。
あれ?なぜかまた画像がリンクされてないぞ。どうしたんだろう?相対パスでも絶対パスでも繋がらない。何が原因なのか分からない。これはどうかな?馬にかじられるワタクシ、犬にかじられるワタクシ(この二つのリンクはなぜかファイルを無くしてしまったので、近いうちにまたかじられに行ってきます。今は見れるかもしれません。)。
今年ももう6分の1来たのか。早いなあ。呆れるね。自分の成長のなさに。もっと仕事して勉強しなきゃな。風呂上がりにカフェオレ飲みながら聞くアイネ・クライネ・ナハト・ムジ―ク。なんて悦楽だ。試合で人を殺したことがあるワタクシだが(フィクションですよ)、音への感動が戻ってきているんだなあ。前に親友の死と失恋で2年間部屋にこもっていたと書いたが、あの秋から冬にかけては半年風呂に入らなかった。深夜のコンビニで弁当と酒を買って一人飲んだ。寂しくて寂しくて仕方が無かった。悲しくて悲しくてどうにもならなかった。医者に行くべきだったと今は考えるが、当時のワタクシは人が怖かった。親友はワタクシの影響でモ―ツァルトが好きになっていた。二度目の結婚をしたときにけして安くないモ―ツァルトのCDを送ってくれたりんぼうがいさん、ありがとう。あれは外付けのHDDに収録して今でも聴いています。本当にありがとうございました。ものりんさんもありがとう。俺はいい友人を失ったと思って悲しかったです。Yさんもごめんね。傷つけるつもりはなかったんだよ。ただ、あの頃の俺は手負いの獣だったから、反応が過激になっていたんだよ。ニテケテと一緒にいられないことがあまりにも辛くて。
睡眠薬が効いてきた。このまま眠ってしまおう。お休みなさい。
8時半か。そろそろ睡眠薬を飲もうかな。ヒルナミン2錠を加えて。
などと言いつつ電話に応対しているともう9時だ。睡眠薬は飲んだ。あと30分もすればふらふらになるだろう。その前に二人の息子、ニテさんとケテさんに手紙を書かなくては。
2014/03/02
20分後。早朝の空腹をおさめるためにプレーンスパゲッティを作っています。朝から快調だなあ。何よりである。
5時43分。プレーンスパゲッティを食べ終えました。オリーブオイルたっぷりで。今朝は起きてから腕立てを40回3セットやっているから120回だな。今聴いているのはケイト・ブッシュの「ライオンハート」だ。この人のパフォーマンスは怖いんだよね。異常な動きをなさる。遊佐未森さんが「嵐が丘」を歌っているが、こっちの方が本物だ。「海潮音」の音楽版だな。原作より和訳の方が上だという構図。
遊佐さんは可愛らしい。最初に遊佐さんの歌を聴いたのは、友人さいたう君が貸してくれたときだ。あれは「ハルモニオデオン」だったな。一発で虜になった。なんて綺麗な声。艶と伸びがあってセクシーだ。少年っぽさを演じているが、やはり少女。今でも大好きだ。「僕の森」なんかウォークマンで聴きながら新宿御苑を歩いていたら涙がこぼれた。あれは同棲して半年になる女の子を嫌いになった時期だった。情が移っているのにどうしても食事のマナーがなっていないので嫌いになったのだ。すすり食いはするし、唇を閉めないまま噛むから「にちゃぬちゃ」音がするし、いやで仕方が無かった。その頃ワタクシは16歳の少女と恋に落ち、彼女のうちの近くへ引っ越した。行き先も電話番号も同棲していた女には教えずに。その子とは3ヶ月で恋が終わり、200回ほど抱き合った思い出が残った。直後に18の子とつきあい始め、傷は浅くてすんだ。
あ、外が白み始めた。もう朝だ。馬に乗ってこようかな。
6時43分。外はもう読書が出来る明るさだ。牧場へ行ってきます。
7時50分。牧場から帰ってきた。オンマさんたちは今日も穏やかで優しかった。犬たちも大変に人なつっこい。ああいう仕事もしてみたいな。牧場の皆さんは揃っていい顔をなさっている。俺に出来るかなあ?灯台守と牧場で働くのでは時間も消耗も牧場より灯台の方が上だな。しかし、人とふれあう幸せは牧場の方が遙かに上だ。「灯台守うんぬん」はアインシュタインの言葉なのだが、彼は軽い自閉症があったからそれを理想に出来たんだろう。寂しがり屋のワタクシには無理だな。それに体力が落ちそうだ。竹内均さんの本で、体力を保つために縄跳びをなさっているという記述があった。一日5分で全然違うと。今足が痛くて肝心の走ることが出来ないのだが、上半身は腕立て伏せと腹筋で鍛え直している。
4時43分。1時間ほど前に来た創価学会員を茶の間にあげてしまったのが大失敗。ワタクシが図書館から帰ってもまだいる。ああ、声がでかい。うるせえよ。押しつけるなよ。早く帰ってくれ。
いらいらするのでモーツァルトを少し音量を上げた。朝鮮人差別の話をしているよ。独演会だ。関わりになっちゃいけないね、創価学会とは。さっきから現世利益の話しかしてないぞ。宗教ってそんなんじゃないだろう?もっと遠い世界を提示してくれないとつまらないよ。5時11分、やっと帰って行った。ああ、うるさかったなあ。死んじゃえ、創価学会員。あの世で布教しろ。
腹が減ったのでまたパスタをゆでている。プレーンスパゲッティにして食べる予定。
5時47分、異常に早い夕食が終わった。これは寝るまでの時間を空けるためにやっているのだ。オリーブオイルをたっぷり使った二人前を、母は殆ど手をつけなかったのでワタクシがもらった。
10分後、庭で縄跳びをしたらへとへとになった。これはいけませんよ。心肺機能が落ちている。たった2分しか跳べなかった。。しかたなくモーツァルトのレクイエムを聴いています。少し「聖なるもの」に触れて今日の創価学会のやかましさを心から洗いながすためだ。今ヒルナミンを一錠飲んだ。心を落ち着かせたい。「ざわ、ざわ(by 福本伸行)」を消したいのだ。
ざわざわで思い出したが。最近藤原竜也がいい。「バトル・ロワイヤル」「カメレオン」の二つしかまだ見ていないが、うまいねえ。彼があんなに体が動くとは思いもしなかった。往時の松田優作さんのようだ。2014/03/16後記、『カイジ』と『カイジ2』と『バトルロワイヤル2』も見ました。いやあ、いい役者さんだなあ。
2014/03/05このところ毎日牧場に通っている。ああ、雇ってくれないかなぁ。毎日が充実するだろうなあ。なんてことを翻訳だけではぎりぎりの生活なので考えてしまうのだ。あー、淳子桜田。
何が原因なのか、indexにへらさけ雑記8が出てこない。忠実に書いているはずなんだが,HTLM。と悩む朝3時49分であった。
そしてワタクシのへらさけ雑記はへらさけ雑記8に続いていく。(このリンクはなぜか繋がりません。ちゃんと書いてるんですが。2014/03/17追記。、単なるスペルミスでしたl。今は繋がっています。)